第2話 お腹が空いたんだけど
放課後のチャイムが鳴っても、教室はまだわずかにざわついていた。
春阪マヒルはカバンに教科書を詰め込みながら、視線だけで左側の席を見る。
青山百合葉が窓際でカバンを抱えたまま、ぼんやり空を眺めていた。
「……帰らないの?」
声をかけると、彼女は小さく瞬きをしてマヒルの方を振り返る。
「……胃もたれがすごいから」
澄ました顔でそう言った彼女を見て、マヒルは妙に納得した。
そりゃ、男の人を食ったら胃もたれもするでしょうよ。
「英樹さんはなんて?」
「もっと消化に良いもの食えって」
「人間って消化に悪そうだもんね」
「進んで食べたいわけじゃないのに……」
百合葉のその言葉を聞いて、マヒルは黙り込む。
彼女は、人間の姿をかたどった化け物だ。力も体躯も構造も人間のそれとは全く持って違う。
人間に昆虫と爬虫類を組み合わせたような化け物だと、英樹に教えられた。
摂らなければいけない物も人間のそれとは少し異なるらしく、彼女は人間の肉を一ヶ月に最低五〇〇グラムは摂取しないといけないという。
でなければ栄養失調でみるみる弱っていくらしいのだ。
昆虫も爬虫類も人間を食べなきゃ弱るという話は聞いたことがないが、そういうもんなのだと、マヒルは納得していた。
理由を考えたところで、彼女は人肉を食べなければいけないという事実は変わらないのだから。
「そうだね。……それで、なんでクールぶってるの?」
「……」
マヒルがそう訊くと、百合葉はほっぺを膨らませて、マヒルのことをジロっと睨んだ。
「最近はクール系が流行るって聞いたのに……」
「百合葉ちゃんにはクール系は似合わないよ」
即答して、マヒルは百合葉の姿を見る。
絹糸のような白髮はクール系の一要素とはなりえるが、明るい赤のリボンと、全体的にほわーんとした雰囲気が、クール系という要素を滅ぼしている。
仕草だろうか? 表情だろうか?
なんとなく、クールではない雰囲気が漂っている。
顔面は凛々しい顔立ちをしているものの、その一つ一つのパーツが柔らかい質感を残しており、全体的に優しくて明るそうな美少女という評価になる。
つまるところ──髪以外でどこをクールと見ろって? ということだ。
「即答レベルかぁ……」
見るからに落胆した様子で百合葉は肩を落とした。
昨日の化け物と同一人物だとは思えないほど、彼女には人間味が出ていた。
もっとも、昨日の彼女と今の彼女が完全な同一人物かといえば、それもまた違うだろうが。
暴走さえしなければ可愛い女の子なのだ。
「そういえば、英樹さんが百合葉ちゃんのことを重いって言ってたよ」
「あ゙っ?」
「ひぇ」
百合葉はドスの効いた声を出すと、自身の身体を見渡して、少しの間考えごとをし始めた。
確かに、重いと言われるほどのものはある。鏡を見なければ自分の腹を見ることすらできないのではないだろうかという立派なものを有しているのだ。
これが、彼女がモテる原因の一つなのだろう。
いやっ、正確には二つではないだろうか。
「まぁでも、異形のときは体重も増えるんでしょ? 多分人間に戻ったときに体重が戻りきれていなかったんだよ」
マヒルは苛立ちを隠せないでいる百合葉に対して、フォローになる言葉を投げかける。
「絶対違う……あいつ、これで四度目なんだよ……?」
あの人も大概アホだな、とマヒルは思った。
「あぁもう!! マヒルくん! ご飯食べにいくよっ!!」
「太るよ?」
マヒルの左頬に手形状の赤い腫れができた。
彼も大概アホである。
◇
「ねえマヒルくん」
繁華街を歩いていると、百合葉が突然マヒルの名前を呼んだ。
その表情はまるでガスの元栓を締めたか覚えていないときのように、深刻だ。
「なに?」
「お腹が空いたんだけど」
左手にチョコバナナクレープ。右手にマシュマロチョコクレープ。
冗談だろうか。
「……俺の食べる?」
「いいの!?」
「あ、うん」
冗談じゃなかったらしい。
彼女の右手の人差し指と中指の間にイチゴチョコホイップクレープが増えた。
三つのクレープを両手に持っている彼女の姿は、食べ盛りの女子高校生と言っても誤魔化しきれない食欲の権化と化していた。
「ふぅーんふん。しっあわせー」
軽快な歌を口ずさんでるからまぁいいかとマヒルが思っていると、コンビニに黒いセダンが停まっているのを見つけた。
なんとなく知っているナンバーと、濃いスモークが貼られている後部座席のガラスを見て、それが誰の車なのかが一目で分かった。
「ん! あれ水下さんの車じゃない!?」
どうやら百合葉も気づいたようだった。
ちょうど、見覚えのある中年がコンビニから出てきた。
オールバックの少しくたびれたスーツ姿の男。その顔面凶器さから、あまり関わってはいけない事をしている人のように思える。
まぁ、実際にあまり関わり合いにならない方がいい仕事をしてはいるが。
「マヒルくん! これ持ってて!」
「え?」
「水下ぁ゙ぁ゙ぁ゙ッッ!!」
マヒルは三つのクレープを百合葉に手渡され、さっきのさん付けはなんだったのかという勢いで、彼女は中年の男のもとへ走っていった。
「やっちったかも」
まぁ自業自得だしなぁ。
そんなことを思いながら、マヒルは女子高生にドロップキックを浴びせられている哀れな男の姿を眺めた。
「うわっ、重そうだなぁ……」
恨みの篭った女子高校生のドロップキックは、さぞかし強い一撃だっただろう。
やがて、気が済んだ百合葉が快活とした表情でマヒルのもとへ戻ってきた。
「マヒルくんは言ってないよね」
何の話だろう。とは言えない。
「英樹さんしか言ってないよ」
「そうだよねっ! そうだよね?」
「……ッハイ。ア、これ、クレープです」
「ありがとう!」
女の人に対して体重の話はしないようにしようと、マヒルは心に誓った。
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