真実
あっという間に空は暗くなり、街の光が人々の顔を照らしていた。誰かが笑ってる。誰かが話してる。だけど、もう俺の中には、もう他人に構う余裕なんてない。
ただ、あいつの顔だけが浮かんで、離れなかった。
足を止めることなく、古びたビルの階段を駆け上がる。202号室。インターホンを鳴らすと、あいつが出てきた。
『お、江か。急にどうしたんだ?』
『……優香のことで話がある』
『何かわかったのか?』
『中で話してもいい?』
『もちろん』
部屋に入ると、野球選手のポスター、積まれた漫画、散らかった服。何も変わらない、いつもの“古谷隆”の部屋だった。俺は、彼とここで笑ったり、家に泊まりに来るほどの仲だった。だが今日は違う。こいつとケリをつける。何なら、これを機に、縁が切れてもいい。それほどの覚悟を言葉に乗せる。
『なあ……俺、本当に“疲労”で入院したのか?』
『……え?』
『おかしいんだよ。優香のこと、覚えてるはずなのに──記憶の断片的しかないというか。大事なところが思い出せなくて、どうしても、引っかかる』
俺の声は震えていたが、必死に隆に言葉をぶつけ続ける。
『……なんか知ってんだろ。隆』
『いや、俺もよく分かんなくて──』
『嘘つけよ!』
怒鳴り声が部屋に響いた。
俺の中で、何かが切れた。
『母から聞いたよ。お前が倒れた俺を見つけて、病院に運んだって。最初に知ってたのお前じゃねえか!』
隆はその場に立ち尽くし、ゆっくり目を伏せて深い息を吐いた。
『分かった……全部話す』
その声は小さかったけど、はっきり聞こえた。
『あの日、俺はお前と優香、写真部の連中と飲んでた。俺たちは“気遣ってるつもり”だったけど、実際には全部お前に押し付けてたんだ。彼氏だから当然だろうって、無意識に…』
『日頃の鬱憤が溜まっていたお前は、店を出ていって、1時間くらいだ。俺たちは・・・道端で倒れているのを見つけた。医者からは、事故ったわけでもなく、誰かに暴行を受けたわけでもない。疲労だと言われた。この時、隣にいた優香は決意したんだろうな。もう私がいなくなった方がいいって・・・』
隆は携帯を取り出し、画面を見せた。そこには優香からのメッセージが映っている。
”しばらく一人で頑張ることにした。江には言わないで”と書かれている。
その文字を見た瞬間、胸の奥が息苦しくなった。
ああ、俺──なにか言ったんだ、あの時。優香を傷つけるようなことを。記憶は曖昧でも、身体が覚えてる。
全部、自分がまいた種かもしれない。でも──
『なんで今まで黙ってたんだよ! ……俺がどれだけ、ずっと……!』
言葉が詰まる。怒鳴りたいのに、うまく声が出ない。
拳を握って震えるだけで、涙が溢れてきた。
『彼女からの連絡があったって言ってたよな……あれも、嘘だったのかよ』
『嘘じゃない。ただ……全部は言えなかった。どうすればよかったのか、分からなかったんだ』
『ふざけんなよ……!』
声が割れた。涙と一緒に、堪えていた怒りがこぼれた。
『俺、一人で……! ずっと一人で、何が起きたのかも分かんねえまま・・・』
どうして、あの時止めてくれなかったんだ。
どうして、言ってくれなかったんだ。
思考がぐちゃぐちゃで、何が正しくて何が間違いなのかも分からない。ただ苦しくて、悔しくて、泣きたくなんてなかったのに涙が止まらなかった。
隆は俯いたまま、搾り出すように言った。
『……ごめん。全部俺のせいだ。謝って済むことじゃないってわかってる。でも……ほんとに、ごめん』
部屋の中は静まり返った。
嗚咽まじりの息遣いだけが、そこに残っていた。
* * *
後日。
俺たちはA.C.Tの咲白さんと辻さんに、すべてを話した。
落ち着いた喫茶店の隅、カップから立ち上る湯気の向こうで、咲白さんがゆっくりと顔を伏せる。
『……そうでしたか。結局、力になれなくて……申し訳ありません』
『いえ。むしろ助けられました。お二人に質問されたときにふと思ったんです。俺、病院に運ばれる前、誰がそばにいたのか気にしていなかった。よく考えたら、矛盾があって……それに気づけたのは、お二人のおかげです」と彼らに対する気持ちを示した。
俺の隣にいた隆は、黙ってうなずいている様子。
辻さんがPCに視線を落としたまま、低い声で尋ねる。
『話し合いは……ちゃんとできましたか?』
『俺と江の間では、なんとか』
口を開いたのは隆だった。
咲白さんが俺たちの顔色を伺いながら
『優香さんとは……?』
と聞く。
隆は一瞬だけ言葉を探すように息を飲み、視線を落としたまま続けた。
『……優香は、何も言わずに留学に行ってしまいました。俺たちが話し合ったことを伝えたら、“今は一人で自分と向き合いたい”って。……』
辻さんの手がキーボードの上で止まり、咲白さんも言葉を失ったまま何かを考えるように遠くを見つめていた。
その沈黙に耐えられず、隆が深く頭を下げた。
『……とにかく、本当に、協力ありがとうございました』
その言葉に続き、俺もゆっくり頭を下げる。数秒後顔をゆっくり上げると、視線が鋭く、真剣な光を宿す咲白さんがいた。
『……すみません。最後に一つだけ、確認させていただいてもいいですか?』
俺と隆は思わず視線を交わす。
なんだろう、アンケートか? あるいはサークル内の報告用の確認事項?
『……ええ、どうぞ』
一瞬の沈黙のあと、咲白さんが静かに口を開く。
『宮崎優香さん……もう、亡くなってますよね?』
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