病気なんかに負けません!
あるにゃ
プロローグ
私が病気で死んだのは18歳だった。8月3日、ちょうど私の誕生日。
真っ白な明るい病室で横たわったまま、タヌキのようなおなかをした優しい父、切れ目でちょっと怖いけど話すと能天気な母、よく一緒にゲームをした生意気な弟と画面越しに話していたのが最期だった。
病名はない。そもそも初めて罹患したのが私だったので、病名も何もなかった。感染症かもわからず、特別病棟に隔離され1か月暮らした。
罹患して最初のころは、能天気に「治ったら映画でも見に行きたいな~」なんて考えてた。
でもそんな考えはすぐに消えた。
毎日いろいろな医者が来て何かを調べ、何もわからず去っていく。採血は何度もされたし、内臓も調べられた。恥ずかしい場所を恥ずかしい体制で調べられたこともある。
家族は「すぐに治る」なんて励ましてくれたけど、病室から去っていく医者を何度も見ていた私はなんとなく察していた。
そんな日々が2週間も続いたら、なんだか体が動かなくなってきた。
最初に動かなくなったのは足の指だった。何かが私の体を蝕んでいた。そのままそれは徐々に上に侵食してきて、さらに1週間たつと自力で歩けなくなった。
その頃から寝る時間も増えた。起きているのは1日の4分の1くらい。
この辺りになると、両親も何も言えなくなった。弟だけが無邪気に「またゲームをしよう」なんて慰めてくれたけど、「ごめんね」とだけ言うのが精一杯だった。
察していたけど、「死ぬ」とは直接口にしたくなかった。最後まで希望だけは持っていたかった。
そして誕生日の日、画面越しに誕生日を祝ってくれる家族を見ながら私はこの世を去った。
皆、泣いていた。
泣きながらいろいろなことを話した。
ちいさいころ、アソパソマン号に乗って滑り台を滑って大けがをしたこと。
幼稚園で仲の良かった友人のこと。
小学生の時、短距離走で一位を取ってお祝いに回らないお寿司を食べたこと。
弟が生まれ、大事にしていたアソパソマン号を譲ったこと。
弟もアソパソマン号で滑り台を滑って大けがをしたこと。
両親の出会い、弟の彼女の人柄、私がとっておいたプリンを食べた犯人は誰か。
本当にたくさんのことを話した。
最後まで、家族は私を愛してくれていた。
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