第13話 アルバの本心 ◇

 それからオルテンシアは、すぐに魔法学院へと向かった。

 魔法学院の門をくぐるのは実に久しぶりのことだった。

 今の時間帯は講義も少ないため、学生の姿もほとんど見かけなかった。

 アルバに面会したいと言えばすんなり通してもらえた。


 アルバが事前に来客予定を入れていてくれたのかは分からないが、博物館の制服姿のままだったおかげで怪しまれることもなかった。


(誰にも会わないといいけど……)


 首席で卒業しておきながら卒業式後すぐに行方不明になってしまった生徒なんて、学院の恥だろう。

 お世話になった教授たちには申し訳なかった。

 

「やっぱり来てくれたんだね。ようこそ、僕の研究室へ」


 アルバの研究室は、魔法薬学の実験器具で溢れていた。

 薬品の匂いがする部屋の中で、白衣をまとった彼は実に様になっている。

 講義の関係で教授の研究室にお邪魔したことも何度かあったが、アルバは研究熱心なようで棚は資料で溢れていた。


「ずいぶんたくさんの実験器具がありますね」

「さすが魔法学院って感じだよね。予算もなかなかだし、隣の部屋も実験室にしてて入り切らない道具はあっちにあるんだ」


 魔法学院の教授たちには著名な研究者も多い。

 だからこそこの職に憧れる学生も少なくは無い。


「それより、座ってよ。紅茶でいいかな?」

「はい。ありがとうございます」

 

 促され椅子に座ると、アルバはすぐにお茶の用意をしてくれる。


「昔から好きだったもんね。僕、君がよく飲んでいた茶葉、まだ買い続けてるんだよ」


 ティーカップからは懐かしい香りがした。一口飲んで少し違うように感じたのは、オルテンシアが歳をとったからなのだろうか。

 

「それで、答えは出たかな」


 アルバは優しい笑みを浮かべたまま、すぐに本題に入る。

 

「はい」


 オルテンシアは意を決して口を開いた。


「アルバさんとは結婚できません。ごめんなさい。会うのもこれきりにしましょう」


 きっぱりとオルテンシアは断った。

 アルバは少しの間、沈黙している。怒るだろうか。不安に思ったが、違ったようだ。


「そう……残念だな。君ならきっと、僕と一緒になってくれると思っていたのに」


 アルバの表情は、オルテンシアが思っていたより穏やかなものだった。

 まるで、オルテンシアが断るのを予想していたかのように。

 

「私は、誰かに心を埋めて貰わなくても生きていけるようになったんです。あなたはあの頃から私が変わっていないと思っているようですけれど、私は変わりました。間違いなく」

「確かにそうみたいだ。この前と全然違う顔をしてるよ」


 学生時代のオルテンシアだったら、きっと有り得なかったことだろう。


「僕は君に自分の理想を押し付けすぎていたみたいだ。離れていた数年で、君は変わった。未練があるのは僕だけだったんだね」

「アルバさんは優しい方ですから、良い出会いは沢山ありますよ」


 オルテンシアがそう言うと、アルバは苦笑しながら首を振る。


「どうかな。君よりも素晴らしい人なんて、この世界にいるとは思えないよ」


 それから、少し間を開けてアルバは微笑んでくれた。


「分かった。君がそう言うのなら仕方ない。結婚とは本来、双方の気持ちがあってこそ成り立つものだからね」

「ええ。それでは、私は失礼します」


 これで話は終わった。

 決着を付けたつもりで、オルテンシアは立ち上がろうとする。

 

「だから……」


 ――――ぐらりと、視界が傾いた。


「違う方法で君を手に入れるしかないよね」


 オルテンシアが膝から崩れ落ちたのは、その言葉と同時だった。

 一瞬、自分の身に何が起きたのか理解できなかった。

 手足に力が入らない。それどころか、舌もまともに動かない。


「な、……」


 アルバがゆっくりと近づいてきて、オルテンシアを抱き起こす。

 アルバの腕の中で、オルテンシアは両腕を投げ出して身を委ねるしかない。


「残念だよ、本当に。君より素晴らしい魔力の持ち主なんてこの世界のどこを探したっていないのに」


 アルバの笑顔が、不気味で恐ろしい。


「……あ、や……」

「即効性は良いけれど、もう少し強くした方が良かったかな。君は一口が小さいからね。安心して、ちょっとの間体が動かなくなるだけだから」


 先程の紅茶に薬を入れられたのだ。味に感じた違和感はそれだった。

 アルバは魔法薬学の学者なのだから、薬物を混入させることなんて容易いことだろう。


 最初から、オルテンシアが断ると分かっていて仕込んだのだ。


「オルテンシア、君は僕が君の家の名前ばかり気にしていると思っていたようだけれど、本当に違うんだ。僕が欲しかったのは、君だよ。君のその高純度の魔力が欲しかったんだ」


