第10話 嫉妬という刃

 バッシュはどこか寂しさを覚えつつ、気づけば食堂の扉を開けていた。


 椅子に座って注文すると、ヤーヴェから預かった小箱を取り出し、恐る恐る箱の中身を見た。


 (何だこれ? カフス……すごい宝石が付いてるじゃないか! 知識の無い俺が見ても高級品って分かるぞ……これ、売ったらいくらになるんだろう?)


 「バッシュじゃない! ……ヤーヴェは?」


 ヘディがヤーヴェの姿を探して、バッシュの右へ左へと視線を移す。


 「ヤーヴェは当分、いや、しばらくは来られないと思うけど」


 「それ、どういう事?」


 優しい声音から一転、急に棘々しい口調に変わる。


 (ヘディのヤツ、分かりやすく不機嫌になるなよな)


 「どうって、討伐の任務で北の領地に派遣されたんだよ」


 「なんですって!? いつ戻るの? 待って……じゃあ、お嬢様の専属護衛は外されたんだ」


 「ああ、色々あって外されたんだ。いつ戻るのか俺は知らないよ」


 バッシュは、ヘディがヤーヴェが遠く離れた地に行ったことを悲しむより、専属護衛を外されたことを喜んでいるように見えた。


 「バッシュ、その手に持ってる綺麗な小箱はなぁに?」


 ヘディは目ざとく小箱を見つけると、バッシュの言葉を待たず手からもぎ取った。


 「あっ、返せよ! それはヤーヴェから、お嬢様に渡してくれって頼まれた物なんだよ」


 「きれい! 宝石が付いたカフスじゃない! どうしてヤーヴェがこんな高級品を持っているの? それをお嬢様に渡すなんて」


 「知るかよ。たぶんだけど、ヤーヴェが見習いの頃にお嬢様からプレゼントされた物だと思う。アイツはそう言うのひけらかすヤツじゃないけど、その時、それっぽい話が使用人の間で噂になったんだよ」


 「冗談じゃないわ……貧民だからってバカにしてるの? こんなものでヤーヴェの心を掴んでいたのね。お貴族様の退屈しのぎに弄んだに違いないわ」


 呟くように独り言ちたヘディの言葉が聞き取れず、バッシュは顔をヘディの口元に近づけた。


 すると、逆にヘディはバッシュの耳を引っ張り、瞳を爛々と輝かせ耳元で囁く。


 「ねぇ、アタシ、良いこと思いついたんだ。それ渡す時にアタシも一緒に連れてってよ」


 「はぁ? お嬢様は誰もが簡単に会える方じゃないんだぞ。爵位の低い貴族だって難しいのに。俺もどうやってお嬢様にお渡しするか悩んでいるんだから」


 「それなら、アタシに任せなさいよ。それに、バッシュが黙って売るかもしれないじゃない」


 「そ、そんな事するかよ……」


 「フーン、信用できないわね。やっぱりアタシが一緒に行って見届けてあげる。アタシが一緒の方が安心でしょ?」


 バッシュはヤーヴェと違って一介の厩番に過ぎず、頼まれ事を引き受けたはいいが気が進まないのも事実だった。


 「そうだな、ヘディは俺たちの幼馴染だし、ヤーヴェも許してくれるよな」


 ◇


 「お嬢様、厩番のバッシュが何やら幼馴染の女性を連れて、お目通りをお願いしてきたのですが……お忙しいと追い返しましょうか?」


 執事が訝しげな顔で私に伝えに来た。


 (バッシュ……お父様が厩番の見習いに雇入れた子だわ。ヤーヴェの幼馴染だったわよね。もう一人幼馴染が一緒だなんて、私に何の用かしら? ヤーヴェの事かもしれないわ!)


 「そうねぇ、私の部屋に案内してちょうだい。お茶とお菓子も用意して。それから、その後は部屋には誰も入れないでね」


 「かしこまりました」


 緊張した面持ちでバッシュと知らない若い女性が入ってきた。


 「どうぞ、掛けてちょうだい」


 私は親しみを込めた笑顔でお茶とお菓子をすすめる。


 「それで、バッシュと……そのお友達が私に何の用かしら?」


 ティーカップを口元に運びながら、私は探るような目で二人を観察した。


 (この人が『白薔薇の乙女』――きれいな人。傷ひとつ無い、細くて白い指……)


 バッシュの隣に座る女性の視線が、私の顔、手、ドレス、宝石へと移って行くのが分かる。


 「あの、お嬢様、この者は俺たちの幼馴染でヘディと言います。実はヤーヴェから……」

 

 バッシュが話し始めたのを無視して、ヘディが口を開いた。


 「ヤーヴェから頼まれたんです! このカフスをお嬢様に買い取ってもらえ、って」


 思いがけない話に驚いた私は、差し出された見覚えのある小箱をジッと見つめた。


 「本当にヤーヴェがそう言ったのかしら? これは私がヤーヴェに贈った物よ。それなのに、なぜ……」


 (ヘディ、なんてこと言うんだよ! 今、本当の事を話したら、俺もヘディも罰せられてしまう)


 「ヤーヴェはお嬢様にまだ話して無かったんですね。アタシとヤーヴェは結婚の約束をしているんです。だから、アタシの生活を心配してだと思います。アタシたちはお嬢様と違って、貧しいので」


 ヘディの話は頭では理解しているはずなのに、心がその現実を受け入れられずにいる。

 

 「けっ……こん?」


 「はい、お嬢様。ヤーヴェが戻って来たら、もう侯爵家には戻らないと言っていました。専属護衛を辞めさせて遠い戦地に行かせたのはお嬢様ですよね?」


 ヘディの言葉が刃のように私を貫いた。


 「分かったわ……ヘディさんが暮らしに困らない金額で買い取ります。だけど、代金はあなたとヤーヴェ卿への結婚のお祝いだと思ってちょうだい」


 声が震えないようにやっとそこまで言い終えると、執事に金貨を用意させ、それをヘディに手渡した。


 ヘディは袋の口を少し開けて確かめると、片口を歪め醜い笑みを浮かべている。


 隣でその様子を見ていたバッシュは、相変わらず押し黙り無表情のままだった。


 「ありがとうございます、お嬢様。忘れるとこだった。このお菓子は貰って帰りますね」


 ヘディは金貨の入った袋と鷲掴みにしたお菓子を鞄に突っ込むと、紅茶を急いで飲み干し、逃げるように去った。

 

 「お、お嬢様、申し訳ございません」


 バッシュはそう言うと扉の前で軽く頭を下げ、ヘディの後を慌てて追いかけた。


 「お嬢様、あのような大金、宜しいのですか? バッシュは解雇しましょう。主から金銭をせびるなどもっての外です」


 呆然としていた私は執事の言葉で正気に戻ると、強い口調でこの事を口外しないよう言い含めた。

 


 ――「ヘディ! どうしてお嬢様にあんな嘘をついたんだ? それに、そんな大金を受け取るなんて」


 「バッシュにも半分渡すから、そんなに怒らないでよ。それに、結婚の話は嘘じゃないわ。だって、ヤーヴェと結婚したら本当のことになるじゃない」


 「お前……いくらヤーヴェの事が好きでも、やり過ぎだぞ! あいつの気持ちはどうでもいいのかよ!」


 バッシュはどこから間違えたのか自分でも分からなくなっていた。

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