第13話:不穏な影

 数ヶ月前――。

 天城が教室で虐げられていた、その光景を“遠くから”見ていた者がいた。

 男は、目に生気を宿していない。焦点の合わぬ瞳は、ただ天城を追い続ける。

 みすぼらしい古着に身を包み、時代から取り残されたような佇まい。いや、男というより老人。

 周囲から見れば、ただの不審者。

 それでも彼は一度たりとも、天城から視線を外さなかった――。


「あぁ、いけない、いけない。天城おぼっちゃま……あぁ、私が、助けてあげないと」


 誰かに聞かれるような声ではない。老人はそう呟いた。慈愛に満ちているかのように見える目否、その奥底は真っ黒に染まり、どす黒い狂気を孕んでいた。

 路地裏の闇の中、老人は背を丸めながら、にたりと笑った。


 老人はふらつく足取りで一歩、また一歩と前へ進んだ。しかし、その歩みには妙な規則性があり、古びた歯車が軋みながらも止まらずに回り続けるようだった。


「……お守りいたしますよ、ええ。おぼっちゃまは……この世で唯一の光なのですから」


 ♢♢♢


 天城を貶めた連中は、街で「半グレ」と呼ばれる連中だった。

 そのグループの名は、下卑た自信を象徴するかのように『俺ら最強』だ。

リーダーの『如月』をトップとして形成されてる。構成員は『吐血新造とけつしんぞう

汁神亜久津しるがみあくつ

 そして──天城を騙した張本人である『街場千歌まちばちか』の甲高い笑い声が、薄暗い部屋に響いた。


「あははっ、チョロすぎ。見てよ、この札束」


 千歌の手には、数百枚もの一万円札が乱雑に握られている。

 汗ばんだ手で紙幣を擦り合わせる音が、妙に生々しく響いた。


「アイツ、ほんとバカだよな。利用されてることに気づきもしねぇ」


 千歌の隣で、他の構成員たちもケラケラと下品に笑う。

 酒瓶がテーブルに叩きつけられ、タバコの煙が充満する。


「ホント、女って最強だよね〜。触っていいよって言って後から騒いでもお金貰えるし、わざと触られに行って痴漢って仕立てあげられるしさ。」


 千歌は、自分の豊満な身体をよく理解していた。

 誰もが羨むスタイル、それは生まれつきではない。血のにじむ努力で作り上げた“武器”だった。


 彼女はその武器を惜しげもなく振りかざす。


「触っていいよ」


 そう甘く囁き、わざと男に手を伸ばさせる。

 そして次の瞬間には声を上げ、周囲に騒ぎを広げる。金を請求する。破滅させる。


 美人局。痴漢の濡れ衣。

 人生を壊して欲しい人間から依頼を受け、彼女はわざと群衆の中へと飛び込み、獲物に触れられるよう仕向ける。

 あとは簡単だった。証言も証拠も作れる。周囲の視線と世間の同情が、彼女の味方になった。

 その戦法で、千歌はこれまでに何十人もの人生を終わらせてきた。

 なかには、自ら命を絶った者もいた。

 だが千歌にとって、それはただの数字でしかない。──彼女の笑みは、いつだって鮮やかで、残酷だった。


「千歌も悪いよな〜。あ、そういえば知ってるか? 3ヶ月前に嵌めた、あの男、最近不登校らしいぜ」


 千歌は鏡に向かいながら化粧をしていた。


「えぇ、誰ですか……覚えてないんですけど」


 声には軽い笑いが混じる。

 千歌自身も、これまでに何人の人生を壊してきたのか、もはや覚えていなかった。

 ただ、今日もまた、誰かの運命を弄ぶ、その快楽に浸っているだけだった。


「ほら、あいつだよ。五十嵐さんから頼まれた」

「あぁ〜あの陰キャか。それがどうしたの?」

「あいつ、不登校になったてよ」

「あ、そうなの? でもあいつも不運だよね〜。なんであの五十嵐家に目を付けられるかな」


 五十嵐家がヤクザの家系だということは、みんな知っている。

 だからこそ、あまり関わろうとしない者が多い。警察でさえ、下手に手を出せないほどだ。


「んでよ、俺があいつの話をしたのには訳があってよ。また、五十嵐さんからまた依頼だ」

「えぇ、まじ? 五十嵐さんの依頼は怖いんだよね。失敗したら消されそうだし、胃にも肌にも悪いじゃん」

「お前の事情はどうでもいいんだよ。金はたんまり貰えるしよ。さあ、また俺の演技を見せてやるからよ」


 吐血の紋章――名前通り。

口から血を吐く紋章だ。相手が殴られたタイミングで使えば、演出効果は抜群。


「お前は血を吐けばいいもんな。血はなくならないのか?」

「俺は人より血が多いからな。それにレバー食いまくれば大丈夫だろ!」


 汁神の質問に笑って答える吐血。調子に乗った彼は、そのまま演技を始める。


「うぇ、うぇ……」


 血を吐き出すその様子に、千歌は本気で嫌悪を示し、汁神は楽しそうに笑う。


「お前、それ傑作だな」


 面白がった吐血は、さらに血を吐き続ける。


「ねぇ、もうやめなよ、汚ぇよ」

「腹痛てぇ……てか、お前大丈夫か?」


 しかし、吐血の血は止まらない。それどころか量は増す一方。


「お前、何してんのだ?」

「あんた?」

「うッッッッゴッフッッッッ」


 滝のように血を吐き出し、吐血は倒れた。その瞬間、ずっと存在を隠していた影が現れる。


「あぁ、おぼっちゃま、今助けます……1人ずつ消しますから、消しますから」

「何だこのじじい!!」


 汁神が机にあった短剣を手に取った瞬間、しかし老人はそれよりも早く動いた。汁神の右手は、あっという間に切り飛ばされる。


「ぎぁぁぁぁぁ!!」


 情けない叫び声が部屋中に響いた。


「……あんた、どうやって入ってきたの」

「私はずっとこの日を狙っていた。この数ヶ月、情報を集め、その機会を虎視眈々と狙い……そしてようやく、天罰を下す日が訪れた──おぼっちゃま、今、救われますよ」


 理解できないことを淡々と語る老人に、千歌は本気で嫌悪感を抱いた。思考は逃げることだけに支配される。


「私のおぼっちゃまを良くも」

「だ、誰のことかな?教えてよ」

「……夜桜 天城おぼっちゃまですよ。3ヶ月前、お前が壊した男の名前」

「あぁ、あの陰キャ──じゃなくて好青年ね。それがどうしたの?」


 刺激しないように言葉を選びながら、千歌は口を開いた。


「自主しろ、そして冤罪の件を晴らせ」

「わ、わかった。それでいいのね?いいわよ」


 千歌は安堵する。その程度で命が助かるなら、安いものだった。別に認めても少年法があるので、顔や名前は公にならない。


「私は見てますよ、ずっと。逃げれば──」

「は、はい。」


 千歌は逆らう気は無い、あの目を見れば分かる。こいつは本気の目をしていると、千歌とて反社との関わりがある、だからこそ分かる、この男は関わってはいけないと。濁った目人を殺している。





 後日 夜桜天城の冤罪の件は完全に晴れた。ニュースには『男性を騙して金銭を脅し取ったとして、女性を詐欺未遂の疑いで逮捕したと発表した。逮捕されたのは20代の男女各一名ずつで、警察によると、被疑者らは女性を装った仲間を用い、被害者に近づき金銭を要求する手口を繰り返していたという。

 警察は、同様の手口で複数の被害が報告されており、今後も余罪の追及を進める方針。』


というニュースが連日流れたのだった。

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