第34話【幕間】あの時の二人

 コロニーに聳えるタワーマンション、その最上階。官庁街に隣接した高級住宅地にあり、街の中心部を一望できる部屋だ。

 

 床は落ち着いた色合いの木製フローリング。白い壁には衛星で採れた天然石がアクセントとしてはめ込まれている。その淡いマーブル模様が、空間に柔らかな陰影を与えていた。


 アルミフレームとガラスでできたテーブル、その周囲には樹脂製の滑らかな曲線を持つ椅子。一九四〇年代のアメリカ、ミッドセンチュリーモダンの家具で統一されたリビングは、三〇畳はあろうかという広さだ。

 

 中央のソファに腰を掛けるのは、上品な顔立ちの初老の男。正面の壁には、一二〇インチのスクリーンモニターが鎮座している。


「ねえ、貴方。ニュースチャンネルにしてもいいかしら」


 四十前後のグラマラスな美女が、湯上がりの火照った肌をわずかにのぞかせながら部屋に入ってきた。


 豊かに波打つブルネットのロングヘア、目を奪うほどの胸元と、滑らかに続く腰から腿への曲線。その体を覆うのは、素肌に羽織っただけのガウン。レイが目覚めたあの施設で、何度も肌を重ねた年増の美人だ。


 この二人こそが、レイの生みの親ともいえる夫婦だった。


「ほう、君がニュースを見るなんて珍しいな」


 柔らかな眼差しを向け、初老の男が声をかける。


 湯上がりの女はそのままソファへ歩み寄り、男の隣に腰を下ろした。モニターが切り替わり、ガニメデとカリストの公転軌道間――内宙域で起きたネメシス襲撃事件のニュース映像が流れ始める。


「嫌ね、たまには見るわよ」


 モニターから視線を外さず、女は左手をそっと男の右手に重ねた。


「情報部きっての才女が、こんな上っ面だけの報道をね」


 男は苦笑し、重ねられた手に視線を落とす。


「それより、ほら見て」


 嬉しそうにモニターを指差す女。


「おっ、あの坊やじゃないか。中々派手な傭兵デビューだな、やってくれるじゃないか」


 モニターには、サーシャを救助した場面を記者会見形式で説明するレイの姿が大きく映し出されていた。


「あのガニメデで取り逃がしたネメシス、あれをやったのも彼よ」

 

 口角を吊り上げ、悪戯っぽく笑う女。


「ん? あれはガニメデ管区軍がやったことになっていなかったか?」


 男は驚いたように、隣の横顔を見やる。


「そういうことにしたのよ。ネメシスを取り逃がして被害を広げた挙げ句、傭兵に得物まで奪われ、唯一の生き残りのヒロインまで救助された――いいとこ無しじゃない」


 女は目元を緩め、男と視線を合わせた。


「ほう、やるじゃないか、彼も」


「まあ、あの船なら、たった一体のネメシスに負けるはずがないのだけどね」


 画面が切り替わる。右上の小窓に記者会見の映像が残り、大きく映し出されたのはムラサメから降りるレイとサーシャの姿だった。


「救助された女性、随分な美人じゃないか。あの肉付きと目元の色気……唇なんか最高だぞ」

 

 身を乗り出す男の手を、女が軽く抓る。


「すまんすまん。もちろん、君の色気にはかなわないがね」


 女はモニターをしばらく見つめると、唇の端をわずかに吊り上げた。視線は画面の中の二人の間を往復し、やがて挑むように男へと向けられる。

 

「……どうやら彼、食べちゃってるみたいね」

「救助した女性をか? なぜわかる」

「あの視線。もう落ちてるわ」


 男が抓られた手をそっと引き、甲をさする。


「なんともまあ、羨ましい限りだ」


 女はゆるやかに身体を傾け、男の肩へと寄せていく。その距離がさらに縮まり、耳元へ顔を寄せると吐息と共に囁いた。


「ねえ、貴方」

「ん?」

「そろそろ私たちも――本当の夫婦にならない?」


 男が目を細める。


「どういう意味だ?」

 

 女は逃がすまいとさらに身を寄せ、股間にそっと手を置く。


「知ってるのよ。私とレイのホロを見て、一人で楽しんでること……」


 男はバツがわるそうにして、言葉を詰まらせた。

 

「ほら、今まで駄目だったし……八年も経つと、なかなか言い出せなくてね」


「でも、レイのおかげで私はもう、対象になったんでしょう?」


 にじり寄る女、男は妻の視線に射すくめられ視線を外せない。

 

「……まあな」


 女はすっと立ち上がり、ガウンを滑らせて床に落とした。白い肌が淡い照明に浮かび上がる。


「しかし、僕は彼ほどすごくない。君を満足させる自信が……」


「馬鹿ね」


 女は腰に左手を当て、かがんで男の唇に右手の人差し指を添える。


「女は肉体だけじゃないの。心が満たされる方が――ずっと嬉しいの」


「そうなのか?」

 

「そうなの! もう! ここまでさせて押し倒しもしないなんて……男らしくないわよ」


 呆れたように言う妻を見て、男は息をのむ。

 

「レイ君に感謝しなきゃな」


「ええ」


 照明の柔らかな光の下、二人は静かに唇を重ねた。その夜、夫婦は八年の空白を越え、結ばれた。

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