 アルバの声がだんだんと低くなっていく。

 魔力が欲しかった、とはどういうことなのだ。


「学生時代からいくら頑張っても君には勝てなかった。たかが運良く拾われただけの小娘に、この僕が、なんにも勝てないんだよ。それなのに、君はいつも自分を卑下してばかりで、気が狂うかと思ったね」


 驚いた。

 まさか、学生時代にオルテンシアより上位になれなかったから、これほどまでに執着されるなんて想像すらしなかった。

 

「せめて君が偉そうに鼻につく振る舞いでもしてくれれば良かったのに、試験で一位を取っても大したことないなんて言ってさ。僕が二位を取るのにどれだけの努力をしたのか知りもしないで」


 謙遜も過ぎれば……いつかシグルズに言われたことが、今更オルテンシアの首を絞めている。


「君と婚約しても結局は君の人生の添え物にされるだけで、その位置に取って代わることさえできない。君を孤立させて囲いこんで、僕の思うように操ってきたのに、君は僕の存在なんか最初から無かったみたいにどこか遠くへ逃げて行った。僕が欲しくてたまらない全てを、見せつけるみたいに壊して捨てて。つくづく恐ろしい女だよ」


 冷たい目で見下ろされる。


「その澄ました顔をずっとぐちゃぐちゃにしてあげたかった。君にはその方が似合うよ」


 アルバの手がオルテンシアの髪を撫でる。

 視界がだんだんとぼやけてきて、喋ることもできない。

 隣の実験室に運ばれていくのは分かった。この先、自分がどうなるのか。


 殺されてしまうのだろうか。きっと無事では済まないだろう。

 だが、恐怖よりも今のオルテンシアの心には後悔ばかりがあった。


(私、アルバさんの気持ちを、ずっと知らなかった……)


 

 ――――オルテンシアの本当の名前は、オルテンシア・アルクメオン。

 

 クラヴィス随一の名門であり多くの資産を有し政界にも繋がりのある名家、それがアルクメオン家だ。

 

 若くして事故で亡くなった両親とアルクメオン家の当主は友人だったようで、その縁でオルテンシアは引き取られた。


 だが忙しい当主とは親子らしく接したことはなく、月に何度か食事の際に顔を合わせるぐらいで、家庭教師に厳しくしつけられて育った。


 両親とは少し年齢が離れていたこともあって、まだ結婚もしておらず、子どもを持つような歳でもなかったため、当主はオルテンシアの扱いに困っていたのだろう。

 

 アルクメオン家に転がり込んだ幸福な娘。


 オルテンシアは好奇の目に晒され、アルクメオン家の後継を狙う者たち、血縁ではないオルテンシアを当主として認めない者たち、様々な大人に敵意を向けられた。


 オルテンシアが泣きごとを言おうものなら、家庭教師からも執事からも侍女からも、アルクメオン家の後継者として常に相応しくあるように、と叱責されたものだった。

 

 どれほど頑張ったとしても、アルクメオン家の当主としては相応しくないと蔑まれ、寄ってくるのは家の名前だけ見ている者たちばかり。


 引き取って貰えたことは感謝しているが、オルテンシアは名家の跡継ぎになりたかったわけではなかった。

 

 ただ平凡に毎日を過ごして、家族と呼べるような人と暖かな食卓につきたかった。

 

 十六にもなる頃には、何もかもが無駄に思えて、自分の人生が虚しくして仕方がなかった。

 どんなにいい成績を取ったとしても、侍女からはまだまだだと笑われ、当主から関心を寄せられることさえない。


 学院ではオルテンシアのことを褒めてくれる教授もいたが、アルクメオン家を継ぐのならもっと上を目指せとも言われた。

 

 アルクメオン家の当主として相応しくなれば、自分は生きている意味を見つけられるのだろうか。

 

 いいや、そうではない。

 

 自分はただ、唯一父と呼べる存在だったはずの当主に、認めてもらいたかっただけだったのかもしれない。


(私は、あの人と、家族になりたかっただけだった……)


 朦朧とする意識の中、当主の姿を思い浮かべる。

 だが悲しいことに、もう顔も思い出せなくなっていた。

 

 ただそれだけのことで頑張った結果、知らないところでアルバのプライドを傷つけ、彼を踏みにじり続けていたなんて、オルテンシアは考えもしなかった。


 アルバの存在をどれほど軽んじていたのか、思い知らされるようだった。


(ごめんなさい。私はあなたになんてことを……)



 実験室には寝台があった。

 こんなものがわざわざ実験室に備え付けてあるわけが無い。本当に、アルバは最初から犯行を計画していたのだ。


「これから何をするか、教えてあげるね。君の魔力を全部抜いて、僕の体に入れるんだよ。そうすれば、君の全ては僕のものになる」


 アルバは楽しそうに語っている。


(でもそれは、現代の技術力では成功しない実験……)


