第39話 計器が示した異常性
――同時刻、日本。
榊は莉理香が海外派遣に出ている間も協会附属の研究棟にこもっていた。
窓の外はすでに夕暮れに沈み、帰宅した職員たちの気配が途絶えた廊下は、不気味なほど静まり返っている。
研究室の机には魔素計測器や術式補助具が並び、青白いランプが規則的に点滅していた。機械の脈動はまるで心音のように、彼女の鼓動を加速させる。
榊が取り組んでいたのは、特殊な術式の再現実験だった。
精霊契約の原理を応用し、外部の「存在」から一時的に力を借りて術式を安定させる――
その「存在」は、桐嶋莉理香に他ならない。
「……よし、やろう」
榊は深く息を吸い、机上の術式陣に手をかざした。
指先から伸びる魔素の糸が、遠く離れた莉理香との契約回路を通じて応答を返す。
それは精霊の囁きに似ていたが、同時に心臓の鼓動を二重に聞かされるような奇妙な圧迫感を伴っていた。
小規模な結界を展開する。
研究室の床に白光の線が走り、空気の振動が均一に抑え込まれていく。
榊は手帳を開き、数値を確認しながら冷静にペンを走らせた。
「ふむ……彼女が日本から離れていても安定度は良好。このままなら応用も――」
その瞬間。
計器のが大きく震え、徐々に出力があがり、やがて限界値を振り切った。
「なっ……!?」
直後、結界が爆発するように膨張し、壁際の本棚を揺らす。
研究室の空気が張り詰め、榊の髪が逆立つ。全身を叩きつけるような風圧に、思わず机に手をついた。
慌てて術式を解除する。計器の警告音が甲高く鳴り響き、赤いランプが点滅を繰り返す。
異常は数秒で収束したが、榊の心臓はまだ激しく跳ねていた。
「……今のは、なに?」
額に冷や汗を浮かべながら、榊は呟いた。
これまで莉理香から借りられる出力は一定で、上限が存在すると信じていた。
だが今の暴走じみた出力は、その前提を一瞬で覆した。
机上の計器はまだ震えている。
榊は唇を噛み、震える手でメモを取った。
「桐嶋先生に……何かが起きた?」
胸騒ぎが抑えられない。
榊は急ぎノートPCを開き、Web中継サイトに接続する。
映し出されたのは、インドネシア現地での記者会見。
仮設テントの舞台に立つ黒髪の女――桐嶋莉理香の姿だった。
彼女はマイクの前で少し緊張したように微笑み、記者の問いに答える。
「……のどがかわいたくらいですかね」
柔らかい声。小さく首を傾げる仕草。
そこにいたのは、ただの二十代前半の女性にしか見えない。
だが同時に――研究室で起きた異常は紛れもない事実。
契約回路を通じて感じた力は、明らかにこれまでの観測値を超えていた。
「……桐嶋先生、あなた……今、”何”を抱え込んだの?」
モニターの向こうで、彼女は子供の「ありがとう」を受け、はにかんで微笑んでいた。その笑顔は人間的で、無垢で、ただ救護員らしい温かさに溢れている。
けれど榊の胸には、説明できないざわめきが広がっていた。
契約越しに伝わってきた律動――それはまるで、もう一つの心臓が鼓動しているかのようだったから。
榊は知らない。
莉理香の竜核がダンジョン核そのものを吸収し、異質な力を己に馴染ませつつあることを。
ただ、研究者としての直感だけが叫んでいた。
(――何かが大きく変わった!)
