帰りの電車が無いから泊まらせたはいいものの、入り浸るのは話が違うくない?
せにな
第1話 プロローグ
冬の肌寒さも無くなり、和気あいあいとした空気感が流れる晩春。
ピンク色が落ちた木の麓で目立つのは快晴に広がるこの太陽のような輝きを宿すたんぽぽ。
衣替えには少し早いこの季節だが、ポツポツと歩いている筋肉質の男子はパツパツの半袖を身にまとっていた。
「これが”人生の夏休み”……!」
グッと拳を握るのは、講義を終えてキャンパスを後にした僕。
背中に担ぐ黒色のリュックには大金を叩いて買った軽量パソコンと出された課題のプリント。
緑色のカーゴパンツに入っているのはスマホと、イヤホン。そして、家の鍵。
18歳になり、自由の身になった僕は大学へと進学した。
これまで散々頑張った勉強。死ぬ気で全国を目指した部活。将来のことを考えて働きまくったバイト。
そんな僕の経歴が評価されてか、県内の有名大学に進学した。
首席とまではいかなかったが、それなりに高得点は取れたと思う。
いつぞやの入学式の時に見た首席女に鼻を鳴らしながら、緑が増えてきた歩道を歩く。静寂を握りしめたまま。
世間一般的には大学生は『人生の夏休み』と言われる。
それは自分の時間がたくさんでき、大学生活で出来る一生涯の友達と遊び、サークルなどでの出会いが鼓動を高鳴らせるから。
だが、今の僕の現状を見てみよう。
右を見てみれば白い車。左を見てみれば大きなキャンパス。正面を見れば長く続く道路。後ろを見ればイヤホンをつけてこちらを見る少女。
「なーーんもねぇ」
一瞬合わせた目をまたたく間に逸らした僕は、今住むアパート目指して歩く。
「……ん?いま無視された……?」
ボソッと聞こえてくるのは、もう少しで大活躍するであろうの風鈴のような心地の良い声。その割に不貞腐れた言葉からは睨みが伺えるが、当然のように無視して歩く。
大学生になり1ヶ月が経った今、さっきも言った通り僕にはなにもない。
と言っても、大学内では一緒にご飯を食べる友達はいるし、それなりに話す男子もいる。
最初の交流で大当たりの男子を引いたのが功を奏したのだと思うけど、残念なことに放課後に遊ぶような人はゼロ。
まぁ1人の時間ができるからいいんだけどさ?べつに悲しくともなんともないからいいんだけどさ?
「カラオケとか行ってみたいよなぁとかべつに思ってないからな?」
誰もいない空気に向かってボソッと紡ぐ。
さすれば返ってくるのは静寂――
「――え、行く?」
「…………」
ポンッと叩かれた肩にはスベスベの小さな手。
マニキュアが施してある爪には季節感を表すためにか桜が描かれており、ムダ毛ひとつ無いその手からは美人のそれを彷彿とさせる。
(……残念ながら死ぬほどの美人さんなんだけど)
先ほどとは違い、誰にも聞こえないように心の中だけでボソッと紡いだ。
そして続くように、細めた目を彼女の腕に向ける。
「行きません」
美人さんに発するような言葉とは思えないほどに冷めた声で、さらには手を払い除けながら豪速球で言葉を返してやった。
最後に見たのはポカンと口を開いた彼女の間抜け面。
両耳にイヤホンをつけてるくせによく聞こえたな?とツッコミたいところだが、多分あのイヤホンからはなんの音も流れていない。
あくまでも予想だが、そんな予感が的中しているとしか思えない。
張本人に聞くわけでもなく、踵を返した僕はスタスタと歩き始めた。
彼女の名前は
薄茶色の髪はセミロングに伸ばされており、外ハネくびれの毛先は天然なのか人工的なのか。
どちらにせよ似合っているのになんら変わりはなく、元より小さな顔が更に小顔になるマジックを見せられている。
と言っても、最近では彼女の顔は見ていない。
唇が真っ赤だったってことだけは覚えているし、鼻が小さかったことも覚えてるし、目の色が茶色というのも覚えてるし、まつげが長いことも覚えてるし、Eラインがめちゃくちゃ綺麗だったことも覚えてるし、丸目で子供っぽさが拭えなかったのは覚えているが、それ以外のことはなにも覚えていない。
