第22話 軍事基地

「お兄ちゃーーーーん!!!」


 悪い夢でも見ていたのか、目を覚ました瞬間、冷や汗が額を伝っていた。

 隣では戦車っ子が両腕を小鳥のようにバタバタさせ、あわあわと口をぱくぱく開閉している。


「お姉ちゃんたちがいなくなったよ!」


 俺は運転席から転げ落ち、床に頭をぶつけた。


「は……?」


 慌てて立ち上がり、船上を見渡す。ナデシコもマインも見当たらない。

 真っ先に後部のキャビネットを確認すると──非常用のモーター付きボードが消えていた。


 ……やられた。

 

 あれでは長距離航行は無理だが、ここから肉眼で確認できるオアフ島までなら到達できる。


 まさか、こんなに早く強硬手段に出るとは。

 「強要はしない」と言っていたのは口先だけだったのか。

 少しでも信用した俺が馬鹿だった。


 まさかマインを無理やり連れ去ったのか?

 だが水に入れば目を覚まし、助けを呼ぶはず……。


 俺は物陰や倉庫をしらみつぶしに漁った。


 ──どこにもいない。


 猿のぬいぐるみも消えていた。

 もし強引に連れ出されたのなら、あれを持ち出す余裕はないはず。

 マインは自分の意思でナデシコについていった可能性が高い。

 そこに気づいた瞬間、頭に昇っていた血が一気に引き、冷静さを取り戻す。


 敗因ははっきりしている。


 ──俺が、マインの信頼を勝ち取りきれていなかった。


 それだけだ。


 ナデシコを恨むのは筋違いというもの。

 彼女は彼女の目的のために最善を尽くしたまでだ。


 今やるべきことは一つ。

 この失敗を覆せるほどの結果を叩き出し、現状を打破する。

 そのために必要な行動は、何一つ惜しまない。


「俺たちも行こう。マインを連れ戻しにいくんだ」

「あいあいさー!」


 ボートを全速力で走らせ、俺たちは陸地を目指す。

 もし近くに隠された秘密基地があったらお手上げだが、主要な軍事基地の位置は授業で叩き込まれている。

 非常脱出用ボードで辿り着ける距離にあるのは一つだけ。

 二人が向かったのは、ほぼ間違いなくその基地だ。


 現状の戦力ではアメリカ軍に勝てないが、いざとなったら、戦車っ子の中に避難すれば逃げ切れる。

 今は難しい作戦を練るより、マインを連れ戻すことだけを考えよう。

 できればナデシコも引き入れたいところだが、俺あh彼女の過去や事情を何ひとつ知らない。

 説得の材料がない以上、望み薄だな。


「静かだね、お兄ちゃん」

「そうだな」


 海上は気味が悪いほど静まり返っていた。

 俺たちのボート以外の船影はなく、陸地が近づいてもその異様さは変わらない。

 快晴で水泳日和だというのに、ビーチには人の姿が一人もない。

 まるで、生物が死に絶えた並行世界に迷い込んだかのようだった。


 危機感が警鐘を鳴らしている。

 だが引き返す選択肢はない。

 この先にはマインがいるのだ。


 やがて岸壁にボートを停め、戦車っ子と共に基地の中へ踏み込む。

 本来なら警備兵が何十人もいるはずだ。

 だが、どこを見ても人影がないので、あっけなく侵入できてしまった。


 胸の奥で嫌な予感が膨らんでいく。


 滑走路を駆け抜け、まずは司令部を目指す。

 人が残っているとすればそこだ。

 窓が規則正しく並ぶ建物は兵舎。窓が少なく無骨なのは倉庫。

 となれば、比較的立派な外装をしたあの建物こそが司令部のはずだ。


 しかし──


 静かすぎる。


 野鳥の一羽や二羽なら見かけるが、人間の気配はまるでなかった。

 罠なのか?

 アメリカが俺の存在に気づいているとは思えないが、先に着いたナデシコが告げ口していたとしたら……。


 しかし、ひよっこスパイ一人を捕まえるために、ここまで大掛かりなことをするだろうか。

 もしや、この基地そのものが……捨てられている?


 考えていても埒があかない。俺はとにかく足を進めた。


 司令部らしき建物の扉は半ば壊されていた。

 ガラスは叩き割られ、カードキーセンサーは暗く沈んでいる。

 電気が止まっていたから、物理的に破壊して入ったのか。

 ナデシコの仕業かもしれない。


 俺と戦車っ子は建物の中へ足を踏み入れる。


「お兄ちゃん……ちょっと怖いね」


 戦車っ子がぶるぶる震えながら俺の腕にしがみつく。


「危険を察知したら、俺に構わずさっさと戦車になるんだぞ」

「うん」

「俺が倒れたら全力で逃げろ。走り続けていれば、いずれ校長が見つけてくれる」

「それは……いやだ!」


 俺を見捨てるのが嫌なのか。校長に見つかるのが嫌なのか。

 おそらく、その両方だろう。


 司令部の中は、舞花が掃除してくれる前の俺の部屋のように散らかっていた。

 倒れた花瓶。床に散乱した書類。

 机の上には、まだバッテリーが生きているノートパソコンがスクリーンセーバーを映し出している。

 最近まで人がいたということだ。

 これほどまでに散らかしたまま逃げたのだから、よほど慌てていたに違いない。


「よう、トロイア。やっと来たな」


 一番奥のオフィスチェアに腰をかけ、不敵な笑みを浮かべていたのは──ナデシコだった。

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