榊はペンを握り直し、ノートに荒々しく記した。
「出力急増。契約回路の拡張か? 供給源に変化??」
視線を再びモニターに戻す。
莉理香はまだ、画面の中で無邪気に笑っていた。
だがその姿と、机上に叩きつけられた異常値との乖離が――榊の背筋を、冷たく締め付け続けていた。
***
ダンジョン核の崩壊から一夜。
スラバヤ市内のホテルに待機していた救護課のもとへ、テレビとネットの波が絶え間なく押し寄せていた。
「――現地時間午後八時、日本から派遣された救護課員・桐嶋莉理香氏が、火山とダンジョンの複合災害を鎮圧しました」
「目撃者は彼女を“氷の女神”と呼び、避難民は涙ながらに感謝を述べています」
画面に映るのは、冷気の奔流が炎を呑み込み、白銀の嵐が魔物を瞬時に凍り砕く光景。
そして極めつけは、夜空に散る流星群のような降り注ぐ破壊の閃光だった。
編集された映像はまるで神話の再現。奇跡のように演出され、世界中に拡散していった。
だがチャンネルを変えれば、まったく別の論調が飛び込んでくる。
「一個人が、都市そのものを救うほどの力を行使した。だが同時に、その力の行使の裁量が個人に委ねられるのは如何なものか?」
「軍事専門家の一部は、“新たな単独運用可能な大量破壊兵器の登場”とまで評しています」
スタジオに映し出されたのは、冷気に覆われ砕け散った魔物の死骸。
その映像の下に表示された字幕は、《怪物か救世主か》。
重苦しい空気の中で、専門家が議論を交わしていた。
「仮に国家間の緊張が高まったとき、もしこの力が他国に向けられたらどうなるのか」
「いや、そもそも彼女は医師であり、救護員です。軍人ではありません」
「しかし現実には軍より強大な力を持つ個が存在する。それをどのように運用するかは、すでに国家安全保証の問題です」
テレビの論調は賛否真っ二つ。
一方でSNSはさらに混沌としていた。
配信をリアルタイムで見ていたネット民たちが、一斉に書き込み、タグが乱立する。
『#救世主』
『#怪物』
『#氷の女神』
『#氷結竜』
『#戦略級兵器』
タイムラインは賞賛と恐怖で真っ二つに割れ、互いに罵倒を飛ばし合う議論が延々と続いていた。
『国際社会にとっての希望なんだよ!』
『いやいや、ただの戦略級破壊兵器。怖すぎるだろ』
『日本の誇り!』
『むしろ世界の脅威。監視下に置くべき』
『でもあの笑顔、どう見てもただの女の子じゃん』
コメント欄は祝福と警戒と揶揄が入り乱れ、数分ごとにトレンドが塗り替えられていく。
世界中の人々が、彼女の存在を“語らずにはいられない”状況になっていた。
用意されたホテルのベッドに腰掛けた三浦が、スマホの画面を眺めながら深いため息をついた。
「すごいねぇ……女神だの怪物だの、好き勝手言ってる」
彼女の声には呆れと、どこか苦い笑みが混じっていた。
山崎がベッドに背を預け、肩を竦める。
「まあ、俺たちにとっちゃ“いつもの桐嶋”なんだけどな。素手で殴って、ちょっと冷気出して……、でも今回の最後のはあれは確かにやばかったな」
「ちょっと、じゃ済まないでしょ」
三浦が苦笑しつつ言葉を挟む。
「でも、映像だけ見れば……やっぱりもう、人間やめてるように見えるかもね」
その場に沈黙が落ちた。
三人の視線が、自然と窓際へと向かう。
そこでは――
当の本人が、コンビニ袋を広げてポテトチップスをぽりぽりと齧っていた。
さきほどまで“女神”だの“人間兵器”だのと世界で議論されていた存在は、いま目の前で「うまっ」と呟いている。
「……ん? なんです?」
首を傾げて見返してくる彼女に、仲間は一瞬、声を失い――そして耐えきれずに吹き出した。
「いや、なんでもない」
「ほんと、どこが怪物だよな」
笑い声が小さく弾ける。
外の世界がどんなレッテルを貼ろうと、救護課にとっては――桐嶋莉理香は、いつも通りの仲間だった。
ポテチの袋を抱えながら、莉理香は「次これ食べます?」と真顔で差し出してくる。
三浦が「いや遠慮しとく」と答え、山崎が「俺はもらう」と手を伸ばす。
そのやりとりは、あまりにも普通で、あまりにも平和だった。
しかし、誰もが心の奥底で知っている。
彼女は人類がまだ持ちえぬ“力”を宿してしまったのだと。
笑顔の裏に潜むその事実を、仲間は見て見ぬふりをするしかなかった。
テレビからは、まだ論争の声が響いていた。
「強大な力を持つものの管理は――」
けれど、救護課の小さな宿泊室にあるのは、ただ仲間たちの笑いと、袋をかさかさ鳴らす音だけだった。
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