第10話 模倣の連鎖

 午後6時42分。

 湾岸の倉庫街。看板の消えたプレハブの前で、伊吹藍は緑のデリバリーバッグを背負い直した。バッグの中身は空だが、昨日の餃子の匂いがまだ生きている。


「配達でーす。冷めてるけど、心は熱いっす」

 門番が半眼で見上げる。「伝票は」

「置き配指定。『景品撮影ブース前に置いて自撮り、タグは#三角チャレンジ』って」

 門番は一拍、ため息をついて鍵を開けた。「最近そればっかりだ」


 中は薄暗い。棚に小箱がぎっしり並び、ラベルには「三角ビット」「封緘(旧)」「記念プレート」。壁の一角には光量の強いリングライト、背景はインダストリアルな偽レンガ。

 志摩一未の声が骨伝導イヤホンから落ちる。

『位置OK。左の棚にカメラ。死角は、リングライトの下』

「了解。ライト、似合うでしょ俺」

『似合わない。喋らない。30秒で写真、回収物最優先』


 伊吹はリングライトの前にバッグを置くふりをして、背景布の陰にしゃがんだ。足元の箱に、素人撮影用のPOPが入っている。

《#入口チャレンジ #回した! #5万円》

 軽い舌打ちが喉の奥で小さく鳴る。

 棚のさらに奥、無造作に積まれた封緘シール。角が丸い“旧”。室井工具の納品印。

 伊吹は素早く数枚を胸元に滑り込ませ、もう一方の手で小箱を開けた。中には安物の三角ビットが束で。

『写真』

 志摩の声に合わせ、棚、封緘、POP、リングライトを数カット。

『OK。外へ』

 そのとき、フォークリフトの警告音が近づいた。

「おいそこの兄ちゃん!」

 伊吹は反射でバッグを肩にかけ、笑顔を貼る。「配達、置き配でー」

「撮影ブースは今から配信だ! 部外者出ろ!」


 配信。

 伊吹は背中の汗が一瞬冷える感覚を覚え、踵を返した。出口に向かう途中、壁のホワイトボードに書かれたスケジュールが目に入る。

《20:30 前説》《21:00 抽選》《23:30 本当の“1分”予告》

 マーカーの端に、落書きのように小さく《矢代確認》とある。

『志摩、見えた。“本当の1分”、23:30』

『受けた。こっちも動く』


 同時刻、街の反対側。

 益田咲良は、古い市場の休憩所でスマホを2台並べていた。ひとつは〈リンク・ロード〉のグループ通話、もうひとつは「入口サイン隊」専用。

「明日の朝、担当エリア増やします。市場、病院、保育園に“見える人”を2名ずつ。掲示は『入口は顔』と『顔』の2種類」

「粉が見えたら?」

「触らず写真。《△0》が書いてあったら迷わず引いて、警察に連絡。いいですね」

 通話の向こうで、若い声が「了解っす!」と重なる。

 咲良は机に置いた油性ペンで、A4の紙に太い文字を書いた。

《顔》

 ただの1文字が、薄明かりの中で不思議な強さを持って見えた。


 午後7時18分。

 志摩は本部の仮設オペ室で、2つの時間軸を重ね合わせていた。

 左の画面は、市内の可視化ランプの発光ログ。

 右の画面は、“入口チャレンジ”掲示板の投稿タイムライン。

 カチリ。

 点が、ほぼ完全に同期して並ぶ。発光ログが点いた時刻に、同一エリアから「回した!」の報告。IPはバラバラに見えるが、メタデータの“最後の跳ね先”が同じ。匿名フォーラムの裏に隠れたまとめサーバの固定IP。