理由?まぁ理由と言った理由はないが、強いて言うのならばこれだろう。
「ねぇなんか最近冷たくない!?そんなに家に入り浸るのが嫌だった!?」
慌てて僕の前に回り込んできた石宮さんは、とおせんぼのつもりか勢いよく腕を広げて叫ぶ。
「うん」
だが、即答だった。
自分でもわかってしまうほどの即答だったし、なにより冷淡すぎた。
でも知っている。
この石宮澄香という人間が、こんな僕の言葉では何ひとつとして傷つかない人間だということを。
一瞬だけかっぴらかれた目は、やがて鋭い睨みへと変貌した。
「なんでよ!?私達の仲じゃん!これまで何度もお邪魔したじゃん!というかこんな可愛い女の子の誘い断る!?普通!!」
荒げた声は周りの視線を集める。
通行人。信号待ちの車。散歩中の犬。そして、キャンパスから出てきた大学生。
残念なことに、この石宮さんという人間は、まだ1年のくせに大学のマドンナと成り上がった。
この短期間になにがあったんだよ!と問い詰めたところ、あざとさだとか誰それ構わず話しに行くところやら誰かが落としたものをすぐに拾って小走りに追いかけて渡す動作がかわいいだとかなんだとか。
まぁなにが言いたいかと言うと、この石宮澄香という人間は、色んな男にモテているということ。そして、次の標的は僕ということ。そしてそして、その標的になった理由は僕が一人暮らしをしているから。
「自分で言ってるのでダメっすね。んじゃ」
「ちょいちょーい!!まだ話は終わってませんけどーー!?!?」
避けて逃げようとする僕の肩を鷲掴み、身勝手にブンブンと振り回し始める。
「……酔う」
「じゃあ今日も泊めてよ!というかカラオケ行こ!?」
「…………他の男に泊めてもらったら?」
「
「はぁ……」
深々と吐き出すため息とともに上がってくる吐き気。
これ以上振り回されても吐くだけだと察した僕は、もう一度大きなため息を吐き捨て、石宮さんの細い腕を掴んだ。
「……今日だけっすよ」
「ほんと!?やったっ!!」
ピタリと止まった肩の揺すりに安堵を覚えながら、横目に石宮さんを見やる。
「…………ほんと、今日だけっすよ」
キラキラと星のように輝く瞳はまるで子どものようで、けれど見た目や膨らみばかりは大人のそれで、男を簡単に操れるのは小悪魔のそれで……。
(簡単に了承してしまうのも、僕の悪いところか……)
彼女が、今のように僕の家に泊まりに来るようになったのは、まだ大学生活にも慣れていない4月の上旬。
僕が住み着くこの香川では珍しい大雨に襲われ、瀬戸内海を渡る全ての電車が運休になったあの日のことだった。
「うわぁ……珍し……」
講義が終わり、次々と生徒たちが教室を後にする中、僕はスマホの画面に映し出された天気予報と窓の外に広がる大雨を交互に見ていた。
窓の外に見えるのは、絵に描いたような大雨。そしてスマホの雨マークの下に書かれているのは、18ミリという恐怖すら覚えてしまう数字。
香川にこれほどの雨が降るのは果たして何年ぶりだろうか?精々多くても10ミリほど。まぁ西に行けばもっと多くなるんだろうが、この地域だけは本当に安全。
だというのに、現在進行形で窓に打ち付ける雨たち。
ピカピカと光り輝く雷は一体どこに落ちているのやら。
「なぁ陸斗?家まで送ってくんね?」
スマホを仕舞う僕の行動に合わせるように、正面の椅子に腰掛けたのは染めた金髪が目立つ……言っちゃ悪いが、ガラの悪い男。
ムキムキの筋肉は武器にすら思えるし、耳につけられたピアスにはいかつさを覚え、なにより染められた短髪金髪というのがヤンキーのそれを物語っている。
けどそんな見た目に反して中身は良いやつ。
とにかく友達作りたい人間で、会話も面白く、誰それ構わず変えない対応は心の広さを物語っている。
正直この金髪筋肉だるまのお陰で僕の交友関係が広がったわけなんだけど、
