9話 優しい時間、交差する想い

放課後、倉庫の屋上でアレクシスと二人きりになったミアは、柄にもなく緊張していた。

(落ち着け、ミア! 私は、おしとやかで、上品なレディ!)


「装飾がだいぶ進んだな」

アレクシスは、改めて屋上を見回した。

「噂には聞いていたが、君が、一人で、これだけのものを……大したものだ」


「いえ、その、あの……手芸部のみんなとです。あ、ありがとうございます」

ミアは顔を真っ赤にして、モゴモゴと答える。


「でも、学園祭となると、もっと多くの人が来る。落下防止の結界が必要だね」

アレクシスは、手際よく屋上を点検し始めた。


「動物たちのスペースは、この辺りがいいかな。日陰があって、逃げ場も確保できる」

「さすが、よくご存じですね」


「昔、飼っていたことがあるんだ」

その言葉に、ミアの胸はトクンと音を立てた。

「拾った時はほんの子猫だった。少し大きくなるともう、やんちゃでね」

楽しそうに思い出を語る。


「でも大切なかわいい子だった」


(ご主人様はニアをすごく愛してくれてた……んだ)


彼は眼鏡をそっと外し、かすれた声で続ける。

「死んでしまった。僕が……借りてきた本をかじられて怒鳴りつけたばかりに。窓の隙間から飛び出して」


ミアは、彼の瞳に映る後悔の色を感じ取った。

「酔っぱらいの魔動車にはねられたんだ」

彼の声は、夕日に照らされた屋上の静けさの中に、寂しげに響いた。


「使用人が僕に声をかけに来た。その顔を見ただけで、全てわかったよ」


夕日に照らされた屋上に、静寂が降りた。

風が二人の髪を優しく揺らしていく。


ミアは胸が締め付けられるような思いで、アレクシスを見つめていた。


(この人は、ずっと一人でこの重荷を背負ってきたのね……)


「その子は、きっと、アレクシス様を恨んでなんかいませんよ」

ミアは小さな声で、そっと呟いた。


「どうして、そう思うんだい?」

アレクシスが振り返る。不思議そうな瞳でミアを見つめる。


「だって、いくら怒られたって、その子はまた飼い主さんの膝に乗りたがる。

なでてもらってすぐにご機嫌。そして、幸せだなぁって思う……と思うんです」


ミアの言葉に、アレクシスの表情が少しだけ和らいだ。

「まるで、ニアのことを知っているみたいだな……」


そんな静かな時間が流れた時——


「アレクシス様~、この書類確認してくださーい!」

階下で手を振りながら近づいてくる二つの影が見えた。

風紀委員の腕章をつけた女子生徒だった。一人は、あの赤毛の三つ編み少女アリス。


アリスはミアを見ると、顔をそむけた。


「分かった、降りよう。その前に君たちも見てみないか?」


登ってきたアリスは、さっとミアのそばに寄り、聞こえるよう冷たい声で言った。


「委員長は無理を押してこんな場所に来たのです。私たち風紀委員は、いつも忙しいのですわ」

アリスの視線はクッションやテーブルに向けられていた。

「おままごとみたい……」


「これが生徒会の企画なんですか?私たち風紀委員の苦労も知らないで、学園の格式をどう思ってらっしゃるのかしら。

生徒会にいる詩人も、チャラチャラとして風紀を乱しています!」


「我々の学園の伝統は、革新、そして自由ではなかったのか?」

アレクシスは、いつもの冷静な表情で静かに言い放った。

「今も学園長は、そのために戦っておられる」

彼の鋭い視線に、アリスはひるんだ。


「存じております。では、私はこれにて失礼いたします」

アリスは悔しそうに顔をそむけ、足早に去っていった。その背中には、抑えきれない怒りと、悲しみが滲んでいた。



その夜、ミアは寮の部屋で企画書を書いていた。


「動物触れ合いコーナーの安全対策について」

でも手が止まってしまう。昼間のアレクシスの切ない表情が頭から離れない。


「まだ自分を責めてるのね。あれは不幸な交通事故だっただけなのに。」


いたずら子猫ニアは、よく叱られていた。


あの時はアレクシスが借りてきた本をかじって、歯形をつけてしまった。

怒られたニアは、プイっと顔を背けて窓の隙間から外へ出て行った。

もちろんすぐに帰るつもりだった。


彼女が拾われて一年を祝う、誕生日パーティーの日、とても幸せだったのに。


夜が来て黒猫ニアは家路を急いだ。その体を猛スピードの魔動車が跳ね上げた。痛みを感じる間もなく、彼女の意識は闇に包まれた。


虹の橋を渡る際、涙を流すアレクシスの顔をニアは一瞬だけ見た。


——幸せだったよ、だから泣かないで、アレクシス!