「……Laundry-AP?」

 ホスト名に洗濯機のアイコン。登録事業者はコインランドリー。

『九重、洗濯屋。すぐ打てる?』

『地図出す。ランドリーは3軒候補。うち1軒の裏壁にポールアンテナ。固定IPのレンジに合う』


 午後8時01分。

 倉庫の裏口。伊吹が息を整えて出てくる。餃子臭がさらに強くなっていて、彼は顔をしかめた。

『回収は上々。……で、匂いが強い』

『知ってる。誰のバッグだと思ってる』

「俺のじゃねぇ」

 軽口を交わしながら、伊吹は回収したPOPをバイクのボックスに押し込み、封緘と三角ビットを証拠袋に入れた。

『配信は20:30から前説、23:30に“本当の1分”。場所のヒントは?』

『ハッシュの中に「#風の祭」「#旧市街」「#提灯」の3つ。矢代は人の流れを利用する』

「人の流れは、止めない」

『止めない。止めさせる。段取りで』


 午後8時29分。

 倉庫の側面扉が開き、リングライトの光が外に漏れた。「ようこそ三角チャレンジへ!」誇張された声がスピーカー越しに響く。

 伊吹はバイクの陰に身を寄せ、スマホで配信画面を開いた。男の顔は見えない。手のアップ、三角ビットの束、ガチャガチャのカプセル。

「回すのは自己責任! でも動画が伸びれば5万円!」

 チャット欄が荒れる。《やった!》《場所どこ》《矢代さん神》

 矢代。

 志摩の声が低く落ちた。

『特定完了。まとめサーバは港北「ランドリエイト」。裏に小型ポール。捜査令状、申請中。伊吹、今は触るな。23:30まで、動線を抑える』


 午後9時14分。

 市場の休憩所。咲良は電源コードを延ばし、ラミネーターを温めていた。紙を差し込むと、透明フィルムの中で1文字が濃くなる。

《顔》

 テーブルの端では、オレンジベストの青年が掲示板アプリに書き込む。《明日6:00、市場入口2名配置完了予定》

「ありがとう。あなたたちが見える人だと、入口の空気が変わります」

 青年は照れ笑いをし、ペンを取って自分の手の甲に小さく《△0》を書いた。「これ、かっこいいっすね」

「かっこよくはない。触るなって意味です」

「はい、触らないっす」

 咲良は笑ってから、急に真顔になった。「でも、声は出して。入口は顔です、って」


 午後9時57分。

 ランドリエイト。店内は白い蛍光灯、乾燥機が規則正しく回り、洗濯物が丸窓の向こうで踊っている。

 ガラス戸を押して入る男に、店員の若い女性が会釈をした。

 ——伊吹だ。青いエプロン、キャップ、名札には「いぶ」。

「洗剤補充しまーす」

 店の奥、スタッフドアの先はすぐ狭い裏庭、さらにコンクリ壁。そこに、灰色の箱と細いポールアンテナ。

 伊吹はモップを持って床を拭くふりをしながら、スマホのカメラを腰の位置で水平に保った。

 志摩が静かに囁く。

『裏の箱、型番は——よし、固定IPと一致。写真3枚。ケーブルの行き先、右下の穴。OK、出ろ』

「洗剤、詰め終わりまーす」

 伊吹は振り返り、乾燥機の丸窓に映った自分のエプロンの汚れに眉をしかめた。「志摩、俺の偽装、似合わない?」

『似合わない。早く出ろ』


 午後10時23分。

 本部のスクリーンに、可視化ランプの信号が点々と灯る。南西の翼、2カ所で短い点灯。

 杏からメッセージ。《差分記録、保持。滑らか化は抑制せず》

 志摩は時計を見た。「23:30まで1時間強。矢代は『提灯』『旧市街』『風の祭』」

「祭りの提灯、旧市街……」九重が地図を広げる。「3年前から再開した“風の祭”。換気塔と商店街の通りを提灯で繋ぐイベント。会場内に“通気口が顔出し”してます」

「顔出し」

 咲良の言葉が、通話で重なる。「そこ、私たちも行きます。掲示と“見える人”を先に立てます」


 午後11時08分。

 旧市街の通りは、赤い提灯が風に揺れ、人の波が緩やかに往来していた。露店の綿飴、子どもの笑い声、遠くで祭囃子。

 通りの脇に、低い通気口が数カ所。金属の格子。

 九重は地図を片手に、通気口の前に白いチョークで《△0》を小さく書いた。「触るな」

 咲良は掲示を貼り、オレンジベストの“見える人”を半円状に配置する。

 掲示の中央には、ラミネートされた1枚。

《顔》

 通る人が、ふと目を留める。

 その一瞬の視線が、空気を変える。

 志摩は通りの外れでクルマを停め、無線のチャンネルを揃えた。「全員、23:30に向けて“段取り”通り。止めないで、止めさせる」


 23時29分。

 提灯の明かりが風にざわめき、音楽が一瞬だけ途切れたように感じた。

 九重がイヤホンを押さえる。「風向き、北東から南へ」

 可視化ランプの仮設ユニットが、通気口の影で小さく光る準備をしている。

 咲良は一歩引き、周囲の視線を掲示へ誘う。「入口は顔です。見ています」

 子どもが「かお!」と真似をして笑った。

 伊吹は人混みの中を滑るように移動し、三角ビットを握った若い手を2本、そっと右にずらして「露店の列、こっちが流れ早いよ」と笑いかけた。

 若い手は何が起きたかわからないまま、列の最後尾に戻っていく。


 23時30分。

 通気口の前。灰色の帽子が、格子の向こうを一瞬だけ見た。白いテープの親指は、三角頭に触れない。

 可視化ランプが——点かなかった。

 志摩が息を吐く。

 提灯の影から別の影が飛び出す。顔を隠した男、三角ビット、カプセル。

 伊吹がステップを2つで詰め、男の肩を軽く押す。「危ないよ。こっちは風の通り道」

 男はよろめき、手からカプセルを落とした。中身は空。単なる“撮影用”。

 九重が別角度から写真を撮り、時刻と座標を送信。

 人の流れは止まらない。

 可視化ランプは、光らないまま。

 掲示の前で、風が緩んだ。


 配信画面が遅れて切り替わる。

《本当の1分、見せます》

 声は興奮しているが、画は何も起きていない通気口を映していた。

 チャット欄がざわつく。《どこ》《まだ》《遅延?》

 志摩が静かに笑った。

「“本当の1分”は、見えると止まる」


 画面のテロップが乱れ、通信が一瞬途切れる。

 その隙間で、志摩のスマホに1通の通知。

《捜査令状 発行》

 ランドリエイトの裏庭。小さなポールアンテナの根元に、青いシールが貼られる。

 矢代のまとめサーバへ、静かに手が伸びた。


 通気口の前。

 灰色の帽子が、掲示の前で立ち止まる。

 その下の1文字——《顔》——を見て、ほんの少し、顎を引いた。

 黒田巌は、ビットをポケットにしまった。

 提灯の列の向こうで、子どもが「かおー」ともう一度笑い、手を振った。

 都市の呼吸が、ほんの一段深くなる。

 23時41分。可視化ランプは、光らない。

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