令和7年8月12~14日のMEMO
夢美瑠瑠
第1話
いろいろと、日々の生活には「新奇な発見」がつきもので、そういえば、「毎日が発見!」というTitle の雑誌も見たことがある。
退屈な日常、と徒にネガティヴに考えないほうがなにかと予後? 爾後の成り行きもよさそうな気もする。 「遭遇する困難を、”災厄”と見るか”試練”ととるかで、人生は変わってくる」…そんな格言も見た覚えあります。
個人的な事情で、わりかし貧窮家庭みたいな暮らしをここ数年余儀なくされていて、が、「怪我の功名」、「窮すれば通ず」という言葉もあるが、苦労してやりくりしているが故の思わぬ副産物、僥倖? 不可思議な天佑神助みたくいろいろなことがあったりする。
貧すりゃ鈍す、ともいう。
貧乏は不便で不自由で、ですが、ストレスがあると、解放されたときのカタルシスが愉快、そういうボーナスにもなりうる。 これはまあありふれた現象で、コリンウィルソンもこういう効果をナントカ効果と名付けていた。
ですが、生活が変わると、だから貧乏で自家用車を持てなくなり、というと、歩いていろいろなところに出歩かざるを得なくなり、行動範囲が狭くなる分、密度?が濃くなる。 医聖ヒポクラテスの、「歩くのは最高の健康法」という箴言をいつも実践できています。
クルマでもテレビでもクーラーでも、高度経済成長の「3種の神器」3Cと言われた文明の利器の代表で、便利極まりないものの代名詞だが、その分弊害がある。
これも、一種の科学の進歩の蹉跌、逆説? 一般的にまあ常識かしらんが、やはりオレの場合も、脱・クルマの余沢があり、ずいぶん生活環境やら習慣が改善した。
日々の生活の発見。 ネットの情報も、これは不断にある。 で、それプラス、エマニュエルカント、あるいはアリストテレスの逍遥学派とかの思索を深める秘訣、奥義?…すなわち”ひたすらテクテク歩く”ことも、クルマなしの貧乏生活で、かれこれもう7か月以上普段不断に実践させていただいております。
こういうわりと謙虚な態度が身についてきたのも貧乏故? そういう趣きもある。
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