第18話 父
ドレスベルを出て、やっとの思いでナハトムジーク領へたどり着いた。
身体にまだ疲れは残る物の、だいぶ心は落ち着いている。
パルアが居なかったら、あたしはどうなっていただろうか。
お金もなくしたあたしに、温かい食事と着替え、いつの間にか寝てしまってベッドまで貸してくれた。
今日の昼に食べたサンドイッチは、彼女が作ってくれたものだ。
感謝をしてもしきれない。
あの時からずっと、外にいる人間にはよくない印象を抱いていた。
でも、だからと言ってひとくくりにしてはいけないんだと改めて気付かされた。
「ファレファを連れ戻したら、お礼を言いに行かなくちゃ」
大きな壁に囲まれた都市は日が暮れても人通りがある。
路銀を確保するためにもまずは宿屋を探したいのだが、この時間に空いているだろうか。
街並みの中にひときわ目立つ建物を見つけて、足が止まる。
小さな夜のジャスミンと書かれた看板は、どうやら宿屋の様だった。
「ごめんください」
「旦那様、飲みすぎですって! もう何本目ですか!?」
「ん~うるさい~! わらしは今日、息子に出ていかれたんだぞ~! 飲まずにいられるか~!」
店の中には二人いるのみで、大きな空間は他全て空席だった。
端っこで酔いつぶれた男を、年配の女性が介抱している。
女性があたしに気づいて慌てた様子を見せた。
「あら、お客さん? ごめんなさいね、今ちょっと手が離せないのよ。昔の恩人というか、蔑ろにできない方で」
「そうなのね、残念。他をあたるわ」
「ん~待てぇ~い! 折角来てくれた客を帰すとわ~! 私が払うから、その方を対応して差し上げろ~!」
奥から酔っぱらった客が真っ赤な顔を向けてをふらふらと立ち上がろうとする。
倒れそうになるのを慌てて止めると、ばんばんと隣の椅子を叩いてあたしを座らせた。
「えっと、申し訳ないわ。そんな払っていただくなんて」
「何を言うか~! 私はここの領主らぞ~! そのくらい、なんでもないわ~!」
領主という言葉が聞き間違いではないかと自分の耳を疑った。
しかし彼の身なりを見るとどれも非常に上等な物であり、女性の困った顔が真実だと認めている。
「払う代わりに私の話に付き合うというのはどうだ、ん~? 悪い条件ではないだろう」
女性と二人で顔を見わせて、困ったものだと肩をすくめる。
仕方がないから水だけでも頼もうとすると、隣の男性がタンシチューを食えとしきりに言うのでその言葉に甘えてしまった。
水を飲むと男性はいくらか落ち着いたようで、ふうと息を整える。
「すまない、取り乱しすぎていた。私はアイン・ナハトムジーク。ここの領主というのは言ったな」
「ええ。あたしはシドレラ。人を探して旅をしているの」
「人探しか。それは大変だろう、良ければ力を貸そう」
「あたしにもできることなら何でも言ってちょうだいね、力になるから。どんな人を探してるんだい?」
「青い髪の、笛人の女の子を探しているんだけれど」
ガタっと机が揺れて、驚いた顔をした二人と目が合う。
「それってあの、表情が豊かなかわいらしい子? そもそも青髪の笛人というだけで見間違えようはないんだけどさ」
「そう、そう! ファレファという子なの!」
「あら安心しな。元気に走ってこの街を出てったよ」
「私の息子を連れてな」
ぽつり、とアインが呟いた。
彼が息子に出ていかれた、と喚いていた姿を思い出す。
それにファレファがかかわっているなんて。
あの子、いったい何をしているのかしら!
「ごめんなさい、あたしなんて言うか……」
「いい、いいんだ」
アインは椅子に座りなおすと水を一口飲み、言葉をつづけた。
「妻が亡くなってから私はあの子に厳しくしすぎてな、もっと会話をしていればよかった。久しぶりにあの子の心の声が聞こえたころには、遅かったよ」
ふとファレファの顔を思い出す。
あたしたちも、もっとたくさん話をしていればあの子が出ていくことはなかったんだろうか。
自分の中でこうしておけば、ああしておけばが繰り返される。
「だが実のところ、息子が出て行って少しほっとしている自分もいるんだ」
「それは……どうして?」
「あの子にもしっかりと自分の意志があったんだ。外の世界に飛び出すなんて、並大抵の覚悟ではない。それだけの意志があったことが、嬉しい」
並大抵の覚悟ではない、か。
その言葉にファレファを重ねた。
あの子はどれだけの覚悟を胸に秘めて村を出たのだろう。
その意思を私は邪魔をしに向かっているのではないだろうか。
「迷っているのかね?」
「……ええ。覚悟を持って出た子を連れ戻すのは、あの子の意志を蔑ろにすることじゃないのかって」
「私の話と自分を重ねてしまったんだな。だが、君は私とは違う。私はこの地を離れて追いかけることは出来ない。しかし、君はこれから追い、話し合うことができる。後悔した分話をして、その先で決めるといい」
テーブルによい香りのタンシチューが運ばれた。
赤茶色に染まった肉がてらてらと輝いている。
ごくりとつばを飲み込むと、アインの目を見た。
「食べなさい、道中で倒れては話すこともできないだろう。今夜はここに泊まるといい、明日には馬を手配しておく」
「そんな、何から何まで」
「代わりに一つ頼まれてくれないか。息子、名をクラインという。あの子に合ったら、いつか必ず帰ってこいと伝えてくれ。そしてもう一度話をしようと」
さあ食べなさい、と勧められるままに口に運んだ。
優しい味が広がって、柔らかい肉が口の中でほぐれた。
「おいしいわ」
「そうだろう、そうだろうとも。彼女はもとはうちの屋敷で雇っていてな、自分の店を出す夢があったんだ。ここはカツレツも美味くてな、明日の朝はそれを食べていくといいぞ」
「それは遠慮しておくわ、胃がもたれちゃいそう」
自然と口の端から笑顔が漏れる食事。
もう一度ファレファと、こうして話したい。
だからあたしは、前へ進むのだ。
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