「全然嫌だが?」
細めた目とともに言葉を返してやった。
「いやまじで。電車止まってんだよ」
「朝来れたじゃん」
「朝は朝よ。雨もあんま降ってなかったし普通に乗れたんだけど、今見てみれば運休。終わってるぜこの世はよ!」
「電車1つで世界を憎むなよ……」
素のツッコミを返す僕とはべつに、ジッと外を睨みつけるのは筋肉だるま――もとい、
果たして宏樹の家がどこなのかはわからないが、電車で来るほどだ。それほど距離があるんだろうし、僕とてこの天気なんだから早く帰りたい。
そんな僕の思惑なんてよそに、ドンッと机を叩いた宏樹は握りしめた拳と一緒に天井を見上げた。
「ちょっくら濡れて帰るわ!」
「はぁ……?傘持って来てないんか?」
「見ての通り」
「これは脳筋と言うよりもバカの類だな?」
「おーいバカ言うなー?」
握りこぶしを解いただるまが滑稽にも後頭部を掻く。
この様子を見るに、カッパどころか折り畳み傘のひとつも持ってきていないのだろう。
目の前にコンビニがあるのだからそこで買えば良いのだろうが……僕は知っている。この筋肉だるまが金欠だということを。
「傘買う金もないか?」
「お?よくわかったな?」
「べつに分かりたくはなかったけど……」
足元に置いてあったリュックを手に取った僕は、腰を上げながら紡いだ。
「傘貸したげるから1人で帰ってな」
「おっ!?まじ!?サンキューベリーマッチョ!!」
なにが面白いのか、ニカッとはにかむ宏樹は願ったり叶ったりだと言わんばかりに輝く瞳は大きく見開かれ、ぐわっと広げられた腕は刹那に僕の体を包みこんだ。
なんというか、僕の数十倍もたくましい体に悲しさすら覚えてしまう。
だけどまぁ、感謝されるのは嫌いではない。
「明日にでも返してな」
微笑み混じりに返してやった言葉に大きく頷く筋肉だるま。
そうして集まる視線は、なんともまぁ分かりやすく引き攣った笑みのもの。
だが、ひとつだけ。ひとつだけ、引き攣った笑みではなく、スナイパーのように僕のことだけを凝視している……気がした。
「貸してやるからさっさと離れろ」
どこから狙っているのかもわからないままハグを解除させた僕は、念の為に当たりを見渡すけど……これといっためぼしい人はいない。
強いて言うなら、あの薄茶色の髪の女の子だけど……あんなべっぴんさんが僕のことを見るか?
「さすがにないか」
「ん?なんか言ったか?」
「なーんも?出口まで送ってやる」
リュックを肩に担いだ僕は、これ以上気にすることなく筋肉だるまと一緒に教室を後にした。
滝のように落ちてくる雫たちは、止む気配を微塵も感じさせてくれない。
嫌に鼻に残る香りは、人によっては苦手なのだろう。
まぁその苦手の代表格がなにを隠そうこの僕なんだけどもさ。
「……どうしたもんかねぇ……」
屋根の中で空を見上げる僕は、手持ち無沙汰の指を地面に向けることしかできなかった。
どこかの筋肉だるまがルンルンでキャンパスを出ていったのはつい3分前。
歩いて帰れる距離なのか?と質問する前に飛び出してしまったのだから、それほど家で筋トレを楽しみたかったのだろう。
苦笑を浮かべながらも、僕と同じように傘がなくて立ち尽くす生徒たちに目を向けた。
中には友達との相合い傘……もっと行けば恋人との相合い傘を楽しむ諸君たちもいるが、あまりの雨の強さに帰って悪手となっているのはここだけの話。
恋は盲目というように、どうせあいつらは自分たちが濡れることよりも好きな人との相合い傘をすることの高揚感に満たされているのだろう。
「捻くれるつもりはないし羨ましいとも思わんし僕もやりたいなんて思わないけど……いいなぁ……」
僕は大学生になった。
頭が割れそうになるほどした勉強も、死にかけになりながらも走った部活も、理不尽な店長のもとで働き続けたバイトからも解放され、やっと手に入れた自由。
