第17話 レモネと王女さま

 人気ひとけがない店内に響くのは、ラジオから流れるクラシックとすすり泣き。


「ずびっ……ぐすっ……」

「……レモネ、まだ泣いてるの」

「もうすぐとまるう……」


 ライムと食器を洗いながら、私は目元を拭った。

 あの後、数歳若返ったようなポプルさんとみんなでお祝いパーティーをしたの。

 私たちはいっぱいクッキーを焼いて、カフェオレを作って、最後は巻き込まれて乾杯もして。

 閉店ぎりぎりまでヒャッハーした常連さんたちをお見送りしてから、こうやって後片付けしているわけだけど。


「――――ライム、私ね」

「ああ」

「マスターをやっててよかったなって……思ったよ」 


 ――――パパに〈FLAP〉を任されたときは、ライムと2人でなんとか完璧な仕事をするしかない、と思っていた。

 そうすればパパがいなくても、お客さんは満足してくれるはず、って。

 

 けれどカフェは、私たちお店側の人間だけでは成り立たっていなくて、お客さんもカフェの一員で。

 みんなで協力すれば、コーヒーをいれるだけでは生み出せなかった、さらなる幸せを届けることができるんだってわかったの。 

 ――――それって、とても素敵な学びじゃない?


 涙が、やっと止まってくれて。

 ようやく笑えた私に、ライムは少し赤くなってから、大きくうなずいてくれた。


 赤くなったってことは、ライムも泣きそうなのね。

 少し余裕が出てきた私はくすりとして、からかっちゃおうと口を開きかけて――――。


『臨時ニュースをお伝えします、臨時ニュースをお伝えします』


 ――――ラジオから流れ出す切羽詰まった声に、思わず振り返った。


「なんだ……?」

「聴いてみよ……!」


 2人で耳を澄ませていると、アナウンサーは原稿をめくる音も隠さず、あわててニュースを読み始める。


『――――王室広報官の発表によりますと、第3王女シードル殿下がご結婚のため、市井しせいの人となられることが明らかになりました。お相手については、現時点では公表されておらず――――』


「レモネ、シードル殿下って……」

「パパが護衛しに行った王女さまだっ!?」


『――――また、殿下が先ごろ行われていた周辺諸国への表敬訪問について、これが王女としての最後の務めであったことも、合わせて発表されました』


 あ、それにパパがついて行ったわけね。

 王女さまと各国をまわってるからぜんぜん帰ってこれないのか…………って!

 それくらい詳しく教えてよね、パパ。


 気付けばラジオは、元のクラシックに戻っていて。

 私たちは洗い物を再開しつつ、ぽつぽつと話し始めた。


「王女さま、やめちゃうんだねえ……」

「ああ。ご結婚とはおめでたい」

「ね、素敵だね! あーでも、王女さまいなくなっちゃったら、王家のお仕事は大丈夫なのかな?」

「多分……第1王女殿下、第2王女殿下がいるから問題ないんじゃないか」

「あ、そっか!」


 そこで私は、はっと気付いた。

 

「…………ライム、王女さまの仕事が終わったってことは、パパもしかして帰ってくるかな?」

「かもしれないな。……もう少し、レモネの助っ人やりたかったけど」

「ほんと!? 私もまだライムにいてほしいっ!」


 そうだよ、パパと私とライムの3人でやればいいじゃない! そのほうが絶対上手くいくもん!

 パパが帰ってきたら頼んでみるね! と約束した、ちょうどその時――――。

 キュキュッ、と飛行機が着陸した音がした。


 カフェは終わりの時間なのに……お客さんかな。

 でもドアにはCLOSEDの札をかけたから、わかるはず。さすがに無視してご来店はないよね、うん!

 

 そう思っていたら、カランカランとドアが開いた。

 ええ…………。


「あっ…………すみません、今日はもうおしまいで――――」

「ほう、ちゃんとマスターやっているみたいだな!」

「――――うそ、パパぁっ!?」


 ほんとに帰ってきた……!?

 私は洗剤まみれのお皿を思わず落としてしまう。

 入り口に仁王立ちしたパパが、満足そうにニヤリと笑った。


「――――お、ライムくんナイスキャッチ」

「お帰りなさい、お父さん」

「ハハハ、まだ君にお義父さんと呼ばれる筋合いはないぞ?」

「なーに言ってるの! というかお仕事はもういいの、王女さまちゃんと守れた? 無礼なこととかしてないよね……?」

「ああもちろんだ。なんなら本人に聞いてみるか?」

「ほんに――――え?」


 ぬれた手を拭きながらカウンターを出かけて。

 私はびた、と固まった。

 ライムがお皿を水に落として、どぶんっと音がした。


 だって、パパの後ろから現れたのは。

 写真で何度も見たことがある、第3王女シードルさまその人だったんだもの――――!






「レモネ、ライムくん。ごきげんよう、シードルですわ」

「ごごごご、ごきげんよう……じゃなかった! えっと……恐縮です、王女さまっ」

「あ…………どどどうも、お会いできて光栄です殿下っ」


 いきなり名前を呼ばれてうろたえる私たちに、王女さまはうふふと笑って、もう王女ではありませんわよ――――と優しく言った。

 そ、そうだった……。


「ですのでお硬い言葉遣いはいりません。礼儀作法もなし! わたくしはもう市井の人間ですもの、よろしくて?」

「「よ、よろしいです……」」


 正直まったくよろしくない。

 だって口調が! 口調が高貴なんだもの、慣れないよっ!

 私は助けを求めるように、パパへ尋ねた。


「ど、どうして王女さまがここに……? だって王女さまはご結婚されるってラジオで――――」


 ――――ご結婚。

 それでうちに来た。

 は? え? ん……?


 まさか。


「結婚相手って、まさかパ――――」

「待てレモネ、その前にだ。お前に1つ、言っておかなきゃいけないことがある」


 ば、っと手を広げて、パパは真っすぐ私を見た。

 う、うん。

 ごくりと喉を鳴らして、私はパパの目を見返した。


「……お前のママについて、俺はほとんどなにも教えなかったな。事情があるとはいえ、すまなかった」

「やっぱり事情があるんだ……」

「だがそれもようやく解決してな。遅くなってしまったが、今からママについて話してもいいか?」

「えっほんと!? 〈くり色の髪〉で、〈青き瞳〉で、〈笑顔が子供みたい〉なママの話!?」

「おまっなんでそれを――――ああっ!? まさかお前、わたしのポエムを見たのか!?」

 

 顔を押さえるパパを見て、王女さまがくすくす笑う。

 あなた、ポエムなんて書いていらしたのね――――なんてパパをからかう王女さまは、くり色の髪をさらりと揺らして私を振り返った。

 優しいその瞳は、晴天のようにきれいな青…………。


「あっ――――えっ!?」

「あら、言う前にバレちゃったかしら」


 あ、あうあ…………いやそんな、まさか。

 ぐるぐる目を回す私に、王女さまはすっと顔を近付けて。


「わたくしがあなたのママですわ。今までも……そしてこれからもね」


 ――――そっとおでこに、口付けをしたのだった。






(おしまい! おまけもあるよ)

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