第6話 異界ーエンデー 夜を渡る者

夜の森は、まるで息を潜めていた。

月光が梢の隙間を縫い、地面に淡い模様を落とす。


修は膝をつき、静かに呼吸を整えた。

風が止み、世界が一瞬、音を失う。


鞄から一本の棒を取り出す。

金属とも木ともつかない、鈍い灰色の棒。

長さは二十センチ。

同じものを二本、三本と並べる。


ー組み立てるんだね。

「ああ。こいつの出番だ」


修は短く答え、三本を手際よく連結させた。

棒の表面がわずかに光を帯びる。

最後に、十センチほどの取手棒を取り出し、

一本だけ空いていた穴に押し込み、ひねる。


「――ガチッ」


澄んだ音が、夜に響く。

一本の“トンファー”が、形を成した。


ー……何度見ても、よくできてるよね

「異界渡り七年の集大成だ」

ー七年……か


修はかすかに笑う。

それは誇りではなく、

幾つもの世界で“帰る”ために磨いた結果。

魔術、錬金術、機械工学。

異なる理を無理やり繋ぎ、矛盾を押さえ込んで作られた、

彼自身の旅の証。


「じゃあ、始める」


修はトンファーを地面に突き立てた。

青白い波紋が地を這い、森の奥へと広がる。

音は無い。

けれど確かに、“何か”が応えた。


ー反応、南東。二十メートル先。

「一匹か」

ーうん。獣の気配。殺気はないけど、速い。


修はトンファーを引き抜き、

音もなく走り出す。


落ち葉が舞い、風が裂ける。

視界の端、光る二つの瞳。

角を持つ兎――アルミラージ。


その瞬間、修の身体が消えた。


「――フッ!」


鈍い音とともに、兎の身体が崩れ落ちる。

鳴き声はなかった。

トンファーを払うと、血は霧のように散った。


「よし、一匹」

ー流石。やっぱり人間離れしてるよ。

「慣れだ」


修はナイフを取り出し、手際よく捌き始めた。

血の臭いが夜風に溶けていく。

レイラは周囲を見回しながら、何かを感じ取ったように眉を寄せる。


ー……修。右の茂み。何か、いる。

「追手か?」

ー違う。動かない。……でも、“生きてる”感じでもない。


修はナイフを拭い、立ち上がった。

静かに近づくと、月明かりがその姿を照らした。


それは、人だった。


正確には、“人だったもの”。

焦げた衣服、崩れた手足。

胸のあたりには、青い痕が残っている。

まるで、空間そのものに焼かれたような痕跡。


「……異界渡りの失敗体だ」

ーホントに……?

「ああ。見覚えがある。

 座標同期に失敗して、転位の途中で弾かれたんだ」


レイラの声がかすかに震えた。

ーまさか、他にもいたの?

「この世界、異界化が進んでる。

 渡りが増えれば、失敗も増える。

 でも……これは、最近だな」


修は屈み込み、残骸に指を触れた。

冷たい。けれど、完全には消えていない。

かすかに、残留魔力が流れている。


「まだ“閉じて”ない。

 ……つまり、開いてる」

ーポータル?

「ああ。どこかに、まだ繋がってる」


夜風が揺れた。

森の奥から、何かがこちらを覗いている。


ー修……。

「分かってる」


トンファーを構え、修は暗闇の奥を見据えた。

そこにいる“何か”が、彼らの次の試練であることを、

もう、確信していた。

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