いぶき、かぶく(旧題:Crush On Buds)

与作

00輪.ボクのかわいい子


 空に浮かぶ島、恵殿エデン

 そこには色鮮やかな花々が一面に咲き誇り、灰で霞んでしまった地上では、二度と見る事が叶わない景色が広がっている。

 

 そして、恵殿には花御子はなみこがいる。

 彼らは少女のような可憐な見た目に、強靭な肉体を持ち、背中から花弁の羽を咲かせる。

 その花羽はなばねで空を意のままに翔けては、"イデア"という自然の力を操り、地上を人間から取り戻そうとしているのだ。


 透き通るように澄んだ水色の花羽を咲かせる花御子、イブキもその内の一人だった。


 ***


 イブキの疑惑は確信に変わった。

 

 今まで信じて従ってきた恵殿の絶対的存在である花姫はなひめは、幻覚であったのだと。

 この人はそんな崇高なものではない、ただの我儘なエゴイストだ。

 

 イブキは後ろ手を仲間に縛られ、頭を押さえつけられながら目の前の花姫を睨み上げる。

 彼女の絹のような青灰色の髪の垂れる隙間から、黄色の目が煌々と光っている。

 まるで夜明けが連想されるようなその色合いは、見る人全てを虜にしそうな風貌だ。

 

 しかし、脚を組んで悠然と座る花姫はその魅力に取り憑かれることなく、余裕綽々の笑みを浮かべてイブキをおちょくるように口を開いた。

 

「こっわ〜い目。そんなに睨んでも許してあげないよ。イブキはボクに逆らった。そうでしょ?」

 

 甘ったるい砂糖を焦がしたような飴色のウェーブがかった髪を、花姫はしなやかな指使いで優雅に後ろに流す。

 そして、自分達を取り囲んでいる集団に話しかけた。

 

「あぁ、本当に残念だよ、イブキ。君はここにいる花御子の中で誰よりも恵殿に、花姫に貢献していたのに。一体どうしたことだろう」

 赤い花羽の花御子が、全く理解し難いと考え込むように顎に手を添える。

 

「あんなに嬉しそうに人間達を殺してたのに、一時の気の迷いで身を滅ぼすなんて……愚かな子」

 紫の花羽の花御子は、憐れむようにイブキを見つめる。

 

「仕方ないさ、この子はまだ生まれて百年しか経っていない。大人びてはいるが、本当はまだ何も分からない幼子なんだ」

 青い花羽の花御子は、態とらしく大袈裟に悲しみを訴える。


「だからといって、花姫のステッキを奪おうとしたのは許せない。相応の罰を与えるべきだ」

 薄紅の花羽の花御子は、イブキの行動に怒りを露わにしている。


 イブキを取り押さえている黄色と橙色の花御子も、何か言おうと口を開きかけたが、花姫が静かに手を挙げて場を律する。


「あぁ、もういいよ。そこまでで。十分十分。……それで、イブキ。何かボクに言い残すことはないかな?」


「私達は間違ってる!これ以上、地上に介入するべきじゃない!こんな馬鹿げた事、もうやめよう」

 

 イブキは押さえつけられながらも、顔をしっかりあげて、花姫の目を見て訴えかける。

 しかし、花姫はイブキの訴えを突き返すように、退屈そうに肘をつくと、鼻から長い息を吐いた。

 

「……分かったよ。悲しいけど、イブキが二度と恵殿に戻ってこれないように、花羽を切ってしまおうね。君は恵殿ここに相応しくない。……ウキヨ、剣を頂戴」


 名前を呼ばれた黒い衣装に身を包む花御子は、どこからともなく大きな剣を取り出すと、花姫に差し出した。

 花姫は立ち上がりその剣を受け取ると、大きく振りかぶる。


「!!」

 

 イブキはせめてもの抵抗として、花姫を最後まで睨み続けた。

 怯えたり、恐れたりする姿を花姫に見られたくなかったのだ。

 だからあえて、イブキは目を大きく見開いて瞬きもせずに花姫を見つめ続ける。

 花姫がどんな表情で自分に引導を渡すのか、見てやろうと思ったのだ。

 彼女の夜明けの瞳に、鈍い輝きが映っている。


 花姫もまた、イブキから目を少しも離さずに歯を見せて笑っていた。

 そして少しも躊躇う事なく、イブキの花羽に向かって剣を振り下ろす。


 “ジャキン!”

 

 瑞々しい茎が切り落とされる小気味良い音の後で、イブキの体は花羽と見事に切り離されてしまった。

 花羽はただの花弁となって風に舞い、花畑の中へ混じっていく。


「……うっ」

 

 不思議な事にイブキは全身の力が抜け、そのまま地面に臥せてしまった。

 花姫は剣先を引き摺りながら、イブキの元へ近づく。


「じゃあね、僕のかわいい子」

 

 花姫が指先を少し遊ばせると、力を失ったイブキの体が花姫に操られるがまま宙に浮き、恵殿の端まで連れて行かれる。

 イブキの視界の隅で、色彩鮮やかな仲間達が棒立ちで眺めているのが見えた。

 そして花姫が軽く指を弾くと、イブキは地上に向かって自由落下していった。

 

「……まったく、どうしてよりによってこの日なんだか。あー、やだやだ」

 

 花姫がぽつりと呟いた声は、イブキの花羽の残骸と共に風に舞って地上へと消えていった。

 

 ***

 

 イブキは小さくなっていく恵殿をただ見つめながら、己の心の内と対話していた。

 

 なぜ、花御子は地上に住む人間達を排除してまで、地上を取り戻さないといけないのか。

 

 罪のない人間達を虫けらのように蹴散らしてきた自分は、これからどうやって償っていくべきか。

 

 そもそも、花羽を失った自分は、地上に落下して地面に叩きつけられても生きていられるのか。


 そんな考えが、泡沫のように浮かんでは消えていく。

 

 イブキは静かに目を閉じた。

 どうせ考えても分からないのだから、いっそのこと運命に身を委ねてみよう。

 大丈夫。自分は花姫を止めるまで死ねない。

 死んではならないのだから。

 肉体は滅んでも、この気持ちだけは決して無くさない。

 

 イブキはそう決意すると、祈るように目を強く瞑り、地上へと身を委ねた。

 

 

 

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