第3話 素敵な飼育小屋
また、あの天蓋だ。
レヴィは瞼を開けた瞬間、あの悪趣味な光景に再会した。慣れない。むしろ見る度に、その過剰な装飾性に頭痛がし、目を瞑りたくなる。金糸がチラチラと光を反射して、視界を刺激してくるのだ。
(また眠らされていたのか)
体を起こそうとしたが、やはり動かない。拘束の術は掛かったままだ。そして違和感に気づく。肌に触れる布地の感触が、いつもと違う。慌てて視線を落とすと――
「なっ……?!」
露出した肌に、冷気が容赦なく忍び込んでいる。飾りばかりが豪華で、布地は申し訳程度。金の鎖で繋がれた装飾品が、身動きする度にシャラシャラと煩く音を立てる。
レヴィが普段着用している、タイトで飾り気のない実用性重視な戦闘服とは、正反対な服――…
見るものの目を惹きつけるためだけの機能に特化した……官能的な、踊り子の衣装。
「ん?あっ起きたんだ。おはよう〜」
聞き慣れてきた呑気な声に、レヴィは鋭い視線を向ける。
ベヘモットは部屋の中央に置かれたソファに腰掛け、優雅に脚を組んでいた。サイドテーブルには果物が山と盛られている。どれも瑞々しく、そして何故かところどころ金色に光り輝いていた。
果物の自然な艶ではない。表面に星空をぶちまけたように。眩しく煌めいていた。食欲が湧くかどうかは別として。……もしかして、魔族専用の変わった食事なのだろうか。
「なんだ、その……光る果物……?」
レヴィは呆れ半分、警戒半分で呟く。更なる妙な光景に、服のことが一旦意識から溢れてしまった。
ベヘモットは葡萄を機嫌よく口に運びつつ、答える。
「金箔だよ。金を薄く伸ばしたやつを、細かくして……表面に振りかけてあるの。キラキラして綺麗でしょ?みてみてー」
「は、はあ……?」
ベヘモットは、手にした大粒の葡萄を無邪気に揺らす。味には何の影響もないだろうに。むしろ舌触りは悪くなりそうだ。漂ってくる香りは、普通の果物と変わらぬように思える。
――つまり、それは見た目だけの、これ見よがしな贅沢。まさにこの魔族の性格を体現したような食べ方だった。
「そうだレヴィ、その服どう?着心地は?」
ベヘモットは葡萄を食べながら、レヴィの姿を眺めて言う。紫色の果汁が唇を濡らし、それを舌先で舐め取る仕草が、妙に扇情的だった。
「君の着てた服も悪くなかったんだけどさ、」
金色の瞳が、品定めするようにレヴィの全身を撫でる。
「ちょっと厳つ過ぎっていうか……あれじゃ肌の手触りもわからないし」
レヴィは眉を顰めた。魔術師の戦闘服は、機能性を重視した造りだ。防御術式が織り込まれ、かつ動きやすく実用的。露出を抑えてあるのは、野外活動での怪我を防ぐためだ。それを厳ついなどと。
「……下級魔族の汚れ付いてそうで嫌だし」
ぼそりと言って、ベヘモットは肩を竦める。
「その服あげるよ。軽くて動きやすいでしょ?」
確かに薄い絹のような生地だが、それが何だというのか。術で拘束し、動きたくても動けない奴に動きやすい服を贈ってくる……この神経。レヴィは苛立ちを隠さずに言い放った。
「要らん。元の服を返せ」
即座に拒絶する。この服を受け入れることは、相手の支配を認めることに他ならない。
一瞬相手を油断させ、隙を突く算段も頭をよぎった。しかし、レヴィの矜持がそれを許さない。魔術師としての、人間としてのプライドが、反射的に悪態をつかせた。
ベヘモットはくすくすと笑う。まるで、予想通りの反応を楽しんでいるかのように。
「……素材の良さを殺さない、素敵なデザインでしょ?似合う似合う、可愛いよ」
物は言いようだ。露出の多い衣装を、そんな風に表現するとは。