 体内の魔力を他人に移植する方法として、血液を用いるなどいくつか手法が発案されたことがあった

 けれども魔力を抜かれる方は命を落とす危険性が高く、移したところで魔力が拒絶反応を起こし肉体に深刻なダメージを与えてしまうという結果も出ていた。


 現段階では少量のみでしか成功例はない。


 アルバが語るようにオルテンシアの魔力の全てを奪うつもりなら、間違いなくオルテンシアは死ぬだろう。


 仮に生き延びたとしても、良くて植物状態になるぐらいだろう。希望は無い。


「ふふ、君が思ってるような方法ではやらないよ。少し前に起きた、ある資産家が家宝を盗まれたっていう事件、覚えてるかな。ある資産家は君の家、盗まれた家宝は魔石の指輪。これだけ言えば、賢い君はもう分かるよね」

(まさか……)

「アルクメオン家に伝わる魔石の指輪は、魔力の流れ活発にし、魔法の効力を何倍にも強めることが出来る。その指輪が今、僕の手にあるんだ。これがあれば、僕の魔法で実験は成功させられる。君と僕は、文字通り一緒になれるんだよ」


 アルバが差し出した指輪は、オルテンシアには見覚えのあるものだった。


 ある資産家という見出しを見た時から、嫌な予感はしていた。


 アルバの言う通り、あの魔石の力を使い果たすのであれば不可能では無くなるかもしれない。


 オルテンシアも指輪のことはよく知っている。青い魔石のはめ込まれた、当主が大切にしていたものだ。


「大丈夫。廃人になった君もきっと可愛いよ。大切に可愛がってあげるからね」


 アルバが自身の手に指輪をはめる。

 いよいよ実行に移すつもりなのだろう。

 まだ手足は動かず、逃げられそうもない。

 助けを呼びたくても声すら出ない。

 必死に考えようとしても、思考さえ上手く働いてくれない。


 廃人ということは、殺さずに生かしておくつもりなのだろう。

 それは何のためなのか……考えたくはなかった。

 

「それじゃ、始めようか。時間がかかるから、そのうち薬が切れて苦しくなるかもしれないけど、それぐらいいいよね。あんまり薬をあげすぎると、君の泣き顔が見れなくなるからさ……でもその前に」


 アルバの手がオルテンシアの首元にかかる。

 絞められるのだと気づき、オルテンシアの呼吸が早くなる。


「怖い? 怖いよね。でも全部君のせいだからね。あの時頷いてくれれば、もっと優しい方法にしてあげたのに」


 せめてもの反抗としてアルバを睨みつける。

 アルバは逆上するどころか、オルテンシアを見て笑った。

 

「……反抗するつもり? 馬鹿だな、今の君に何が出来るって言うんだ。ああ、本当に可愛い。もっと痛めつけてからの方が良かったかな。首か、足か……君は指が綺麗だから爪を剥いでもいいかも。剥いだ爪は全部大切に保管するよ。大事な君のものだからね。実験材料としては至高の品だよ」


 笑いながら、オルテンシアを抱き起こし腕の中に抱える。

 アルバのことがただ恐ろしい。


 どこまでもオルテンシアを実験対象として消費するつもりのようだ。

 昔のアルバはこんなことを言うような人間ではなかった。


 いや、今となってはオルテンシアがそう思っていただけで、彼の本性に気づけなかっただけなのかもしれない。

 

「もっといい方法があった。君、博物館のあの男に恋をしてるんだろ。あの男は、この小さな唇はまだ触れていないんだよね?」

(……!)


 今までで最もおぞましい発言だった。

 アルバの指がオルテンシアの唇をなぞる。

 触られたくない。嫌だ。気持ち悪くて耐えられそうもない。

 

「どんなキスがいい? あ、答えられないんだったね。残念。僕の好きにさせてもらうよ。どうせこの先も一生僕の人形なんだ。まともなうちにたくさん苦しませてあげる」


 このままアルバの好きにさせるものか。

 オルテンシアは決死の覚悟で魔力を動かし、魔法を使おうとする。


(詠唱できなくても、せめて、薬を弱めるぐらいは……!)


 鼓動が早くなって頭部に痛みが走る。治癒魔法をかけようとしても、詠唱さえできず、魔力の流れは乱れている。


 それでもオルテンシアは必死に祈り続けた。

 

「っ……はなし、てっ!」


 やっとのことで声が出て、両腕でアルバを跳ね除けた。

 咄嗟に動けただけで、まだ全身は痺れている。


 跳ね除けた反動と、支えが無くなったことでバランスをくずし寝台からずり落ちてしまった。


「自己治癒か。この短時間で、そうか……どこまで君は俺を……」


 アルバはこの事態を予想していなかったのだろう。

 真顔のまま固まり、ぶつぶつと何かを呟きながらオルテンシアを見ている。


 あまりの不気味さに怯みそうになるも、オルテンシアは這ってでも逃げようとする。

 

 だが、想定外の事態はこれだけではなかった。


 施錠されていたはずのドアが開き、誰かが飛び込んできたのだ。

 

「オルテンシア!」


 その声に、オルテンシアの両目から涙があふれる。

 

「シグルズさん!」

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