第6話:日曜日のバス停



LIFE GOES ON

第六話:日曜日のバス停


『あの人、毎週日曜の同じ時間、同じバス停にいるんだよな』

『誰かと会うための「先約」じゃなくて、誰かを待つための「先約」なのかもな。……めんどくせえ女』


海斗から送られてきた写真とメッセージを、篠田湊は何度も何度も見返していた。

日曜日のバス停。誰かを待つ咲の後ろ姿。

その姿が、湊の頭の中で、ある途方もない妄想を芽生えさせた。


(毎週、日曜に、誰かを待ってる……?)


湊の心臓が、ドクン、ドクンと嫌な音を立て始める。

そうだ。俺が初めて彼女の店で倒れ込んだのは、日曜の早朝だった。

ブランケットを返しに行ったのは、水曜日。

デルフィニウムの謎を問い質しに行ったのは、金曜日。

そして、食事に誘ったのは、月曜日。


でも、日曜日に、俺は一度も店に行っていない。


(まさか……)


湊の脳内で、点と点が、ありえない一本の線で結ばれようとしていた。


(俺か?)


毎週日曜、彼女はバス停で待っている。来るとも分からない、あの店の前で倒れた、めんどくさい男を。

「先約がある」という断り文句は、俺を待つという「先約」……?


(いやいやいや、ないないない! 自意識過剰にもほどがある!)


湊は、ぶんぶんと首を激しく横に振った。自分の妄想のたくましさに、我ながら反吐が出そうだ。

しかし、一度芽生えた妄想は、雑草のように心を蝕んでいく。

デルフィニウムの花言葉。『わずかな光』。お釣りの50円。あのかったるい態度の裏に隠された、不器用すぎる優しさ。

全てのピースが、「彼女は俺を待っている」という、おめでたい結論へと繋がっていく。


「……行くしか、ないのか」


確かめなければ。この、めんどくさい感情の正体を。


そして、運命の日曜日。

湊は、約束の時間より少し前に、例のバス停が見えるカフェの窓際席に陣取っていた。隣には、面白くてたまらないという顔をした海斗がいる。


「本当に来るのかよ、咲さん」

「来るね。100パー」

海斗は自信満々に言い切った。


やがて、約束の時間が近づくと、本当に、彼女は現れた。

いつものエプロン姿ではなく、白いワンピースを着た咲。その姿は、店にいる時よりもさらに儚げで、どこか違う世界の人のように見えた。

彼女は、バス停のベンチに座ると、ただ、ぼんやりと通りの向こうを眺め始めた。誰かと話すわけでもなく、スマホを見るわけでもない。本当に、ただ、そこにいるだけ。


「……ほらな」

海斗が、肘で湊の脇腹をつつく。


湊は、ゴクリと唾を飲んだ。

行くべきか。行かざるべきか。

もし、本当に俺を待っていたとしたら? なんて声をかける?

もし、全くの見当違いだったら? この上ない恥さらしだ。


湊が、カフェの席で石のように固まっていると、背中に衝撃が走った。


バシッ!


「うわっ! いってーな!」


海斗が、思いっきり背中を叩いたのだ。


「早く行ってこいよ!」

海斗は、悪魔のような笑顔で言った。

「彼女、お前を待ってるぞ。ハハハ!」


その無責任な笑い声に背中を押され、湊は半ば無意識に席を立った。

足が、もつれる。心臓が、口から飛び出しそうだ。

ゆっくりと、バス停に近づいていく。


五メートル。三メートル。一メートル。


「……あの」


湊が声をかけると、咲はゆっくりと顔を上げた。

その目は、少しだけ驚いたように見開かれていたが、すぐにいつもの、何も映していないような静かな瞳に戻った。


「篠田さん。……どうして、ここに」

「いや、それは……こっちのセリフというか……。毎週、ここで誰かを待ってるって、聞いたんで」


言った。言ってしまった。

さあ、どう出る。ここで「ええ、あなたを」なんて言われた日には、俺は……。


咲は、きょとんとした顔で湊を見た。

そして、次の瞬間。彼女の口から出たのは、湊の妄想を木っ端微塵に打ち砕く、予想だにしない言葉だった。


「……ああ、これですか」


そう言って、彼女は自分の隣を指差した。ベンチの、空いているスペースを。


「ここは、バス停じゃないですよ」

「え?」

「このベンチは、二年前にバス停が移動した時に、置き忘れられただけなんです。だから、バスは、もうここには来ないんです」


バスは、もう、来ない。


「私は、ただ……」

彼女は、言葉を探すように、少しだけ俯いた。


「もう来ないバスを、待ってるだけなんです。毎週、この時間だけ」


その声は、ひどく、寂しかった。

彼女が待っていたのは、俺じゃなかった。

過去の、もう二度と戻らない誰か。二度と来ない、思い出のバス。


ガラガラと、湊の中で何かが崩れ落ちる音がした。

恥ずかしさと、申し訳なさと、そして、ほんの少しの安堵と、大きな失望。

いろんな感情がごちゃ混ぜになって、湊はその場に立ち尽くすことしかできなかった。


遠くのカフェから、海斗の「あーあ」という、わざとらしい声が聞こえたような気がした。


(第六話・了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る