カリン:嵐の気配

喫煙室のドアをゆっくりと開ける。

雫の落ちる音が聞こえる静寂の傍らに、さっきの虫たちが転がっている。

まだ少しツンとした匂いが残っている。


「…うひゃー。集団戦ならこれで一撃じゃないすか」


「そんな事ないよ。屋外ではせいぜいデバッファー程度だ」


「それでも十分じゃないですか。さすがは古参ですね!」


「…僕は、その呼び名はあまり好きでは無いんだけどね」


そう呟いて歩きだすキキョウさんの後ろをシライシさんとついて行く。



外は雨が降っていた。遠くの方で空が光る。

虫が居ない。ケラ喰いの姿も見られない。

ただ強い風と冷たく打ち付ける水が体に不快感を与える。


「…あそこに入ろうか」


雨の中見つけた綺麗な建物に向かう。後ろでもう一度光る。

身体の中にピリッと何か感じた気がして振り返る。

雨は以前変わらない。ゴロゴロと音が鳴りだす。


「…カリン?」


「何かこう、向こうから外側に押し出される感覚というか…」


まるで、生き物として信号を送られたみたいな気分。誰かに操られているみたいで気分が悪い。

シライシさんに呼ばれて建物の中に入る。



濡れたジャケットを絞って水気を落とせそうな場所に置いておく。

残り少ないボンベを交換してカバンの横に立てかける。

キキョウさんのジャケットは僕よりたくさんのポケットがついていて、ジャケットを乾かすためにそこからひとつずつ筒状の煙具や注射を取り出して丁寧に並べていく。


「…全部違うんですか?」


「ある程度は一緒だよ。基本の治療の流れは変わらないから」


消毒、止血、縫合。怪我の処置の基本だと、さっき教わった。



ジャケットを脱ぎ、濡れた髪。外の雨を見ながら静かにタバコを吸っているキキョウさんは、なんだかかっこよく見える。

目が合うとキキョウさんは静かに首を傾げる。前髪の束から水滴が落ちた。


「タバコって、美味しいんですか?」


「死にたくないなら吸わない方がいい」


キキョウさんが静かに煙を吐く。暗い部屋の天井に白い空気が溶けていく。


「…キキョウさんは死にたいんですか?」


少し、意地悪したつもりだった。医者であるキキョウさんはなんと言うのだろうと思ったんだ。


「…僕が死んでも良い平和な世界なら、とっくに死んでる」


そう言うとキキョウさんはまた静かに窓の外に目を向けた。

その一言に乗せられた言葉の重みで、タバコの先の灰が床に落ちた。



水を飲むシライシさんの後ろから近づく。

何か手に持って眺めている。家族写真だろうか。


「…普段のシライシさんより凛々しい顔ですね」


「えひゃ!」


シライシさんは驚いて写真を落としそうになり、慌てて空中でキャッチする。


「そりゃあ、写真に映る時くらいかっこよく撮らなきゃね」


「そういうものなんですね」


優しそうな女性の足元に小さな女の子が笑っている。この人みたいな人が父親なら、きっと僕はここに居なかっただろうな。


「カリンは、リズの写真とか持ってないの?」

ニヤニヤと反撃するように言う。


「写真とか、撮ったことないかもしれません」


「まじ?じゃあさ、帰って写真撮ろう!カリンとリズで。ベェさんなら高さピッタリだろうし」


シライシさんがそう笑うと、雨の音が小さくなり雲から夕焼けが見える。黄色いジャケットをオレンジに染める。



ピリッと来た。さっきと同じ感覚。東の向こうから、何かの意思を感じるような。


ジャケットを着て動く準備をしている2人に声をかける。


「…確信は無いんですけど。なにか来ます」


「…何かとは」


「分かりません。でもなんか、中心に引っ張られるような感覚が」


足を止め考える2人。シライシさんが呟く。


「…嵐?」


瞬間、急な空気を揺らす音と共に建物が少し揺れる。窓の向こうで虫が雨のように飛んでいる。


建物にぶつかり液体を撒き散らすやつ、途中で力尽きて地面に落下するやつ、その風を切る音が窓を揺らす。

小さな埃が建物の天井から落ちる。


建物の窓がひとつ割れた。虫が1匹入ってきた。

キキョウさんがポケットに手を入れるより先にシライシさんが空気銃で虫を撃ち抜く。虫の両前脚が吹き飛ぶ。


虫は口では人を襲えない。ベゴニアさんの知恵だと、初陣でやられた僕にシライシさんは教えてくれた。

それを踏まえた的確な一撃。その後頭を撃ち抜く。



「…なんかラッキー」


嬉しそうにシライシさんは言う。この人はベゴニアさんの相棒なのだなと実感する。


更に一体。今度は僕も射撃する。僕が撃ち、シライシさんが残りの前脚を撃つ。


その後はまた静かになった。地表には虫の死骸。それを覆うように生きた虫が地面を蠢く。


少しずつバラバラに離れていくが、旧市街は再び虫の場所になった。


「…おい、あれ」


キキョウさんが指を指す。窓の外、建物の奥に見える地面の穴。

その穴から赤い煙が細く高く上がっていた。

信号弾。


「行くぞ」


マチェットを抜く。空気銃は何時でも出せるところに。

待ってて、リズ。今行くから。

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