第十九話 高木港前観光駐車場 side:七瀬華
「このエビフライ、凄くプリプリしてる」
卜井さんの感激した声が聞こえる。
「イカのお刺身も、なんか甘みがあるよ。普段食べているのと全然違う」
遠藤さんも、感動している。
「もしかして、先生たちがお金出してくれたんじゃないかな。旅行代の範囲内とは思えない」
佐藤さんが、ちらりと私たちの方を見る。
流石、サークルの代表だ。
実際に、ここ高木港の食堂の昼食代は、私と美月先生、大山先生の三人で折半している。
九人の団体で一人二千円弱。
懐が痛くないと言えば嘘になるが、こうして地のものを、喜んで食べている姿を見ていると、こちらまで嬉しくなってくる。
佐藤さんと目が合った私は、優しく微笑んだ。男子生徒たちのテーブルを見ると皆、黙々と食べていた。
大山先生と目が合うが、大山先生も黙々と食べていた。朝の一件以来、私自身、何と声を掛けたらいいのか、よく分からないでいる。
私たちのテーブルにも沈黙が流れていた。
「そのスカート、どうしたんですか。なんか素敵だなと思って」
不意に美月先生が少し身を乗り出して尋ねてくる。
静江さんから頂いたシフォンスカートの事だ。
「これは、その。女将さんが、ご厚意でくれたものでして」
私は、おずおずと答える。
大山先生が隣でご飯を食べている手前、どう答えたものか。
大山先生の箸が止まる。
「えっ。うちの姉貴が?七瀬先生、また何か変なこと吹き込まれませんでしたか」
「それは、どういう意味でしょうか」
「えーと。その、姉貴から『七瀬さんのこと、宜しくたのむわね』と、出発前に意味深な感じで言われたので、何かあったのかと。昔から、お節介焼きなので、面倒なら断ってもいいですよ」
大山先生は頭をかきながら、説明してくれた。
そう言う大山先生にも、出し惜しみせずにお節介を焼いてくるところがあるように私は思う。先ほど感じていた気まずさは、たちまち消えていき、やはり、姉弟は似ているのだと思って、少し微笑ましかった。
「大丈夫です。凄く親切な優しい方だと思いました。本当に助かっています」
私は本心から、しっかりと大山先生に伝えた。
食事を大半平らげたあたりで
「七瀬先生、お手洗い、行っておきませんか?」
美月先生から、誘いがきたので、私は誘いに乗って、食堂の化粧室に連れ立った。
「七瀬先生。
と言って、そそくさと個室にこもった。
一体、何が言いたかったのだろうか。私は疑問に思いながら、鏡で化粧崩れがないかをチェックし、スマートフォンで、その言葉の意味を調べた。
昼食を終えて、私たちは大野旅館のマイクロバスを停めている観光駐車場に向かった。
今日の午後の予定は、『高木町資料館』を訪問した後、『たかぎ深海生物のミュージアム』に行く予定だ。今、午後一時を少し過ぎたくらいだ。飼育員の沖田さんとのアポイントは午後二時半。沖田さんとの面会の後は水族館周辺を自由に散策して、夕方には、マイクロバスで旅館に帰るという流れだ。
資料館は、ここから徒歩圏内ではあるが、水族館が少し遠いので、マイクロバスで資料館まで行って、資料館の駐車場から水族館に向かう計画だ。
私たちが駐車場に向かっている途中で、プッというクラクションの音が鳴った。
白の軽自動車のパワーウィンドウが下がる。
私は、そこから覗いた顔にゾッとした。
「どうも。大山先生。これから、学生さんたちと観光ですか」
樹先生がにこやかに大山先生に挨拶する。
助手席には変わらず無表情の山根さんが座っている。
今は二人とも私服だ。
山根さんの服装は、ノルディック柄のオレンジのセーターにジーンズという、何だかテレビで見るような『昭和』がそのまま表現されていた。顔立ちは決して悪くないと思うのだが、厚化粧と服装で台無しになっている。そして、髪型は無造作なポニーテールだ。
反対に樹先生は上質な紺色のコートに身を包んでおり、少しあか抜けた都会的な出で立ちだった。
「えぇ。そうですけど。樹先生は、お出かけですか」
大山先生は、答えた。
「そうなんですよ。山根君が十一月にうちに来てから、クリニックが忙しくて、ろくにこの土地の紹介が出来ていなかったので、この年末年始のお正月休みに、色々と廻れたらなと思って、張り切って来ちゃいました」
樹先生は屈託ない笑顔でそう答えた。
「それで、厚かましいお願いなんですが、山根君も皆さんと同じように観光に参加させていただいてもよろしいでしょうか。きっと、年の近い学生さんたちと交流できると、彼女の症状も改善されると思うんです」
樹先生は大胆な提案をしてきた。私なら、遠回しに断るが、あくまでも話しかけているのは大山先生なのだ。私がしゃしゃり出るのは不自然だ。これも計算なのだろうか。
「山根さんって、病気なんですか」
大山先生は、樹先生に尋ねる。
「えぇ。自閉症みたいなものです。復帰支援のためにクリニックで軽い仕事を手伝ってもらいながら、こうやって色々な活動に参加してもらおうと日々奮闘しています」
樹先生は遠い目をしながら言った。
「そんな事情があったんですね。いいですよ。是非同行してください」
大山先生は善意から、そう答えた。
「七瀬先生も、いいですよね」
大山先生の言葉を押しのけるほどの、樹先生の提案を断る明確な根拠が私には無かった。
一体、なぜついて来ようとするのか、樹先生の目的が見えてこない。
しかし、このまま予定通り、観光すると、良くないことが起こる。
私の直感が警鐘を鳴らす。
