第4話 武田信玄と御伽衆

 武田晴信は甲斐武田氏十九代目当主。父の信虎を信濃に追放して武田家当主となった晴信は信濃国に進出を開始。武田家は守護大名から戦国大名となっていた。その晴信は永禄二年に出家。武田信玄と名乗るようになった。

 武田信玄の居城は躑躅ヶ崎館つつじがざきやかたである。城と言いつつも濠や塀は簡素で、天守閣も見られない。そもそも名前自体も「館」である。これはいわば、本国で戦をすることはないということを意味していた。

 信玄はその躑躅ヶ崎館つつじがざきやかたに御伽衆を集めて会合を持っていた。部屋の窓の外には富士の山が見える。吹きつける寒風が時折、信玄の顔に刺さる。その目線の先の富士山頂は黒々とした地肌をさらしていた。

「もうじき冬が終わるというのに、富士の頂上に雪がない。どういうことなのか・・・」

 信玄の何気ない言葉に対し、御伽衆たちは黙り込んでしまう。信玄はその黒々とした地肌に対して神経質そうに眺める。すると、御伽衆の中のひとり、香川卜全かがわぼくぜんのみが信玄の問いに答えた。

「山頂の雪が融解しているようでございます」

 香川は先代の信虎の代から武田家に仕える医者である。武田信玄の険しい顔でその卜全の顔を見下ろした。当たり前のことを口にしたのだ。融解しているのはわかっている。だからこそ、黒い地肌が見えているのだ。

 上杉禅秀の乱の後、禅秀の妻は富士山麓に逃れ、そこで自害した。その娘が妖怪となって、周辺の村落を襲って被害をもたらしたとも言われていた。犬懸上杉家と武田家、両家の血筋を引く者で、吹雪をもたらす悪霊である。それを、武田信昌が封印したはずであった。

 そこで、信玄は状況を悟った。富士の山の雪が溶けているということは封印していた雪女が結界から抜け出したことを示唆していたので。

「ひょっとして、そちはずっとこのこと知っておったのか」

「その・・・。先代の信虎様が、このことは、三年は隠すようにと・・・・」

「はぁ?三年だと?もう、二十年近く経っておるではないか!!!霊はいずこに!」

「わかりませぬ」

「早急に調べよ!!」

「はっ」

 会合の空気が緊迫する中、奥に座る和尚だけがひとりにやりとしていた。和尚の名は快川紹喜かいせん じょうき慧林寺けいりんじの住職である。末席に座る快川紹喜かいせん じょうきであったが、僧侶には似つかわしくない隆々とした胸板や肩の筋肉はその存在感を際立たせていた。

「まあ、そうそういきり立ちなさるな。古来より女が家出すれば行き先は決まっておる。おそらく、実家に帰った違いない」

「では、行き先は犬懸上杉の館のあった鎌倉か?それとも・・・」

 信玄は言い淀んだ。雪女の母はもともと武田家。雪女が躑躅ヶ崎館とその城下で暴れまわれば武田家中枢は氷結しかねない。

「いや、越後じゃ」

 快川紹喜かいせん じょうきが角ばった顎には無数の無精ひげがあり、唇の隙間からは歯が垣間見えた。

「越後じゃと・・・」

 武田信玄の眼がにわかに細る。

「ああ、あの長尾景虎が上杉家を継承したからか・・・」


 御伽衆との会合が終わり、居室に戻ったところで一人の忍が音もなく降りてきた。小田原に潜入させていた忍びである。越後から関東に侵入した長尾景虎の軍勢は関東平野を蹂躙。相模国南端の小田原城を包囲しつつあった。忍がその小田原城内の様子を伝える。

「小田原の残りの兵糧・・・、長くても三か月かと」

「あと半年ももたぬのか・・・おのれ・・・」

 躑躅ヶ崎館つつじがざきやかたの信玄に緊張が走った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る