第48話 竜神様に印税を
――救護課研究室。
昼間でもブラインドの閉め切られた空間は薄暗く、計測器のランプだけが点滅していた。冷房の効いた空気の中で、紙の擦れる音とペンの走る音が絶え間なく響く。
榊は椅子から身を乗り出し、画面に釘付けになっていた。指先でグラフを追いながら、興奮を隠しきれない声をあげる。
「……桐嶋さん! またです。明らかに出力が増えています!」
その声に、傍らの莉理香がびくりと肩を揺らした。
「えっ、またって……この前も言ってませんでした?」
榊は眼鏡を押し上げ、声を張る。
「はい。しかし今回は連日です。安定性も、総出力も、桁違いに跳ね上がっている! 何もしていないのに、です!」
彼女はグラフを突きつけるように指差した。
数値は連日、右肩上がりに跳ね上がっている。
それは人為的な操作では説明できない異常な増加だった。
莉理香は言葉を失った。
胸奥で、竜核が脈動する。静かに――けれど確かに、強く。
自分の意志と関係なく、満ちていく感覚。
そのとき、低く重い声が響いた。
『……莉理香』
胸奥の竜、ラギルの声だった。
『我もかつて竜神と祀られ、祈りで力を得たことがある。だがそれは細く、緩やかな積み重ねだった。今、お前の核に流れ込んでいるのは違う。密度の高い祈りが世界中から押し寄せている』
その声音には驚愕と畏怖が混ざっていた。
『……我ですら知らぬ感覚だ。これは“現代の神”の在り方なのだろう』
莉理香は掌を見下ろし、震える息を吐く。
そこに流れ込む力は、自分の意志を超えて膨張していた。
探索者や救護課員としての延長線ではない――もはや次元が違う。
「……あぁ、竜神様って……こういうことなんだ」
思わずこぼれた声に、自分で背筋が寒くなる。
責任の重さも、世界の視線も、嫌というほど理解している。
それでも、胸奥の竜核は歓喜のように脈打っていた。
榊は計測器の数値に夢中で、その呟きに気づかない。
「……この現象を解明できれば、世界の歴史が変わります……!」
だが、莉理香とラギルだけは理解していた。
――これは竜でも精霊でもない。“竜神”の実感。
桐嶋莉理香は、その境地に足を踏み入れてしまったのだ。
事実として世界中の精霊と未契約の精霊術師が実用的なレベルで術式を行使できるようになりつつある。
その夜。
宿直室の窓から夜景を見下ろしながら、莉理香は深く息をついた。
祈願の声は世界中から絶えず押し寄せ、竜核は力を吸い上げ続けている。
それはもう、日常の一部になっていた。
「……まあ、もういいです。そう思われちゃうなら、神様ってことで」
その言葉は諦めではなかった。静かな決意。
力をどう使うかは自分が選ぶ。人が勝手に祈るなら、それも受け止める。
胸奥でラギルが呟く。
『……莉理香よ、前から薄々気づいてはいたがお前はやはり人間離れしている。普通なら怖れて逃げ出すだろうに』
「逃げても仕方ないじゃないですか。だったら私が“貸す相手”を選ぶよ。……私が”神様”で、私が”人”として決めなきゃいけないことだから」
ラギルはしばし沈黙し、やがて低く笑った。
『……なるほど。それが竜神の在り方か。人でありながら竜神である――お前にしかできぬ折り合いだ』
世界のニュースは連日「桐嶋莉理香」で埋め尽くされていた。
「――ジャパンのドラゴン・ゴッデス」
「竜神リリカ、現代の神話」
「新時代の信仰対象か、それとも稀代の英雄か」
英雄譚として持ち上げる番組もあれば、ドキュメンタリーを企画する局もある。グッズ販売を始める企業すら現れ、SNSのアイコンには着包みを来た彼女を模したイラストが溢れていた。
――“竜神リリカ”は、もはや世界的なアイコンだった。
そんな莉理香は仕事の合間に、ベッドに寝転びながらスマホをぽちぽちといじっていた。SNSのタイムラインを眺めると、また自分の名前がタグになって流れている。
『#DragonGoddess』
『#RirikaPrayer』
『#(「・ω・)「ガオー』
『#冷気女神スタンプかわいい』
……ん?スタンプ?
