この結婚を偽装と言うならそれでいい

七転

第1章

第1話 プロローグ

 深紅のベルベットに真っ白な皿。

 豪華なシャンデリアが光を散らしている。


 お互いの両親が席を外して十数分。

 聞こえるのはナイフとフォークが当たる音だけ。


「私、あなたと結婚しようと思うの」


 小さく切ったステーキをごくんと飲み込んで、彼女はなんでもないことのように言い放った。


◆ ◇ ◆ ◇


 社会という名の砂漠になんの装備もなく放り出されて早6年。

 某メーカーに就職した俺は、当初は企画課に配属され、3年経験を積んだ後に不夜城こと経理課へと異動した。

 現在は日々流れてくる経費申請や支払伝票、監査対応に命を削っている。


 恋愛のれの字もない俺に危機感を抱いたのか、両親がお見合いを設定してしまった。

 30歳も見えてきて一応まともな大人のコスプレをしている手前、設定された以上お相手に迷惑はかけられない。


 そんな絞り出した社会性に突き動かされ、普段は着ないちょっといいスーツに袖を通してレストランへ向かうと、現れたのはかつての同僚の顔だった。


◆ ◇ ◆ ◇


 彼女の名前は鳴宮ひな。

 御歳28、我が社企画課のメインウェポンだ。

 その端正な顔立ちに凛とした声、ユーモラスな性格から社内人気も高い。


 S〜Cの4段階で表されるうちの人事評価で、彼女は脅威のSS。

 おい、聞いたことないパラメータを出してくるんじゃねぇ。内規のどこにダブルSの記載があるんだよ。


 とまぁふざけた結果をたたき出しているが、実際提案される企画は粒ぞろいだ。


 将来は幹部候補とまで言われている彼女に想いを伝えて敗れていった者の多いこと。

 時代が時代ならば百戦錬磨と呼ばれていただろう。


 しかし俺からすれば、恋愛対象というより魑魅魍魎蔓延る企画課の中で唯一の同期という感覚の方が強くなってしまう。

 最近では俺の異動もあってか、廊下で会って挨拶するくらいだが。


◆ ◇ ◆ ◇


「まてまて、意味がわからないんだが」


「そのままよ。私と結婚しましょって言ってるの」


 何を当たり前のことを、とでも言わんばかりに彼女は真顔でワイングラスを傾ける。

 真っ赤なリップがグラスの縁に月を描く。


 不意に耳が遠くなった。

 彼女の声しか聞こえないような、周りの音が気を遣って俺の耳を避けているような。


 どくん、と跳ねた心臓はきっと、訳の分からない状況に直面したせいだ。決して鳴宮の丁寧な所作に惹かれたわけじゃない。


「最初から説明してくれ、頼む」


 空になったグラスがすぐにワインで満たされる。いつもより早くなるペース。


「私ってずっと仕事してるじゃない?」


「特異なことにな」


 昔からこいつは労働ジャンキーだ。

 来る日も来る日も残って頭を悩ませては、結果を出して堂々と帰ってくる。


「それで仕事してると、邪魔な男が寄ってくるわけよ」


 眉間にぎゅっと皺を寄せる鳴宮。


「外では言うなよ、顰蹙買うから」


 素を見せてくれている、ということで合っているんだろうか。


「わかってるって、もう!未来の妻がモテてることに嫉妬しなさいよ」


「おいおい今の数秒で時空が歪んだか?」


「お住まいの次元は正常よ」


 鳴宮は手を口に添えて上品に笑った。


「だとしたらなお悪いわ!」


「それで話を戻すんだけど」


 すんっとお淑やかな顔で彼女は言葉をこぼす。


「雑かよ……」


 綺麗に揃えられたナイフとフォークは、まるで結論を急ぐ俺を窘めているみたいで。


「私は考えたわけ。結婚してしまえば面倒なことは全部全部解決するじゃんって」


「ぶっ飛びすぎだろ。そんなの彼氏が〜とか適当に嘘つけばいいだろ」


「その程度で収まるならここまで悩んでないわよ」


 ぽとりと落とした言葉の重みに目を見開く。

 いやぁ、モテるって大変なんだな。


「結婚するって恋愛感情もないのに?」


「…………そうね」


 数秒の沈黙の後、首肯。一瞬だけ眉尻が下がったのは、きっと気のせいで。


 余裕が出てきたのか周りの音が帰ってくる。


 足音を感じて振り向けば、ウェイターがワインのおかわりを注いでくれる。

 あぁまたいつの間にかグラスが空いていたのか。


「で、知らない仲じゃなくて無害そうな俺に白羽の矢がたったと」


「……あなたって昔からそうよね」


 鳴宮は短く息を吐いた。


「馬鹿にされてる?」


「馬鹿にしてる3割、呆れ7割」


「どっちにしてもマイナスじゃねぇか」


 いわゆる偽装結婚。

 ドラマやアニメの中でしか聞いたことのない状況に、心が踊らないと言えば嘘になる。


「鳴宮とかぁ」


 目の前のお皿も既に空で。


 社内の、いや、世の男ならば諸手を上げて賛成なんだろうが。

 俺からすれば、彼女は向かい合って恋愛的な関係を深めてきた人というより、背中を預けて何とか苦しい日々を乗越えてきた戦友だ。

 いや、だからこそ偽装するにはうってつけなのかもしれない。


 そもそも戦友が困っていて、俺を頼ってきている。ならば返事は一つしかないだろう。

 しかもこんな面白そうなこと、逃せばきっと一生後悔する。


 覚悟を決めたところで、彼女の視線に気が付く。


「なによ、じゃあ聞くけどさ」


 鳴宮は髪を耳にかけると悪戯っぽく口の端を持ち上げた。

 今まで見たことのない艶やかな表情に、呼吸さえ忘れてしまう。


「私が妻じゃ、不満かしら?」


 人生を変えるための選択なんてきっと、きっと思いもしないところに転がっているのだろう。


 多分、俺は酔っていた。

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