第17話 衛星カリスト

「まもなく、カリストの管制宙域に入ります」


 ブリッジに柔らかい女性の声でアナウンスが流れる。前方には木星の巨大な姿を背にして浮かぶ、衛星カリストの影がゆったりと広がっていた。


 西暦一六一〇年、ガリレオ・ガリレイによって発見された木星の衛星――カリスト。いわゆる“ガリレオ衛星”のひとつであり、その中では最も外縁の軌道を周回する星である。


 直径約四八〇〇キロメートル。水星に匹敵するその大きさは、木星最大の衛星ガニメデに次ぐ。太陽系全体の衛星の中でも、土星のタイタンに続く第三位という巨大さを誇っていた。


 地殻の下にある地下海には水が存在し、表面は氷と岩石で覆われ、希薄ながら二酸化炭素を中心とする大気と酸素分子が存在している。


 木星の衛星で最も重力が低いという利点を活かし、現在では巨大な宇宙船の建造施設やドック群、パーツメーカーなどが並び立つ一大工業衛星となっていた。


 と、座学で教えられた。完全記憶バンザイである。


「カリストSTC。こちらムラサメ。識別番号Z4S-SA-0011。間もなくカリスト宙域に侵入する。フライトプランを送信、確認願う」


 この時代の技術なら管制とのやり取りや航路計算のすべてを、AIによって完全に自動化できるはずだ。それでも宇宙港への進入手続きには、いまだ人間同士の形式的なやり取りが重視されている。


 ネメシス──人類が生み出し、やがて脅威となった機械生命体。

 

 すべてを機械に委ねた果てに、何が待ち受けていたのか。その記憶はいまも人々の胸に焼きついているのだ。

 

『ムラサメ、こちらカリストSTC。Z4S-SA-0011、識別コードとプランを確認した。宙域への侵入を許可する。ナビゲーションを送信、ガイドに従って航行せよ』


「こちらムラサメ、了解した」


『英雄様のご帰還だ。出迎えの小型船に注意してくれ』


 皮肉めいた口調に、思わず苦笑が漏れる。


「シールドに巻き込むと面倒だ。近寄らないようにできないのか」


 モニターにはすでに、宙域内をうろつく数機の小型シャトルを捉えていた。照明を煌々と点け、誰よりも先に良い“絵”を撮ろうと位置取りを争っている。


『無理だ。正当な報道の妨害だとか、知る権利の侵害だと騒ぐ連中がいるからな』


「了解……。大変だな、いろいろ」


 まったく、と声には出さずに息を吐く。メディアの扱いは、戦闘よりよほど厄介だ。


『ああ、お互いにな。では、お気を付けて』


 操舵用の主観モニターに、管制室から送られた進路情報が青いラインとなって描かれた。カリストの衛星軌道上を走るそのルートに沿うように進む。パネルには速度規制や進入禁止区域などの警告表示が、次々とポップアップする。


「両舷減速、前進最微速。面舵二〇、上下角マイナス八」


 進路情報を声に出す。


「カリストD四八番地区。クラフトン商会の宇宙船ドックへ、侵入コースをとります」


 艦の進路を固定すると、ハルがコースの微調整を行う。


「ILS(計器着陸装置)リンク確認。着陸、接舷準備」


 着々とカリストの地表に着陸する準備を進める中、突如として艦の正面へ割り込むように小型シャトルが接近。その機体から放たれた強烈な照明が、ブリッジ内部を純白で塗りつぶした。


「うわっ!」


「ブリッジ窓、閉鎖します」


 ハルの冷静な声と同時に装甲シャッターがせり上がり、透明のウィンドウを遮断する。光が遮られると、代わりに艦内の照明がやや強まった。


「あの野郎! 近づきすぎだろう、ロックオンしてやれ」


 思わず拳を握りしめ、アームレストに叩きつけた。


「キャプテン。それはお勧めしません」


「なぜだ?」


「あのシャトルには、ロックオンアラートが装備されていません。無意味です」


「なら、副砲とパルスレーザーの砲口を向けてやれ。少しはビビるだろ」


「了解しました」


 ハルが短く応じると、艦の砲塔がゆるやかに旋回し、前方のシャトルに向けられた。モニターに映るシャトルは慌てたように機首を逸らし、大きく旋回して距離を取った。


「ハル、近距離通信。宙域の管制チャンネル」


「オンライン。どうぞ」


 周囲の小型シャトルに限定するよう、通信範囲を絞り込む。呼びかけは、宙域全体に開かれた管制用の公開チャンネルだ。


「本艦は現在、強力なシールドを展開中だ。不用意に接近すれば、骨も残らず消し飛ぶぞ。各社、注意されたし。以上」


 その声が届いたのか、シャトルはわずかに距離を取り、ムラサメの進路から離脱していった。


 そんなやり取りの間にも、カリストの巨大な姿が目前に迫ってくる。


 衛星の地表には、視界を覆い尽くすほどの工業プラント群が広がっている。灰色に染まった人工の大地は、まるで無機質な金属の海。地平線の向こうまで、幾何学的な構造物がびっしりと連なる。