いったいどうすればよいのか、私はぐるぐると思案を始めた。
協力者。
やはり、前の虫捕りが成功した時のように協力者が必要だ。もはや、私一人で、どうにかなる状況ではなくなってしまった。
相手は少なくとも三人。
樹先生、ミハエル、そして山根さん。
ミハエルの気配が全くないのが不気味だ。身長の高い異邦人なので、町中にいれば、彼は目立つ存在だ。建物かどこかに身を潜めているのかもしれない。
樹先生は山根さんと常にセットで行動しているように見える。いつきクリニックのスタッフの会話から察するに、ほぼ二十四時間、一緒に行動しているという事だろう。
私の中で、バラバラだった点が一本の線につながる。
あの洋館の男が、樹先生ならば、『シェイプシフター』もとい、松井美弥は、山根美魚ということになるのではないか。
あの厚化粧も服装も、死人であるはずの松井美弥が形を変えて生きているという事を隠す擬態なのだ。
洋館の男の愚痴を思い出すと、かなり、松井美弥に手を焼いていたようだった。
目を離すと、何かの拍子にどこかにフラフラと身投げをしにいく。
何となく、ワンオペのママさんのように思えた。早くに結婚した私の友人も似たような事を愚痴っていた。
つまり、相手側には余裕が無いという事。
私を始末し損ねて、内心焦っているのかもしれない。
それでも、姿が見えないミハエルが不気味だ。もし、見境がなくなれば、生徒たちが人質に取られるなど、直接、危害が及ぶかもしれない。
できる限り、私の手が届く範囲まで人数を絞る必要がある。
あとは、山根美魚が、人間ではなく『シェイプシフター』であるという証拠を得て、相手より優位に立てば、私の生存率は高まるかもしれない。
そして、私を狙っているとして、なぜ、こんなにもタイミングよく、この場所で樹先生が声をかけてきたのか。私たちの旅程は、ミハエルも樹先生も一切知らないはず。旅館の関係者が教えたのか、あるいは……。
「先生、出発前にお手洗い行ってきてもいいですか」
佐藤さんが、ぶつぶつ考えている私に声をかけてきた。
そうだ。このタイミングだ。このタイミングで作戦が立てられる。
「すみませんけど、私もお手洗いに行ってもよろしいですか。美月先生も、行っておかなくて大丈夫ですか」
私は、大山先生にそう言って、それとなく、美月先生もトイレに誘った。
「あぁ、私も行きます」
そう言って、美月先生はついてきてくれた。
車から降りた山根さんを見たが、ついてくる気配はない。
私と佐藤さんと美月先生の三人で何とか切り抜けよう。
私は腹をくくって、私のこれまでの状況を開示することにした。
「七瀬先生、もしかして、大山先生とのことですか」
美月先生が楽しそうに話しかけてくる。
「いえ、そういうことではなくて。私の命が危ないかもしれないんです。信じられないかも知れませんが」
私たちは、化粧直しをしながら話していた。
程なくして、佐藤さんがトイレから出てきた。
「佐藤さん、ちょっといい?大事な話があるの」
私は佐藤さんを呼び止めた。
「実は私は、今朝、竜宮淵で、失踪したという噂のYouTuberが見た幽霊と呼ばれるものを目撃して、淵に落とされたの。それで森を彷徨った末に洋館の中で、あそこにいる樹先生とその幽霊がやり取りしている所を見てしまって。監視されているみたいな、そんな感じになったの」
私はシェイプシフターのことは伏せて、手短に今朝の状況を説明した。
「えっ。七瀬先生、見ちゃったんですか。あの幽霊」
佐藤さんの大きな目が見開かれる。
「えぇ。はっきりとした理由は分からないけど、幽霊に近づきすぎた者は消されるかもしれない。だから、私に万が一のことがあるといけないから、できる限り、樹先生が見ている間は、分散して行動するのが良いと思うの。先生一人に対して生徒二人みたいな配分で」
もし、生徒を守る必要が出てきた場合、人数が多いと対処が難しくなる。幸い先生は私を含めて三人、生徒は六人。ちょうどよい配分だ。
樹先生は、おそらく私を狙っている。それに、山根さんは樹先生と共に行動するはずだ。女子トイレに入ってこなかったのも、自らの意思で行動しないことを物語っている。
ミハエルが今何をしているのか分からないが、少なくとも、私が樹先生を引き付けて、他の先生と生徒たちには別行動をとってもらうのが一番安全だろう。
「それじゃ、午後の予定を二組に分けたいと思います。私と佐藤さん、飯田君の三人で高木町資料館へ。そして、美月先生と大山先生、残りのサークルメンバーで水族館へ行ってください。美月先生。水族館の飼育員の沖田さんとはアポイントを取っていて、二時半に水族館の入り口付近で待ち合わせになっています。献栄学園の七瀬という名前を出していただければ通じると思いますので、よろしくお願いします」
私がそう説明し終えると、「ラジャー」という声とともにビシッと美月先生は敬礼した。
そのユーモアに私の緊張が少しほぐれた。
「そして、佐藤さん。あなたには重要な役割をお願いしたいの。それはね……」
そう言って、佐藤さんに私の計略を伝えた。
これが上手くいけば、山根さんが人間でないという証拠を得ることができる。
あとは、樹先生の反応をよく見て、何とかこの、命が狙われる状況から抜け出す糸口を見つけるのだ。
私は、そう自分に言い聞かせた。
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