最初で最後の恋をしましょう
関鷹親
第1話 決断
春の暖かな日差しを遮るように、厚手のカーテンが引かれる執務室で、フェリチアーノ・デュシャンは留守にしていた数か月分の書類の束に向き合い、ひたすらにペンを走らせていた。
外から聞こえて来る楽し気な声に意識を向けまいと、次々に書類へ目を通してはサインをし、訂正部分を直していく。暫くするとコンコンと扉を叩かれる音と共に、集中力も切れてしまった。
「失礼いたします」
ティーワゴンを押すメイドと共に入って来た家令のセザールは、茶の準備を終えたメイドを下がらせると徐に一冊の帳簿をフェリチアーノに差し出した。
「これは?」
「坊ちゃまが視察で領地に行かれている間の帳簿にございます」
「それは戻ってきた日に受け取っていたと思うのだけど?」
視線を下に落とし、肩を震わせながら苦々しいと言わんばかりに口を開いた。
「今お渡しした物こそが、本物でございます」
顔を青白くしたままそう答える老いた家令に、嫌な予感で全身が粟立ちながらも渡された帳簿を開く。
そこにはフェリチアーノが王都の邸宅を離れているほんの数か月の間に、とんでもない金額が湯水のように使われている事がありありと書き記されていた。
「これは……これは本当なのかい……?」
「申し訳ございません坊ちゃま! ですが私めの言葉はもう旦那様方は聞いてはくださらないのです……」
「あぁ、なんて事だ……」
フェリチアーノの祖父と母が存命であった頃のデュシャン家は、可もなく不可も無くといった中堅貴族そのものだった。
しかしその二人が没してからと言う物、入り婿である父アンベールは、徐々に金遣いが荒くなっていった。
そして外で密かに囲っていた愛人を後妻に迎え入れると、豪遊振りに拍車がかかり、そしてまた怪しげな紳士クラブへ出入りをし始め、話に乗せられるまま投資にまで手を出し始めたのだった。
後妻には息子と娘がおり、いずれも父と後妻の子で間違いがなく、しかもその二人はフェリチアーノよりも年上であった。
つまりはフェリチアーノの母がまだ生きているうちから不貞を働いていたと言う事になる。
ここウルキアーガ王国は、貴族であれども恋愛結婚を推奨しており、その為政略結婚と恋愛結婚は半々といったところだ。
アンベールの場合は父親同士仲が良く幼い頃から“将来は子供同士を結婚させよう”などと話していたらしい。しかしそれはあくまで戯れの範囲だった。
ところが領地で度々災害が起こり、破産にまで追い込まれたアンベールの父は、子供だけでもどうにか助けて欲しいと頼み込み、娘が恋愛にあまり興味が無く、恋人を作る事にも消極的だった事に行き遅れを危惧していた事もあり、それならばと娘にも了承を得て、入り婿としてアンベールを迎える事に決めたのだった。
そんな事情での婚姻に、思うところがあったのだろう。恋人を愛人として囲ったまま、二人は結婚し、のちのフェリチアーノに全て厄介事が降りかかるのだった。
連れられてきた兄姉もまた両親の様に派手に金を使いたがった。今まで日陰者だった為に、やっと恩恵に与れるのだと言い、好き放題だ。
アンベール自身に残された遺産はすぐに消え去ったのは言うまでもない。
アンベールの立ち位置はあくまでも入り婿で、デュシャン家の爵位を継ぐ事は無い。そもそも領地経営や、書類仕事等が大の苦手であったアンベールはまともに仕事も出来なかった。
女でも爵位を継げるこの国で、祖父ダーヴィドの死後は母ライラが爵位を継いだ。しかしそれも長くは続かず、病に倒れたライラは爵位を息子であるフェリチアーノに託していた。しかし頭の悪いアンベールは、ダーヴィドが死んだ時点で自身に爵位がある物と思い込んでいるのだが、先を見越していたライラは敢えて訂正をしていなかった。
祖父や母の側で当主としての仕事を学んでいたフェリチアーノは、幼くして一人で当主として立っていた。
アンベールは仕事ができる幼いフェリチアーノにこれ幸いと仕事を全て押し付け、自身とその妻や兄姉と遊び惚けるのだった。
老いた家令と執事に支えられ、時には泥水をすする思いをしながらも、フェリチアーノは祖父と母が残した家を必死に守っていた。
そしてやっとアンベール達が築いた借金を返せる目途が着いたと言うのに。
その期間金を出し渋っていたせいもあるのだろうが、フェリチアーノが王都の屋敷を離れた期間を狙い盛大にやってくれたと言う訳だった。
「二重帳簿なんて……あの人達にそんな物を考える頭がある訳がない」
「誰かが入れ知恵をしたのでしょう」
フェリチアーノはズキズキと痛む頭に眉間に皺を作りながら、紅茶を口に含みそして革張りの大きな椅子に背をゆっくりと預け目を閉じた。
外からは未だ楽しそうな家族の声が聞こえて来る。
その中にフェリチアーノが入る事は無い。アンベールは政略結婚で産まれたフェリチアーノを特に可愛がる事は無く、その愛情は全て兄と姉に注がれている。継母カサンドラに至ってはフェリチアーノに猫撫で声で金の無心をしてくるだけだ。
そんな人々の為に、何故自身が身を削り金策せねばならぬのか。しかもその金を横から全てむしり取り、マイナスへと変えていく人々の為に何故……
亡き祖父や母とこの家を守ると約束をしたは良いが、フェリチアーノはもう耐える事に限界を覚えていた。
「お前は、僕の味方かい?」
薄っすらと目を開けたフェリチアーノの静かな問いに、家令セザールは目を見開いた。
「当たり前でございます! 私は先代様方より坊ちゃまに死ぬまで仕えよと、そうお言葉を頂いております。そして先代様方のお言葉がなくとも、私は坊ちゃまのお味方として死ぬまで御側に仕えるつもりでございます」
「それは、僕がこの家を切り捨ててもそう言ってくれるのかな?」
「坊ちゃま……はい、はいっ! 坊ちゃまがどのような決断をなされましても、私は坊ちゃまの御側に居りますぞ」
「ありがとうセザール」
ふんわりと微笑んだ美しい青年は、それを聞いてこの日やっと家と家族を捨てる決断をしたのだった。
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