第11話 真冬のトラウマ
緑色の、絶望的な津波。
完全に退路を断たれた一行。その絶望的な状況を、まるで嘲笑うかのように、この世界の太陽が、木々の隙間から、彼らを照らしていた。
「…嘘でしょ」
春香の、震える声が、森に響いた。
恐怖に固まる春香、唇を固く噛む真冬、そして覚悟を決めた表情で武器を構える夏姫と楓。四者四様の表情が、死地の中で交錯する。
「…やるしかないわね。楓、右翼は任せるわよ!」
夏姫の、張りのある声が飛ぶ。
「言われなくても! 先輩たちは、下がっててください!」
楓が、獰猛な笑みを浮かべて応える。
「真冬、春香! 俺から離れるな!」
湊が叫び、二人の手をそれぞれ固く握った。
その言葉が合図だったかのように、ゴブリンたちが、甲高い奇声を上げながら、一斉に襲いかかってきた。
戦闘の火蓋が、今、切って落とされる。
夏姫のロングソードが、銀色の軌跡を描き、最も近くにいたゴブリンを、胴体から真っ二つに薙ぎ払った。その隙を縫って、楓のダガーが、まるで黒い稲妻のように走り、別のゴブリンの喉元を的確に貫く。
二人の連携は、即席とは思えないほど見事だった。夏姫が力で押し込み、楓が速さで仕留める。
「これならいける!」
二人の戦いを見て、湊は安堵する。
しかし、非常にも戦況は徐々にゴブリンへと傾いていく。
相手の数は、あまりにも多すぎた。
一体倒せば、二体が湧いてくる。その、終わりの見えない物量差が、徐々に、しかし確実に、前衛の二人を消耗させていく。二人の呼吸が、徐々に荒くなっていく。その額に、玉のような汗が光った。
後衛では、湊が必死に二人の手を握りしめていた。
彼の手首にはめられた銀色の腕輪から、温かい魔力が、絶え間なく少女たちへと流れ込んでいく。
「はぁっ!」
春香は、その魔力を受け取り、前衛の二人に、回復の光を送り続ける。湊からの尽きない供給があるため、彼女は消耗することなく、聖なる治癒の力を放ち続けることができた。
楓が受けた切り傷がみるみると治っていく。
しかし、楓の息が荒い。春香の魔法ではスタミナは回復できないようだ。
そして、真冬は、静かに目を閉じ、精神を集中させていた。
彼女の唇が、古の言葉を紡ぎ始める。その身に、周囲の魔力が、渦を巻くように集まっていくのが見えた。彼女が準備しているのは、この絶望的な状況を、一撃で覆すための、強力な範囲攻撃魔法だった。
戦況が、動いた。
夏姫と楓が、一体のゴブリンを同時に斬り伏せた、その一瞬の隙。
一体、仕留め損なったゴブリンが、二人の間を、まるで滑るようにすり抜けて、後衛へと突進していく。
「しまっ…!」
夏姫の焦りの声が響いた。
ゴブリンの標的は、明らかだった。今、この場で最も危険な、膨大な魔力をその身に溜め込んでいる、雪峰真冬。
湊が、咄嗟に真冬を庇おうと前に出るが、間に合わない。
「真冬先輩、危ない!」
楓の、悲鳴のような声が聞こえた。
真冬の瞳が大きく見開かれる。
その茶色の瞳に、牙を剥いたゴブリンの、醜悪な顔が映り込む。
次の瞬間、ゴブリンの汚れたダガーが、真冬の足元を狙う。
攻撃を避けようとした真冬は、足がもつれ柔らかな腐葉土の上に倒れこむ。
そして、彼女の上に下卑た勝利の笑いを浮かべたゴブリンが馬乗りになった。
真冬のケープがはだけ、これまでかろうじて隠されていた、豊かな双丘が完全に露わになる。
その、あまりにも無防備で、神聖な領域。
ゴブリンの、粘つくような視線。
その汚れた視線が、真冬の脳裏に、遠い過去の、忌まわしい記憶を呼び覚ました。
成長が早かった彼女のことを、いやらしい目で見ていた、大人の男たちの顔。ごつごつとした手の感触。
「…いやっ…」
恐怖が、彼女の思考を麻痺させる。
魔法を構築するために絶対に必要な、鋼のような集中力が、霧のように掻き消えていった。
春香は、そのあまりの光景に、恐怖で完全に硬直している。
湊は、足元に転がっていた人頭大の石を拾い上げると雄叫びを上げながら、真冬の上のゴブリンに殴りかかった。
ゴッ、という鈍い音と共に、石がゴブリンの側頭部を砕く。
ゴブリンは、悲鳴を上げて真冬の上から転がり落ちた。
しかし、それは、さらなる絶望の始まりに過ぎなかった。
仲間を傷つけられたゴブリンたちの怒りが、一斉に、たった一人の無力な男、湊へと向けられる。ゴブリンたちは夏姫と楓を無視し突撃してくる。
「先輩っ!」
楓の悲鳴。
ゴブリンの、錆びついた剣が、湊めがけて振り下ろされた。
絶対絶命。
その、全てが終わったかと思われた、瞬間。
太陽を背に、閃光のような一撃が走った。
それは、森の上空から放たれた、あまりにも速く、そしてあまりにも美しい、一閃だった。
湊に襲いかかろうとしていたゴブリンが、声も上げられずに、胴体から真っ二つにされる。返り血が、スローモーションのように舞い上がった。
森の木々を、まるで足場にするかのように、一つの影が、流星のように舞い降りる。
着地した彼女は、剣を抜き、その圧倒的なパワーは、一振りでゴブリン複数体を、肉塊へと変えた。
残ったゴブリンたちは、その、次元の違う力の差を瞬時に悟り、蜘蛛の子を散らすように、森の奥へと逃げていく。
静寂。
返り血を浴びながらも、涼しい顔で、ゆっくりと剣を納める、一人の戦士。
「ヴァレリアお姉さまっ!」
楓が駆け寄る。
「……全く、ちょっと目を離した隙に、このザマかい」
夏姫は、その圧倒的な実力差に、ただ見とれ、愕然と立ち尽くす。
ヴァレリアは、無力感に打ちひしがれる湊を一瞥し、そして静かに、しかし力強く言い放った。
「……坊や。あんたのその力は、ただ闇雲に注ぐだけじゃ駄目だ。戦闘の『流れ』を読んで、『どこに』、『どれだけ』注ぐか。このパーティではあんたが指揮官だ」
その意味深な言葉と、腰を抜かして座り込む春香の姿。自分の無力さを噛みしめる夏姫の横顔。そして、自分の肩を抱き、顔面蒼白で震える真冬。
一行の、最初の「完全な敗北」を、この世界の太陽が、ただ静かに見下ろしていた。
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