ベヘモットは苺を手に取ると、ゆらりと立ち上がった。ソファから離れ、ベッドに近づいてくる。
「そうだ!ごはんだよー?食べる?」
赤い果実が、レヴィの口元に差し出される。表面にも例の金箔がきらめいていた。
「ほらさ、君、昨日から何も食べてないんだから。お腹空いたでしょ?」
レヴィは固く口を閉ざす。魔族の差し出す食べ物など、何が仕込まれているか分からない。毒でなくとも、何らかの呪いが込められている可能性もある。
ベヘモットは首を傾げた。
「……ハンガーストライキとか、ああいうの?」
他人事のような口調で続ける。
「まず……僕とお仕事の契約してくれるなら、考えないこともないけど。別に毒とか入ってないよ。美味しいよ」
お仕事。あの愛人契約の話か。レヴィは舌打ちする。断食という選択肢も頭に入れておくべきかもしれない。苦痛は伴うだろうが、相手の思い通りにならないための最終手段として――
「でも、お腹空かせた君も良いかもね」
ベヘモットの声が、甘く響く。
「ごはんまだ?って、可愛くおねだりされたら……ふふ、僕、何でもあげちゃいそう」
想像しているのか、金色の瞳が恍惚と細められた。
レヴィは吐き捨てるように言う。
「自由をくれたら、私の一番可愛い笑顔を見せてやってもいいぞ?」
皮肉を込めた提案。しかし、ベヘモットは予想外に興味深そうな表情を見せた。眉を僅かに上げ、唇の端が吊り上がる。
「自由かあ……」
苺を指先で転がしながら、思案するような素振りを見せる。
「どのくらいの自由?」
レヴィは呆れた。自由に程度などあるものか。しかし、情報を引き出すチャンスかもしれない。少しだけ、相手の話に乗ってみることにした。
「ああ良いな、身体が動けば是非、散歩でもしたいところだ……」
動かない手足を見つめ、大袈裟にため息をつく。演技だが、相手がどう反応するか……試す価値はある。
「お散歩かあ!いいよ、連れてってあげる」
ベヘモットの返答は、驚くほどあっさりしていた。まるでお安い御用だ、と言わんばかりに――
次の瞬間、レヴィの体が宙に浮いた。
「えっ……」
ベヘモットが、いとも簡単にレヴィを抱え上げていた。まるでぬいぐるみを抱くような、軽々とした動作。踊り子の衣装が揺れ、装飾が音を立てる。
「僕の棲家、結構広いから。お散歩する分には退屈しないと思うけど……」
そう言いながら、ベヘモットは寝室のドアへ向かって歩き始めた。
レヴィは呆れる。
「いやっ、そういうことでは……」
自分で歩きたいという意味だったのだが、この魔族には通じなかったらしい。
「歩いたら疲れちゃうよ。脆弱な人間なんて……」
いや、通じてはいた。レヴィの希望は、捻じ曲げて叶えられただけらしい。ベヘモットは廊下に出ながら、思い出したように付け加える。
「おっと。君は結構強い方の人間だったね」
昨日、レヴィは彼の目の前で魔族狩りを行っていた。一応こちらを魔術師として認識はしているようだ。しかし、根本的に見下した態度は変わらない。
「でもまぁ、疲れて愛人業に支障が出たら嫌だしさ。
僕が」
廊下もまた、趣味の悪い装飾で埋め尽くされていた。壁には絵画が隙間なく飾られ、床には豪華な絨毯。所々に置かれた彫刻や花瓶が、歩く度に視界に入ってくる。
レヴィは身を揺られつつ、冷静に観察した。
ベヘモットの歩き方が、不自然なほど軽やかだ。人間の姿をしているにも関わらず、レヴィを抱えて歩く姿勢に力みが全くない。足音も妙に静かで、まるで巨大な猫科の獣が、音もなく移動しているよう。
人間なら、どんなに鍛えていても……大人一人運ぶとなれば、重心の偏りや筋肉の緊張が多少表れるはずだ。だがベヘモットには、そういった人間らしい動きの癖が一切ない。