「……は?」
目を瞬かせてリンクを踏む。
そこには、どう見ても自分をモデルにしたスタンプが並んでいた。
着包みを着て冷気を吐き出す女の子が「おつかれさま~」と笑い、凍りついた魔物を踏み台に「了解!」とウィンクしている。
莉理香は額を押さえ、呻いた。
「……ちょっと待って、私こんなの作った覚えないんですけど……」
しかもコメント欄は大盛況。
《めっちゃ使いやすい!》
《竜神リリカ様スタンプ爆売れ確定w》
《試験祈願に送ったらほんとに受かった!》
「いやいやいや……!」
思わずベッドの上で転がり、スマホを握りしめる。
(なんで私、いつの間にかこんなに沢山スタンプになってるの!? ていうかお金入ってきてないんですけど!)
小市民的な叫びが心に渦巻き、ついには指が動いていた。
《そういえば、アイコンやスタンプのモデルにされているのに私に全くお話ないし、なんならお金入ってこないんですけど!》
……投稿完了。
数分後。
「……えっ、ちょっ……!」
スマホ画面が震えっぱなしになった。
通知が雪崩のように押し寄せ、企業公式アカウントから次々にリプライが飛んでくる。
《誠に申し訳ございません! ただちに対応させていただきます!》
《弊社の商品は無断使用の意図ではなく、リスペクトで……! とにかく謝罪いたします!》
《契約条件について、改めて協会を通して交渉させてください!》
あまりの速さに、莉理香は逆に青ざめた。
「ちょ、ちょっと待って! そんな大ごとにするつもりじゃ……!」
結局、救護課の広報が間に入り、協会の弁護士まで登場する事態に。
どうやら今は適正な価格交渉が行われているらしい。
しかし――忘れてはならない――莉理香は公務員である。
その使用料はすべて協会が管理することになった。
「……え、つまり私、アイコンになってもスタンプになっても、広告になってもお小遣い増えないんですか?」
救護課の同僚たちは笑いながら肩をすくめた。
「まあ神様ってのは、得てしてそういうもんだろ?」
「名誉は得ても、財布は軽い……合掌」
莉理香は机に突っ伏し、小さく唸った。
「……私、どこまでいっても小市民なんですけど……」
だがSNSのトレンドには、また新しいタグが浮かび上がっていた。
『#竜神様に印税を』
――人々の祈りと悪ノリは、今日も世界中で更新され続けていた。
***
一方の救護課内では
「桐嶋、今日の昼当番な」
「えっ、またですか!? この前もカレー作りましたよ!」
「神様でも当番は当番」
「そーだそーだ」
仲間たちは相変わらずの調子で、彼女を“普通の同僚”として扱っていた。
世界が崇めても、課内ではお菓子を食べすぎて怒られる二十代。
その落差が、かえって莉理香を救っていた。
休日のとある日、莉理香はひっそりと神社を訪れ、石段を上り、手水で清め、柏手を打つ。
「……えっと、今日も無事に戻れました。ありがとうございます」
世界から祈られる“竜神”であろうと、彼女にとっては子供の頃からの習慣だ。
お寺にも神社にも参拝し、屋台で甘酒を買って笑う――そんな日常を手放すつもりはなかった。
胸奥でラギルが呆れ声を漏らす。
『……人から祈られ、自分も祈るとは……妙な竜神だな』
(だって、神社のお参りって気持ちが落ち着くんです。私だってお祈りくらいしたいんですよ)
『……フン。神に祈る神、か。まったく、お前らしい』
莉理香は小さく笑みをこぼした。
――世界から竜神と呼ばれても、彼女の歩みは変わらない。
普通の娘として、救護課員として、そして竜神として。
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