大学デビューもしたし、そろそろ彼女がほしいのが本音……なんだけど、残念なことに話しかけてくれる女性はいない。
いやまぁ僕から話しかければ良いんだろうけど、会話のデッキがなさすぎて現状は詰み。
「……帰るか」
見てても悲しくなるだけ。誰もが辿り着きそうな結論に至った僕は、できるだけ屋根のある場所を歩いた。もちろん雨に濡れて。
気がつけば屋根のない歩道。
耳にはこれみよがしに聞こえてくる雨音に、鼻には雨特有の嫌な臭いが通り抜けていく。
だというのに、頭には微塵の水滴も”落ちてこなかった”。
「あれ?」
自分でもわかってしまうほどに不抜けた声が雨と一緒に地面に落ちてしまった。
そんな声に反し、僕の顔は空を見上げて……透明な傘が視界に入った。
「……傘?」
相変わらずの間抜けな声が傘に反射して地面に落ちる。
けれど、今回はただ落ちただけではなく、”拾い上げてくれた”。
「したかったんでしょ?相合い傘」
ほんの一瞬にして雨音が消え去った。
苛立ちすら覚えた雨の臭いすらも、妬ましいと思っていたカップルたちのことも、一瞬で頭から跳ね除けられてしまった。
どんなものよりも優先されて耳に入ってきたのは、風鈴のような繊細な声。
清楚感が現れるその声からは、優しい人物像……いや、天使を彷彿とさせた。
「え……?」
だが、当然のように頭は追いつかない。
くるくると回るのはクエスチョンマークのみで、それ以上のことは何も思い浮かばない。
だからだろうか。いや、人間として当たり前の行動を取ったと言えば良いのだろう。
呆然とした脳みそとともに、傘の骨組みを辿って僕の目は声の主を見つけた。
「…………え?」
ピシャリと動きを止めたのは言わずもがな。
指どころか、髪の毛一本として動けないでいる僕の目の前に居るのは、さっきの教室で見つけた薄茶色の髪を靡かせるべっぴんさんだった。
「ちょっと恥ずかしいね?相合い傘」
にへらと笑うその顔はほんのり赤く、けれどなにより、可愛かった。
火照った顔になんて負けないほどの真っ赤な唇の端はキュッと吊り上がっており、小さな鼻とは対極に、クリッとした大きな目は褐色の瞳を輝かせている。
長いまつげがあるからか、テレビで見る女優さんよりも顔が小さく見える彼女は、消極的に表現しても天使の部類だと思う。
それほどまでに、目の前に立つ彼女は可愛く、それほどまでに……意味が分からなかった。
「なぜ僕と相合い傘を……?」
混乱が収まらない中でも、やっと開けた口から溢れるのはいわば当たり前のような質問。
大学デビューしたとはいえ、こんな美人さんと釣り合うような顔はしていない。
そもそもこの僕が大学デビューしたと言って良いのかどうか。なんならあの筋肉だるまのほうがイケメンだと思うんだが?
言葉を口にしたからか、やけに働き始めた脳みそ。
だが、当然本人に聞こえているわけもなく、コテンと傾げた首だけが帰ってきた。
「だって濡れるの嫌でしょ?」
「え、あ、まぁ……嫌だけど……」
「でしょ!”家もこの近く”なんだよね?送ってくよ〜」
傾げた首なんてどこかへ吹き飛ばし、キラキラと星のように輝かしい瞳を披露した彼女は、釣り上げた微笑みとともに歩き始めた。
きっと、この人は僕の言い分を聞く気はないのだと思う。
けど、別に聞かなくても良い。なんならもうずっとこのままでも良い。
危うく濡れてしまいそうになるリュックを守るように、慌てて歩みを進めた僕は、薄っすらと笑みを浮かべて思う。
(雨って割と良いな?)
あっという間に雨のことが好きになった僕に、もう雨特有の臭いが嫌いという資格なんて無い。
その代わりと言っては何だが、声を大にして言おう。
(これが僕のスタートラインだ!!!!)
彼女にも負けない頬のつり上げを披露した僕は、スキップでも踏みそうな勢いで借りたアパートへと向かった。
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