(やはり、擬態か……)
改めて確信する。恐らくは、魔族でも上位種。戯れに擬態という面倒な真似を続けられる程度には、魔力に困っていないのだろう。
「せめて腕だけでも自由にしてくれないか?」
レヴィは交渉を試みる。
「私の腕力なら……知れているし」
そして、わざとらしく付け加えた。
「動かせないと、貴様を抱きしめてもやれないしな?」
嘘も方便だ。分かりやすすぎる嘘だが、魔族は人間とは根本的に価値観が違う。何が交渉材料になるか分からない。会話でジャブを撃ち、反応を見るのも作戦の内だ。相手が演技めいた態度を向けてくるなら、こちらの演技も誤認してくれる可能性がある。
案の定、ベヘモットの目がきらりと光った。
「ほんと?」
子供のようにワクワクした声音。
「僕の物になる気になった?」
レヴィは言質を取られないよう、慎重に。何を考えているか悟られないよう、曖昧に笑う。
ベヘモットは唐突に立ち止まった。
そして――
唇が重なる。
廊下の真ん中で、脈絡もなく。レヴィは眉を顰めたが、今度は初めてではなかった分、多少は冷静でいられた。
のらりくらりと、好きでもない相手との接吻をやり過ごす。拒絶して怒らせるのは得策ではない。かといって、積極的に応じる気もない。
奇妙なことに、口内に広がる味は不快ではなかった。むしろ爽やかで、仄かに甘い。まるで上質な果実酒のような――
(呪いのせいか)
喉に掛けられた何らかの術式が、感覚まで歪めているのかもしれない。作られた快楽ほど、不気味なものはない。
ベヘモットはゆっくりと顔を離した。満足げに、まるで果物でも戯れに摘んだ後のような表情をしている。
「美味しい」
誰に向けた感想なのか。レヴィは無言で視線を逸らした。
廊下の先に、大きな扉が見えてきた。ベヘモットはそれを脚で軽々と押し開け、部屋へと入っていく。
庭に面した、開放的な部屋だった。大きな窓から光が差し込み、緑豊かな景色が広がっている。花の咲いた生垣、噴水、そして遠くに見える森。まるで貴族の別荘のような。手入れされ整えられた雰囲気の庭園。
「そうだ。しばらくここにいるなら、君のお部屋も決めないとね……」
ベヘモットは呟きながら、部屋の中央でレヴィを下ろした。といっても、体は相変わらず自由に動かない。豪華なカウチに、人形のように座らされる。
レヴィは窓の外を見つめた。
「この部屋、いいじゃないか。景色が良くて」
脱走の可能性を探る。外の情報が少しでも得られるなら、それに越したことはない。
「でしょ?」
ベヘモットは得意げに胸を張った。
「ねえねえ、君、好きな景色ある?」
そう言うと、ベヘモットは顎を僅かに動かした。たったそれだけの動作で、窓の外の景色が変わり始めた。
昼の陽光が、みるみるうちに夕焼けの赤に染まった。そして次に満天の星空へ。月が素早くくるりと移動し……今度は、淡い朝焼けの景色に変わっていく。まるで時間が早回しされているかのような、不自然な変化。
頬を照らす清々しい朝日。裏腹に、レヴィは絶望的な気分になった。
これは本物の外の景色ではない。精巧に作られた幻影。イミテーションだ。恐らくこの部屋も、この棲家全体も、巨大な結界の中にある。外界とは完全に遮断された、魔族の作った箱庭。
おそらく、窓の向こうは……外には繋がっていない。ただの壁紙のようなものか。
(どうする……)
レヴィは密かに思案を巡らせる。この魔族を出し抜き、脱出する方法を見つけなければ。しかし、手がかりはあまりにも少なく、状況は絶望的だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます