第10話 カツレツとタンシチュー
「断る。誰だお前は」
彼は息を整えて乱れた髪を直すと、ケフラを軽くあしらった。
ケフラ本人も、自分がなぜそんなことを言ったのかわかっていないようで困惑している。
「あ、えっと、僕はケフラ。それでその、あの」
「そうか、ケフラ。レディを蔑ろにするような奴には、楽器なんて教えてやれないぞ」
草に足を取られてもたついてる私を指さして、彼は言う。
慌ててケフラが私に駆け寄って、手を貸してくれた。
「あ!」
私がようやく抜け出して顔を上げた時には、楽器を手にした彼はさっさと森の奥へと走っていた。
「そんな、逃げないで!」
ケフラの叫びも空しく、彼の姿は森の陰に消える。
伸ばした手を力なく卸、しょんぼりと肩を落とすのだった。
それでも少し食い下がって近くを探してみるが、結局収穫はない。
森を差し込む日の光の色が赤く染まり始めて、私たちは薬草を積んで帰ることにした。
***************
「あら、もう終わったの! 助かるわ~! これで安心して次の休みの計画を立てれるわね」
おばちゃんは相変わらず手際よく飲み物を用意している。
今度は二ついっぺんにカウンターの上を滑らせると、ぴったり二人のお客さんの前に止まった。
二人はカンと乾杯しておばちゃんに親指を立てる。
両手でそれに返事をしてから、おばちゃんは空いてる三人掛けの机を指さした。
「ごめんね、この時間はちょっとばかし混むからさ、手続きは後でもいいかい? ちょうど空いてる場所があるから食べていきなよ。お題は後でいいからさ」
おなかがすっかりペコペコの私たちは、速やかに席に着いた。
カウンターの上の天井から吊るされているメニューはどれも魅力的で目移りする。
鎧のおじさんにおすすめを聞いていなかったことを再び後悔した。
周りのテーブルをこっそり見ようかとも思ったけど、バレたら少し恥ずかしくて気が引ける。
そんな私の気も知らないで、ケフラは蛇の首をもたげて隣のテーブルをちらちらと覗いていた。
そっちがその気なら、と私もこっそり周りに聞き耳を立てる。
「ここのタンシチューは最高だね、しっかり煮込まれてて爺さん婆さんでも噛める」
「はん、ここのカツレツを選ばないなんてもったいない奴だぜ」
という声がどこかからか聞こえてきた。
どっちも気になってしまい結局解決しない、と悩んでいると私たちのテーブルの横をおばちゃんが通りすぎる。
二つ料理を運んでいるが、中でも白いお皿に濃い赤茶色のシチューに目を奪われて心を決めた。
ケフラの目も、決意を固めたようだ。
「決まったかい?」
丁度おばちゃんが注文を取りに来てくれたところで、私たちはそれぞれメニューを指さした。
「私タンシチュー!」
「僕はカツレツにしようかな」
「あいよ! すぐ準備するから、待ってて頂戴ね」
ぐう、と鳴るお腹を撫でつけて私たちはお楽しみを待つ。
もう待ちきれないのか、ケフラは手にフォークを握りしめていた。
私も手持ち無沙汰になって、指でテーブルをたたいてリズムを取る。
ふと、先ほどのケフラの言葉を思い出した。
「ケフラ、どうしてあの人に楽器を教わりたいって思ったの?」
「なんでだろう。一人で演奏するあの人が、すごくかっこよく見えたから、かな」
それは確かに、納得だった。
あの人の表情豊かな音楽は、心に強く響く感じがする。
村でもあんな風に演奏できる人は、なかなかいなかった。
「楽器の形もナギラと似てたから、分かるかなって」
「私が教えようか?」
私はケフラやあの男の人のような楽器は弾けない。
でも、音楽と一緒に生きてきた笛人の端くれだ。
もちろん、音楽には自信があった。
ケフラもその手があったか、とフォークを置いて私の話に耳を傾ける。
「まずね、音楽は気持ちが大事なの! 優しい音楽は優しく、楽しい時は楽しくやるんだよ!」
私の話を聞いていた表情が固まった。
村ではみんなこう言ってたけど、ちょっと難しいのかもしれない。
もう少しかみ砕いて説明してみることにした。
「優しい感じの時はふわぁ~ってやって、楽しい時はぶわああって! それでたまにキュッてやったりドオーってして緩急をつけるんだ」
蛇の先まで固まったケフラが、ゆっくり首をかしげる。
教える道はまだまだ遠いのかもしれない。
「おまちどお!」
おばちゃんがアツアツの料理を持って来てくれた。
手の中のお皿から白い湯気が立ち上っていて、いい香りがここまで届いてくる。
私たちの前に料理を置きながら、おばちゃんは申し訳なさそうに口を開いた。
「お二人さん、悪いんだけどお店がもう満席でね、一人相席でもいいかい?」
ケフラと目を合わせて、二人で頷く。
おばちゃんはほっと息をついて、大丈夫ですって! とお客さんを呼んだ。
「あっ!」
「げ」
私たちの顔を見るなり眉をひそめたのは、さっき逃げた楽器が上手な人。
他に空いている席はないかと周りを探しているが、お店の中はとても混んでいてほかに場所はなさそうだった。
渋々といった顔でテーブルに着く。
ケフラが何か言いたげにちらちらと彼の顔色を窺っているが、しっしと手であしらわれていた。
「さっきの楽器が上手な人、またこうして会えるなんて夢みたい!」
「俺にとっては悪い夢だ、全く。だが夕食のチョイスだけは褒めてやろう。ここのタンシチューとカツレツはどちらも美味い」
「あなたは何を頼むの?」
「もう頼んである。俺は当然、どっちもだ!」
ふん、と鼻を鳴らして彼は得意げに言う。
彼のお腹に視線を下ろすと、やっぱり少しふっくらしているのが見えた。
触り心地が気になって、そっと手を伸ばす。
「どわぁ! なんだなんだ! 俺のことはいいから早く食べろ!」
私の手はよけられて、お腹を引っ込められた。
折角あつあつで出してくれたのだから、それもそうだと向き直る。
雪のように白いお皿に、香ばしい色のシチューがよく似合っている。
でも、一番目を引くのはやっぱり真ん中のお肉。
シチューと同じ色になるまで煮込まれた肉は、スプーンの縁で簡単に切れた。
すう、と香りを吸い込んでから口に運ぶ。
下の上で肉がほぐれて、嚙まなくても良いのではと思ってしまうほど柔らかい。
しょっぱいくらいの味付けがお肉と溶け合って丁度良くなる。
付け合わせのお芋も、ほくほくとしてシチューとよく絡んだ。
ケフラを見てみると、同じように幸せな顔でカツレツを食べていた。
タンシチューがこんなにおいしいんだから、同じくらい話題に上がるカツレツも美味しいに決まっている。
黄金色の衣がきらきらと輝いていた。
ちょうど私のタンシチューを見つめていたケフラと目が合って、スプーンで一口すくって交換する。
ケフラは一番端かその隣か迷った末、少し大きい端から二番目をくれた。
待ちきれなくてフォークにかみつくと、ザクッという音とともに甘い油の味が染み出す。
こちらは噛むたびに油とお肉の味が染み出して、ずっと噛んで居たくなるものだった。
油のしつこさを、少し絞られた酸っぱい柑橘の味が洗い流してくれる。
ケフラもタンシチューを満足そうに味わっていた。
「フン、美味いだろう。当然だ、彼女はもともとうち……屋敷の、料理長だったんだからな」
「お屋敷の人たちはおばちゃんの料理を毎日食べられたってこと? いいなー、私もお屋敷に住みたいかも」
「……いいことばかりでもない。彼女が独立してからは、もっと悪くなった」
まるでお屋敷の生活を知っていそうな口ぶりで、首をかしげてじっと見つめる。
お兄さんはその視線に気づくと、ただの予想だ、とごまかして運ばれてきた料理を慌てて食べ始めた。
聞いてほしくなさそうなものを無理に聞くのも気が引けて、私はタンシチューの残りを堪能する。