懸命に伝えたが、彼の耳には届かなかったのかもしれない。


ミアの頬にいつの間にか涙が一筋流れた。



サクラが部屋に入ってきた。手には、なにやら怪しげな瓶が握られている。

「疲れただろ?一杯やろうぜ」


「え、なにそれ?」ミアが尋ねると、サクラはニヤリ。

ミアの飾り棚にあったティーカップを取り上げた。

「安心しな!これ、中身は酒じゃねぇから」サクラは、そう言いながら、カップに琥珀色の液体と熱湯を注ぎ込んだ。


「梅って言うプラムみたいな果物、もっと酸っぱいんだけどな。それを砂糖で漬けたシロップなんだ。体にいいんだぜ」


ミアは、湯気の立つカップを受け取ると、ゆっくりと飲んだ。

「あったかーい。それに、いい香り、甘酸っぱいね」



ミアは昼間のやり取りをサクラに話した。

「まだ自分を責めてたの」

「そうだな、トラウマってやつは厄介だ」

サクラは窓の外の星空を見上げた。


「サクラちゃん、これって……飼い猫が飼い主を心配する気持ちなのかな?」

なぜか、ミアは今までそれをはっきりとさせず先送りしていた。


サクラは少し考えてから言った。

「分からねえけど、大切って気持ちに嘘はねぇんじゃねーか?」


ふと、ミアは目を閉じた。

いつか大人の猫になったら、もっとお利口な猫になって、アレクシスを癒したいと思い続けていた。


だから、この気持ちは、やっぱり飼い主を思う気持ちなのかもしれない。


そして、ため息をつくと、もう一度企画書に向き合った。


「私にできること、全部やるんだ!」

今は彼の笑顔が見たい。ただそれだけだ。



翌週から、アルカディア・ローズフェスタの準備が本格的に始まった。


「おはようございます、アレクシス様」

毎朝の打ち合わせが、ミアの一番の楽しみだった。

ミアは朝から念入りに髪をとかし、笑顔の練習をしていた。


風紀委員会のドアをトントンとノックする音も弾んで聞こえる。


「おはよう、ミアさん。昨日の件、どうだった?」

「はい、お菓子作りのメンバーは揃いました」


ミアは平民の仲間たちに声をかけ、カフェお料理部隊を結成していた。みんな快く引き受けてくれて、「自分たちの料理の腕が役に立つ」、「ミアちゃんの企画なら」と協力してくれた。あの大好評のサクラのどら焼きも作る予定だ。


どら焼きの材料は意外とシンプルで、粉、豆、砂糖、卵と膨らし粉があれば作れる。ただし練習が必要だとサクラから聞かされた。


「それから、動物たちの件ですが……」

「ああ、それについて相談がある」

アレクシスは資料を取り出した。

「近くの動物園に問い合わせたんだ。学園祭での触れ合いイベントを快く受けてくれた」

「本当ですか!」

思わず飛び跳ねそうになって、慌てて上品に振る舞う。


「別に構わないよ。君の嬉しそうな顔を見ていると、こちらも嬉しくなる」

ミアの頬が真っ赤になった。


「でも条件がある」

「はい」

「動物たちの安全管理は完璧にすること。そして、責任者として僕が付いていることだ」


「もちろんです。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

「迷惑?」

アレクシスが首を傾げた。


「君と一緒にいるのは迷惑じゃないよ。むしろ……」

「むしろ?」

「いや、何でもない」


アレクシスは慌てたように書類に目を落とした。

その様子がなぜかかわいらしく見えて、ミアはときめいてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る