 無数の照明がキラキラと瞬き、宇宙の星々とは異なる――人の手で築かれた、もうひとつの星空がそこに広がっていた。

 

「すげえな、これ」


 思わず口の中で呟く。どれほどの資源と人員が注ぎ込まれているのか想像もつかない、見たこともないスケールだ。


「エンジン両舷停止。シールド解除、着陸態勢に入る」


「了解しました。サポートします」


「ドック隔壁の解放を確認。着陸誘導シグナル、オールグリーン。降下を開始する」


「ILS誤差角ゼロ。姿勢傾斜角ゼロ。垂直降下開始、よーそろー」


 ハルの補助を受けながら、ムラサメは静かにドックへ向けて降下を始めた。


 工業コロニーの一角。巨大な開口部が迎え入れるように開かれ、ムラサメの船体は引き込まれるようにゆっくりと中へと吸い込まれていく。


 ――東京ドーム、何個分だこれ。


 窓の外に広がるサーシャの会社が所有する工場施設のあまりの広さに、思わず心の中で突っ込みを入れる。宇宙はスケールが違う。わかっていたつもりだったけど、映画のCGとは比べ物にならない本物の存在感に、ただ圧倒された。


「タグボート接舷します」


「了解。コントロールフリー、スロットル中立」


 クラフトン商会のタグボートがドック内部から現れ、ムラサメの船体前後に接舷。固定位置にあわせるため、慎重に微調整する。


 ブリッジには、かすかな揺れと機械的な振動が伝わってきた。


「着陸しました。タグボート離脱します」


 わずかな衝撃と共に、ムラサメは船台の上にぴたりと収まる。


「アームロック確認。隔壁、閉鎖します」


 艦体を固定する大型アームが左右から迫り、がっちりと艦をホールド。隔壁が滑るように閉じられていく様子が、外部カメラによってモニターへと映し出される。あとは与圧が完了すれば、ようやく船を降りることができる。


「サーシャ、そろそろ着替えたほうがいいんじゃないか。その格好はちょっと……」


 ノーブラにTシャツ一枚。目のやり場に困るって、ほんと。


「ちょ、なにジロジロ見てんのよ……もう。着替えてくるから、ちょっと待っててよね」


 ぶっきらぼうに言い返しつつも、サーシャは照れたように顔をそらす。


 ブリッジを出ていく彼女の後ろ姿を改めて眺める。出るとこ出てるっていうか、全体的にちょっと太め。でもそれが妙に色っぽい。ぴったり張り付いたTシャツ姿、丸みを帯びた胸のふくらみが目に焼き付いたまま離れない。


 ――あんなグラマー美人が彼女だなんて……ほんと、前の暮らしとは大違いだ。


 思わずひとつ息を吐く。無事にここまで送り届けられたことに、心の底から安堵していた。


 ブリッジの装甲シールドが静かに降下し、前方ウィンドウ越しに宇宙ドックの内部が姿を現す。巨大な貨物倉庫を彷彿とさせるその空間には整然と照明が並び、三列ある警告灯のうち、一番右端の列が黄色から緑に変わる。


「キャプテン。ドック内の与圧が完了したようです」


 ハルの報告とともに、ブリッジ正面のメインモニターに船外映像が表示された。

 

 ドック入口のハッチが開くと同時に、従業員らしき男女が数十人が中へ駆け込んでくる。そして、後からは肩に機材を担いだ取材班の姿。数社のレポーター風の美人たちが、コンパクト片手にファンデを塗り直しながら最終のカメラチェックを行っていた。


 全部で百人に届くかどうか――思ったよりも少ないな、と、胸を撫でおろす。まあ、それでもあのレポーターたちは遠慮なく突っ込んでくるだろうけど。


 ぱっと見で四社か。少しは手加減してくれよな……。


「外部電源接続確認、電源切替正常。機関動力停止。下船準備完了です、キャプテン」


 心配をよそに、ハルの優しい声が落ちて来た。

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