第27話
『おもしろそうな話聞きつけてたからランチ行こうぜ〜!三人で!』
そんなどう考えても悪い方向にしか転ばないチャットが花巻から飛んできた。
しかも俺と鳴宮と花巻三人のグループチャットをわざわざ新しく作って。
時刻は11時。
十中八九さっきの話だろうが、それにしても情報が早すぎるだろ。
とはいえ俺も誰かの意見を聞きたいところだ。
聞いたところで考えが変わるとも思えないが。
もんもんとしている間に、手が滑ってノリノリのスタンプを送ってしまったのはご愛嬌。
まぁ行く意志は伝わるからいいだろう。
『私とご飯行くチャットには渋々みたいなスタンプなのに』
間髪入れずに流れできたのは鳴宮の言葉。
とんでもない角度から矢が飛んできたな……画面の奥で彼女のむくれ顔が見えそうだ。
いや違いますやん。今のは手が滑っただけだって。
『今のは手が滑っていつもの隣のスタンプ押しただけだって』
『ほんとかしらね?しずくちゃんとご飯行きたいんじゃないの?』
普段は鳴宮も弁えている。
これは……まぁ楽しいんだろな、会社の人の前なのに夫婦でいられることが。
正直俺も「花巻ならいいか」なんて思ってしまう。
『ちょっとちょっと〜!他の人の前ではっちゃけられないからってここでやるのやめて〜!』
そんな毒にも薬にもならないチャットを横目に、今日も今日とて請求書を捌いていく。
これはOK、これはだめ。これもだめだし、次のこれもだめ……。
おかしい。全社員、入社した時に文書作成の研修は結構みっちり受けているはずなのに。
「藍野、楽しそうだな」
先輩がPCから目を離さずに話しかけてくる。
彼のデスクにもかなりの量の請求書やらが積み上がっていた。
「……楽しくない訳じゃないですよ」
最近の生活を思い返すと、どこかの企画課の同期のおかげで飽きないことだらけだ。
先輩は手を止めて顔をこちらに向ける。
普段はあまり変わらないはずの表情も、今は驚きの様相を呈している。
「珍しいな、藍野が楽しいって言うの。いつもは能面みたいな顔で仕事してるのに」
やばい、俺が先輩に思ってる「表情が変わらない」ってことを読まれたのかと思った。
頭の中を覗き込めるのは、どこかのかわいらしい妻だけで十分なのに。
「それを言うなら先輩もじゃないですか」
「これが経理顔だからな」
その経理顔ってやつ、俺と先輩の間でしか通じないだろ。
先輩は確認し終えたであろう書類の山をどさっとこちらのデスクに置く。
「ダブルチェック頼んだ」
「そう来ますか……じゃあこっちの分も」
負けじと俺もチェックを終えた書類を先輩のデスクに滑らせる。
量は俺の方が少ない、やはり年季には勝てないものだ。精進しなければ。
再び俺たちはPCに向かった。
静寂が俺たちの間を支配する。
昼前の追い込みだ。少しでも午後の作業が楽になるように、できれば定時に帰れるように。
「ま、やりたいようにやれよ藍野。後悔だけはないようにな」
何もかも知っているかのような深く落ち着いた声で、なんの脈絡もなく先輩はそう言った。
◆ ◇ ◆ ◇
暑さが少しは和らいだコンクリートジャングルを泳ぐ。
信号で止まる度に服をパタパタと扇いでいた季節も終わってしまうのか。
いつの間にか蝉の大合唱も聞こえない。
昨年までは、夏といえばクーラーの効いたオフィスで仕事をして、クーラーの効いた電車で帰って、クーラーの効いた部屋で寝るだけの生活だったのに。
今年は引越して、飲みに行って、夏祭りに行って花火を見て……盛りだくさんだな。
「そこにいるのは、私の誘いには乗り気じゃない癖に他の女の誘いにはノリノリな藍野くんじゃない」
馬鹿なことを考えていると、後ろから冷たい声が聞こえる。
冷たいというか、冷ややかな。
声の主はわかりきっている。
「酷い言い草だな、鳴宮」
「今なら誰も見てないし『ひな』って呼んでくれたら許しましょう」
勝手に怒られて、なんか許される条件を課されている。
やっぱりこの世は不条理だ。
「呼びません」
「どーうーしーてーよー!この前飲みに行った帰りは呼んでくれたじゃない!」
あったなそんなことも。雨降ってた時な。
「そんなことあったっけ?酒入ると記憶がな……」
「嘘おっしゃい、昔企画課で飲んだ時は全部覚えてたじゃない、会計の金額とかまで。あれ、そういう細かいとこ覚えてるから経理課に異動になったんじゃない?」
「なんか言葉の節々に棘が見えるんだけど」
「そりゃ仕込んでるから当たり前ね。美しい薔薇にはってやつよ」
自分で自分のことを薔薇とか言って許されるのは、こいつくらいじゃないだろうか。
「はいはい」
「ちょっと〜!そこはツッコんでもらわないと痛い女じゃない」
「だから流したんだって」
「まったく……そんな薄情な旦那に育てた覚えはないわよ」
すぐ前の信号が点滅して足を止める。
きっと鳴宮とじゃなければ早足で渡っていただろう。
……いや、別にまだ話していたいとかではなく。
結婚する前の自分と後の自分。
誰に言われるまでもなく、気持ちや行動の変化に気がついてしまう。
これじゃあ本当に鳴宮に育てられたみたいじゃないか。
不意にパンパンっと手のなる音が聞こえた。
「そこそこ〜会社じゃないからってイチャついていい訳じゃないからね?」
現れたのは花巻、このランチ会の首謀者だ。
「いいじゃない、せっかく外なんだし!私は別に会社でイチャイチャしてもいいんだけど」
「俺の社会人生活が終わるからやめてくれ……」
「じゃあ残念だけど、続きは帰ってからね」
おいおい誤解を招くような言い方をするんじゃない。家でも別に普通にしてるだろ。
「ほらまた!隙あらばイチャついて〜……むんっ!」
花巻はおかしな掛け声とともに俺と鳴宮の間に入る。
「あ!しずくちゃん!せっかくの夫婦の時間を〜」
「二人きりの時にしてよね。私どんな顔して見てればいいのよ」
鳴宮と花巻はきゃっきゃと別の話に花を咲かせる。
そんな二人を邪魔しないよう、俺は一歩後ろへと下がった。
◎◎◎
こんにちは、七転です。
いかがお過ごしでしょうか。
少しは落ち着いたお話も。
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いつか恩返しができたら、なんて。
ではまた、どこかのあとがきでお会いしましょう。
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