柘榴を啜る ③

 歳月が過ぎていくと、これまでの比ではないほどにわたしは衰弱していきました。

 咳が止まりません。寒気もしています。

 おそらく、もう長くは生きられないでしょう。


 浪にどうかお願いして、人屋の外へと連れ出してもらいました。彼は一言も断りませんでした。

 わたしを背負って、とんと軽やかに人屋から抜け出します。


「教会の裏手に丘があるの。そこから見られる海がとても綺麗なんですよ。そこまで連れていってほしいんです」


 浪はわたしを背負ったまま軽やかに走りました。その足のなんと速いこと! まるで鳥のように空だって飛んでみせます。

 びゅうと風の音で駆け抜けていく、まるで馬脚。こんな清々しい気持ちになるなんて、もう随分と久しぶりでした。これが浪の生きてきた世界なのですね。


 あっという間に辿り着いた丘で背中から下ろしてもらいます。

 そこには不快なにおいが立ち込めておりました。浪でさえ顔をしかめているほどに。


「本当にここなのか?」


 浪の問いに、わたしは弱々しく頷きます。


「ごめんなさい、浪、しばらく一人にしてもらえませんか?」


 浪はなにも言わず、林の向こうへ去っていきました。


 丘からは青い海が綺麗に見えています。

 きらきらと太陽の光が反射していて、この眺めがなによりの供花のように、この場所には北上の墓が置かれていたはずでした。

 それがいまとなっては見る影もない。

 土はすべて掘り返され、獣の糞尿場と化しています。墓石も、副葬品や遺骨さえ余すことなくすべて、寄生凪によって売り払われてしまっているのです。


 それならわたしは、死んだあとで、どこで眠りに就くのでしょうか。


 わたしは人屋から持ち出してきた紙とペンで、浪への文をしたためます。女吸血鬼カーミラの栞にしていた宝物、いつか大人になった日につけようと大切にしていた緑石のピアスも一緒に封に入れて、ぎゅっと握り締めます。

 怒りや悲しさよりも、わたしにはただひたすらに虚しい。

 泣くこともできず、力なく膝を折り、浪に宛てた文を手放してしまわないようにしっかりと握り締め、かえってその感触だけがわたしという個人を繋ぎ止めていて、両親の厳しさや使用人たちの優しさ、この神野の村で過ごした、いまは遠い幼少十一年をわたしに思い起こさせました。


 わたしはおのれの顔を岩に打ち付けました。

 打ち付けて、何度も、何度も、何度も。口が裂け、鼻が折れ、額が割れ、頬肉がすり潰れ、柘榴の実のように血が溢れます。柘榴の実のように、とめどなく溢れる血がわたしを溺れさせました。

 顔の感覚はすぐに失い、激痛がさらに外側まで広がっていきます。

 わたしから溢れた血もどろどろと広がって、丘の緑を塗り潰し、墓を掘り返された土を飲み、そして丘から滴り落ちて教会の屋根まで真っ赤に染め上げていきました。

 この遠大な感覚のどこまでがわたしなのか判別がつきません。幾たびも打ち付けて、この顔など失くなってしまえと、幾たびも打ち付けて、この顔など失くしてしまえと。岩肌に埋もれた顎を起こそうとさえできなくなると、ああ、もうすぐそこに死が迫っています。

 この瞳は真っ赤に染まって、そのあとは真っ暗になって、混沌に呑み込まれて鮮明な痛みだけを感じながら、うっすらと柘榴の味がします。

 柘榴の汁をすすり、喉の渇きが癒えていきます。


 握り締める文の感触は、まだわたしに残っていました。


 わたしは大罪を犯しました。みずからを殺めるという間違いを。


 結局最期まで愛することは叶いませんでしたが、それでも大切な浪。あなたはわたしの子。あなたが持つたった一つの不幸は、この北上汐恩という女の胎から産まれたこと。わたしによく似たかたちの浪。あなたに授けてしまった呪いはわたしが持ち去ってゆきますから。

 自然を模倣する美しさのように、馬脚でどこまでも馳せるように、この世を謳歌して生きられるだけの力強い執念をあなたは持っています。

 あなたはどうか間違わずにいて、正しいひとになって、優しいひとになって。

 それだけが、わたし、北上汐恩の望みです。

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