第19話 万渦の森とスライムの誘惑
ダンジョンの入り口は洞窟のような形をしている。ダンジョンによって形は様々だが、共通しているのは、外からは中が真っ黒で、内部の構造がまったく見えないという点だった。
初めてダンジョンに足を踏み入れる。先の見えない闇に、不安と緊張が入り混じる。
「行くぞ、リリシア」
「う、うん。というかいきなり名前呼び……」
リリシアの最後の方の声は小さくて聞こえなかったが、彼女なりの覚悟は感じ取れた。意を決して、俺たちは“万渦の森”と呼ばれるダンジョンへ突入する。
中に入って最初に目に入ったのは、生い茂る木々だった。名の通り、そこにはまるで本物の森のような光景が広がっていた。洞窟をくぐった先に森が広がって青空があるだなんて、やはりダンジョンというものは不思議な存在だ。
「グ……グレイバーン君、2層をめ、目指しましょう……」
「おう。それと、俺のことはアレンって呼んでくれ。グレイバーンって名前で呼ばれるのは好きじゃないんだ」
「そ、そうなんだ。アレンきゅん……」
リリシアが「君」の部分で噛んだが、ここは気づかないふりをしておいた。
あらかじめ準備しておいた地図とコンパスを頼りに、俺たちは2層を目指して慎重に進んでいく。危険度の低いFランクとはいえ、油断は禁物だ。そんな折、茂みにわずかな気配を感じた。
青色をした、粘度の高い水のような不定形の生物。いわゆるスライムだ。ダンジョンに現れるモンスターの中でも最弱と言われ、一般人でも勝てるほどの雑魚。
「お、おおお。スライム!」
今までおどおどしていたリリシアが、突然目を輝かせた。
「スライム、好きなのか?」
「はい! このヌメヌメしてそうな見た目に、ひんやりしてそうな色! ダンジョン内最弱と呼ばれながら、なぜかほぼ全てのダンジョンに高確率で生息している謎! モンスター全般が好きですが、スライムは特に上位に入ります! ツンツンしてみます? 食べてみるのも手ですし……。あぁ、一時間くらい観察してもいいですか? 魔法をぶつけて反応を見て……!」
リリシアは一呼吸も置かず、早口でまくし立てた。さっきまでの引っ込み思案な彼女はどこへやら、完全にスライムに夢中である。
「ご、ごめんなさい。モンスターのことになると私……」
「気にするなよ。熱中できることがあるのは、悪いことじゃない」
そう言ってフォローすると、彼女は再び目を輝かせた。
「とりあえず、授業中だから倒そう。観察は今度ゆっくりな」
「そうですよね。では、“ヒート・ピップ”」
リリシアが魔法を唱えると、指先に小さな炎が生まれ、それをスライムに向けて放つ。ジューッという音とともに、スライムが少しずつ焦げていく。
「スライムを燃やすと、草を焼いたような匂いがしますね。食性の影響でしょうか」
「そうだな。ってか、もっと強い魔法使えないのか?」
「使えますけど……ゆっくり燃やして反応を見たかったんです!」
ドヤ顔を決める彼女に、ほんのり不安を感じた。好奇心で突っ走るタイプだ。しっかりフォローしないと、下手すれば命を落としかねない。
スライムが完全に焼け落ち、核だけが残った。
「これは持ち帰ってもいいですよね?」
スライムの核を両手で大事そうに抱え、キラキラした瞳でこちらを見るリリシア。今回の課題は幻惑花の採取だが、素材の持ち帰りを禁止されているわけではない。
「いいと思うぞ。それより、先に進もうぜ」
「ふふふ、ですね! またスライムちゃん出てこないかなぁ」
最初の緊張はどこへやら、リリシアはルンルン気分で森の中を進んでいく。だが、周囲への警戒は怠っていないようだ。彼女なりに“楽しみながらも真面目に取り組んでいる”のがわかる。
ダンジョンの空気はひんやりとしており、肌にまとわりつくような湿気を含んでいた。薄暗い森では木々のざわめきが微かに耳に響き、足元の落ち葉が小さく音を立てる。その一つ一つが、緊張をかき立てる。
俺は、自分の呼吸がわずかに浅くなっていることに気づいていた。模擬戦なら慣れているが、これは本物の命が懸かった実習なのだ。
これが……本物のダンジョン。死と隣り合わせなんだな。
だが、その隣にリリシアがいることで、不思議と心が落ち着いていた。
リリシアにとってダンジョンは、恐怖ではなく好奇心の対象だった。地下に広がる森の生態系、魔法的に維持された自然、どれもが研究価値のある対象だ。彼女の興味は、恐怖を超えていた。
「自然系ダンジョンって、本当に奥が深いですね……。構造魔術の作用でしょうか」
「な、なるほどな……。ま、とりあえず敵が出たら、俺が守るから安心して観察してくれ」
俺がそう言うと、リリシアはふいに立ち止まり、照れたように微笑んだ。
「ありがと……うん、アレン君なら頼りになるって思ってました」
その言葉に、アレンは一瞬、胸が熱くなるのを感じた。これまで自分に自信が持てなかった彼だが、誰かに頼られ、必要とされている。そんな実感が胸に灯った。
……守ってあげたいって、こういう時に思うんだな。
スライムが再び現れた。今度は二体。
「来た……観察観察観察!」
リリシアはすぐさまスケッチ用の魔道ペンを取り出し、記録を始める。
「おいおい……さっきはあぁ言ったけど戦うの俺だけかよ。まぁスライム2匹程度なら俺でもやれるけどさ」
「じゃあ、戦いながら観察します!」
俺は苦笑しながらも剣を抜き、スライムたちの動きを封じた。一方のリリシアは、またしても炎の魔法でゆっくり一体を焼いていく。二人の呼吸は、不思議と合っていた。
ふと、俺はルビアやガイル、エリーナのことを思い出した。彼らなら、きっともう先の層にたどり着いているだろう。
だが今、自分の隣にいるこの少女と共に歩むことも、悪くないと思えた。
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