天網妖刀インフェルノ

藤屋・N・歩

第1話 妖刀人間、黄泉帰り

 薄ぼけた人生が自死という嘘の願いを脳へ押し付ける。

 牧村仙一は二十三年の人生で一度も夢を持てずに過ごしてきた。親に流され進学し、金を指針に就職した。押し寄せる多忙と叱責はその怠慢への罰である。そんな風に彼は割り切ろうとしていた。気を抜くと未来と現在がつけっぱなしのラジオのように思考に纏わりついていた。少しの盆休みは余計に神経をすり減らせる。

 ふと駅内の案内板を見ると博物館の字に目に留まった。とにかく行きたくなった。そこにあるだけで意義を果たすものが見たくなったのだ。

 館内は想像よりも混んでいた。日本の考古をテーマとした展示が開かれている。仏像、茶器、掛け軸それなりに楽しんで周り武具の展示室に入った。

 薄暗い展示室はしんと静まり返っていた。なぜか人がいないのだ。異様ではあるが幸運でもある。一際目を引く日本刀のケースへ近づいた。

 厚く鋭い刃。その表面には、飛沫が散ったような無造作な刃文。黒い峰がなめらかに弧を描き、飾り気のないまま銀色にぎらついている。目が離せなかった

「いけませんよ」

 伸ばした腕が青白い手に捕まった。女の手だ。

 白い歯を薄闇に浮かべ微笑んでいる。背丈は男とさして変わらないが視線は合わない。長い前髪に遮られている。

「すみません。ありがとうございます。なぜですかね、あんまり綺麗だったからでしょうか」

 なぜ気がつかなかったのだろう。細長い女がいることに。

「私がですか?」

「は?」

「冗談です」

 軽い調子で女は喋りだした。似合わない、というのが率直な印象になる。

 美しい女である。筆を走らせたような滑らかな黒髪に胡粉を吹いたような真白い肌はまるで精緻に作られた日本人形を思わせるが、細く長く伸びた手足は着せ替え人形のようで、不均衡な造形をしていた。

「でもロマンチックじゃないですか。本屋さんで同じ本を取ろうとして手が重なる、みたいな」

「自分で言うのもなんですがあなた俺の動きを見てから動いてますよね」

「腕見てから掴み余裕でした」

「ウメハラ?」

「まあ私、見えるんです。動きとか、運命とか」

 声が一つ重くなる。

「この妖刀大紫を振るっていただけませんか?」

「意味がわからない。なんなんだアンタ」

「正義の味方、そう信じています」

 身じろぐことさえできないのは不思議なことではない。単純に、言葉と瞳に魅了されていた。

 ばきんと音が鳴る。後ろの方、壁やドアではなく空間そのものが裂けて赤黒い腕がぬっと伸び、何かが這い出た。

 鬼の実物、他の表現は無い。二本のつので天井を削りながらこちらへ迫って来ている。

「強力な武器ですから。ああいうのによく狙われるんですよね」

 女は冷静にこなれた仕草で懐から短刀を抜き出す。決め事のようだった。

「逃げていいですよ」

「逃げたらどうなる!?」

「別にどうも、次の人を探しますよ」

「それもダメなら?」

「また探します。でもアナタがいい」

「何故!?」

「心が乾いてますから」

 女が鬼の目に短刀を投げ刺した。短刀の柄から細い糸が繋いだ。糸を踏み場に這わせ、鞭のような飛び蹴りを腹部へ叩き込んだ。

 一連の動作には一切の無駄がなく破壊力に富んでいた。誰の目にも明らかな練られた武がそこにあった。

 だが女はいきなりに壁に叩きつけられる。単純なことだ。鬼は二体いた。

 牧村は一歩動くことさえ出来なかった。女はこちらを見ない。やれとも逃げろとも言わず立ち上がる。

 彼女は最初からこう言っているのだ。「自分で決めろ」と。

 展示台のガラスは障子を破るみたいに破れた。

 刀を抜いたその瞬間、戦いの記録が流れ混んできた。妖刀が吸ってきた血と割ってきた骨が心身に溶け合い骨肉が金属特有の冷たさを帯びていく。

 今、人が死に黄泉帰る。妖刀人間の誕生である。

 刀を頭上高くに振りかぶり、鬼へ飛び込んだ。白刃は咄嗟に防ごうとした前腕をするりと通り抜けた。

 身体で覚えるという言い回しがある!妖刀人間の剣技は数百年の剣豪が紡いだ魔境にあった!

 だが刃は頭蓋より生える強靭な角に食い止められた。鬼の目は一層の殺意が見えた。

 殺意の光を反射して精神が燃え輝く。大胸筋は油圧機械の如く刃を押して前頭葉を押し潰した。

 熱の冷めぬ内にと、もう一体の方へ振り向く。

「期待以上です」

 ねじ切ったであろう鬼の首を、興味無さげにすてて女はにこやかに駆け寄り手をとった。

「私は妖術師、狭山素子と申します。貴方は?」

 新しいおもちゃを見つけたような笑顔だと思った。きっと自分もそんな顔をしている。この女が自分をどこか遠くへ連れて行ってくれると、何者かにしてくれると確信していた。

「他に言える事は無い。俺は牧村仙一だ」

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