少し冷めても、やっぱりおいしい。
最後の一口を飲み込んで、付け合わせのにんじんをじっと見つめているケフラと目が合った。
もしかしたら彼は、苦手な野菜が多いのかもしれない。
もったいないので、手を伸ばしてまとめてすくって口に入れた。
甘い味が口の中でとろける。
冷たいお水でのどを潤したら、丁度お兄さんも食べ終わったところだった。
私たちの倍の量を後から食べたのにあんまりにも早くて驚く。
「お兄さんって食べるの速いんだね」
「ん? ああ、そうかもな。食事の時は食事だけに集中するからな」
おいしいものを食べたからか、さっきよりも上機嫌に見える。
今なら話も聞いてくれるんじゃないだろうか。
「私ファレファ、お兄さんのお名前は?」
「俺は……クラインでいい」
「よろしくクラインさん! ねえ、ケフラに楽器を教えてあげてくれない?」
「教えない。あと、その話をここでするな。俺はもう音楽はやらない」
期待を込めて首をもたげた蛇が、しゅんと首を下ろす。
だがそれよりも私は、音楽をやらないという言葉が引っ掛かった。
「あんなに音楽が大好きだっていう風に弾くのに? 今まであそこまで感情のこもった音を見たことがないくらいなのに」
「お褒めに預かり光栄だ。それでも俺はもうやらない。使命と責任があるからな」
「音楽が大好きなんでしょ?」
「好きなんかじゃ……」
クラインはコップに入った水をごくごくと飲み干し、喋りすぎたと息を漏らした。
尚も言いたいことが沸いてくるが、コップを机に強く置いてもう聞くなと訴えている。
彼の腰からはらりと一枚の紙が落ちた。
「あ、さっき見たやつだ」
ケフラが拾い上げたのは、掲示板に貼ってあった依頼の一枚だった。
大イノシシに畑を荒らされるから、何とかしてほしいという内容だった。
クラインは依頼書をひったくると、丸めて再び腰にしまう。
「それ、一人で受けるの?」
「そうだ。誰かがやらなければならない。そして、俺にはその責任がある」
クラインをまじまじと見つめてみるが、お世辞にも戦いが得意そうとは言えない。
ケフラも心配そうに見つめていた。
「一人じゃ危ないよ、クラインって強いの?」
「ぐ……剣術は一通り習った」
「私達も一緒に行くよ、ケフラってね、すごく強いんだよ!」
ケフラは肩をびくっと震わせるが、しばらく考えた後ゆっくり頷く。
彼なりの勇気を出したうえでの行動だ。
「子供を矢面に立たせるわけないだろ! 何を言ってるんだ、さっさと寝ろ」
クラインはさっさと立ち上がるとお店の出口へ向かってしまう。
私たちが呼び止めようとするが、念入りに振り返ってそれを拒んだ
「いいか、絶対に連れて行かんし、楽器も教えんからな!」
勢いよく扉を閉めようとして、直前で力を緩めて優しく閉じられる。
私達はどうすることもできず、二人合わせて肩を落とした。
「気難しくてなかなか素直にはなれないけど、いい子なのよ」
おばちゃんが、お皿を片付けながら扉の向こうを見る。
「おばちゃんもクラインが心配なの?」
「そりゃもちろん! 何度も無茶してるのを見てるからね。ねえ、これはおばちゃんからのお願いなんだけどさ、頼まれてくれるかい?」
おばちゃんはこっそり私たちのテーブルに、紙きれを一枚置いた。
それはさっきの依頼を映したもので、おばちゃんの手書きで行先の地図なんかも書いてある。
「坊ちゃんを、助けてやってほしいのさ。これはあたしのただのお節介なんだけどさ、あんた強いんだろう?」
ケフラは表情を固めるが、代わりに私がいっぱい頷いた。
おばちゃんが言うには、きっと明日の朝に行くだろうから、その時に出れば追いつけるだろうとのこと。
私たちは依頼書を大事にしまって、取った部屋で休むことにした。
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