第6話

 風呂場から出て、上半身裸のままバスタオルで髪を乱雑に拭く。

 そのままリビングへ……っと危ない危ない、一人暮らしの癖が抜けない。だめだ、このままだとセクハラ大魔人の謗りを受けてこの家から追放されてしまうな。


 そろりそろりと脱衣所へ戻ろうとしたところで、ソファから立ち上がった鳴宮と目が合う。


「お、お風呂いただきました……?」


 何か言わねば、と口をついて出たのは招かれた客人のようなセリフ。

 熊と遭遇した時って目は合わせたまま後ずさりだっけ、と馬鹿な考えが脳みそを高速で巡回している。


「…………ふぅ」


 果たして、先にアクションを起こしたのは彼女だった。

 腕を目線の高さに上げると、合掌。


「おいちょっと待て、なんだその意味ありげなため息は」


「ごちそうさまでした」


 何を食べたんだよ。


「話が噛み合わない、どうすりゃいいんだ」


 ゆらゆらと身体を左右に振りながら鳴宮が近づいてくる。

 どこか狂乱的な危うさを醸し出しているが、それでも顔の良さに目線が引っ張られてしまうのは男の性か。


 気がつけばもう数歩のところ。


「だめじゃない、風邪ひくわよ」


 意外とまともなこと言うんだな。

 ゆっくりと手が伸ばされる。


「そうだな、悪い。すぐ着替えてく……」


 身を翻そうとしたところでひんやりとした柔らかい感触。

 手の温度とは裏腹に、彼女の頬は上気していた。


 真っ白な細い指は俺の胸をつぅーと撫でて、首元で止まる。

 生殺与奪を彼女に握られているような、それがなぜか嫌じゃないような、生々しくも温かい奇妙な感覚。


「止まれなくなりそうだから、私もお風呂いただいてくるわね」


 早口でまくし立てて俺の隣を通り過ぎる鳴宮。


 あれ、完全に捕食者の目をしてたぞ……怖い。これから彼女との付き合い方を考えなければならない、主に寝る前の。


 力が抜けてソファに沈み込む。

 変に心臓がうるさい。今までそんな・・・目で彼女を見ていなかったから。


 なんだってんだ、初恋でもしたのか俺は。

 情けなくて懐かしい気持ちにアラサーの脳はついていけない。


「あれが妻とか勘弁してくれ、もたないって……理性が」


 偽装とはなんなのか、鳴宮の人生設計はどうなっているのか、俺はもしかして知らず知らず深い沼に嵌ってしまったのではないか、なんて許容量を超えた思考たちが、冷や汗と一緒に流れ落ちた。


◆ ◇ ◆ ◇


 ガチャリ、と脱衣所の扉が開く音。

 一人暮らしが長いせいか、自分以外の物音に敏感になる。


「お風呂上がったわよ〜!」


 快活な声と共に現れたのは濡れた髪をバスタオルで纏めている鳴宮。

 先ほどまでの危うい雰囲気はもうない。


 安心して振り返ると違和感、見覚えのあるTシャツにスウェット。


「あ、お前俺の服着てるじゃねぇか!服あるだろ!」


「こっそり拝借しました!」


 悪びれもしないなこいつ。


「ねぇねぇ藍野くん、これお願い」


 いつぞや請求書を回してきた時と同じように、ドライヤーが差し出される。


「ん?」


「いや、ほら、髪を乾かして欲しいんだけど……」


 どうして服は勝手に持っていく図太さがあるのに、髪を乾かすお願いはしどろもどろなんだよ。

 そこは強気であってくれ……まぁそういうちぐはぐなところがかわいいんだが。


「偽装夫婦なのに?」


「夫婦だからよ、まだ私のことを名前で呼んでくれない藍野くん」


「それはお前もだろ」


「でも私、もう鳴宮じゃないもん〜!」


 正しいのか詭弁なのかわからないことを口ずさんで、彼女はソファにぼふんっと腰掛ける。

 辺りに舞う甘い香り。同じシャンプーを使っているはずなのに、鳴宮のほうがいい匂いなのは雰囲気がそうさせるのか。


「前も言ったけど綺麗な名前なんだから、そんな簡単に捨てなくても」


「あら、私は綺麗な名前から綺麗な名前に変えたつもりなんだけど。それにね、」


 ドライヤーの音がやけに大きく聞こえる。

 鳴宮の顔は半分しか見えない。


「『簡単に』なんて捨ててないわ。たくさん考えて、機会を一度逃して、それでも諦めなかった結果がこれなの。いつか、いつかわからせてあげる」


 前を向いた彼女の耳は、熱めの湯船に浸かったせいだろう、綺麗な暖色のグラデーションに染められていた。








◎◎◎

お盆期間に仕事してるのに、唐突に2日連続で3話更新して読者を驚かせましょう。


明日からはゆったり1日1話更新しますね。

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