第13話 レモネと悲しい理由
その日の空は、少し曇り気味だった。
いつもより暗くなるのがちょっぴり早くて、つり下がった電球のオレンジ色もなんだか強めだ。
そして相変わらず、ポプルさんはカウンターでコーヒーを飲んでいる。
そういえば、入れるウイスキーは5滴が定番になった。
スポンジでポットを洗いながら、ちらっと目線を上げてみると――――ふーむ。
確かにポプルさん、こっち見てる。
ライムが怪しむのも無理はないけど…………なんというか、ヤな視線じゃないんだよね。
それどころか思いつめたような、なにかをこらえているような、そんな感じ……?
私はふーと息を吐いて、ごくりとつばを飲み込んだ。
「――――あの。なにか、気になることがおありでしょうか?」
「っ…………いや。どうしてかね」
ポプルさんは珍しく、少し動揺しているように見えた。すぐに人当たりのよい微笑みに戻っちゃったけど。
「ええと――――この頃はよく、私のほうを見ていらしたように思ったので。もしかしてウイスキー、もう少し入れたほうがよかったですか……?」
「君のほうを? …………いや、なんでもない。すまなかった」
頭を下げられて、私はいえいえっ! と手を振る。
振りながら考えた。
――――君のほうを? という困惑したような返し。
もしかしてポプルさんは、私を見ていた訳じゃないのかな。もしそうだったら……。
後ろを振り返る。壁に付けられた飾り棚に、ずらりと並んだ飛行機の模型。
その中には、翼が2枚の機体もひとつ。
「……もしかして、これでしょうか」
そっとつかんでカウンターに置くと、ポプルさんは明らかに固まった。
……やっぱり、見ていたのは私ではなくて。ポプルさんの愛機、〈パクス〉の模型だったんだ。
ポプルさんは目を離せないでいる。その真っ黒な瞳はなぜか、とっても悲しそう。
私は空になっていたカップに、静かにおかわりを注ぐ。もちろん頼まれてない。
やっと顔を上げたポプルさんに、サービスです――――と微笑んで、思い切って言った。
「よかったら……〈パクス〉とポプルさんのお話、聞かせてもらえませんか」
「……わしの愛機を、知っているのかね」
「ライムに教えてもらいましたから。とても古くて、珍しい飛行機なんだって。それから……」
「――――名前の意味が平和、かな」
「ええ! そうです」
ポプルさんは少しだけ目を細めた。顔に優しいシワが寄る。
コーヒーを一口飲んで、うなずいた。
静かに見守ってくれていたライムがそっと、彼の隣に座った。
「――――30年前、わしは空軍にいた。戦争前じゃ、誰もがいつ起こるかわからん開戦におびえながらも、それを否定するかのように明るく優しく生きていた、そんな時代じゃった」
ポプルさんは遠い目をして語り出す。
私とライムは静かに耳をかたむける。
「どの国も次つぎと新しい飛行機を開発する中、我がカルボン王国は少し出遅れていてな。周りの国と比べて、空軍の戦闘機は少し古かった。それでもわれわれは訓練に励み、愛するこの国を戦争に巻き込むまいと必死じゃったよ。われわれが強くなれば、敵も安易に手を出せないだろうと信じていたのじゃ」
――――そんなポプルさんたちの元に、ようやくやってきたのがあの〈パクス〉だった。
平和という名前を背負い、争いのない空を願って生み出された、当時最新の戦闘機。
懐かしそうに、ポプルさんは笑って続ける。
「〈パクス〉はさすが、最新の戦闘機じゃった! 今までの機体よりも速く、操縦しやすく、空を思い通りに飛ぶことができた。我々パイロットはうれしくてな、訓練が終わってもつい飛ばしすぎてしまったほどじゃ。まれに民間機と並んで飛んだり、畑の子どもたちの上で曲芸飛行をやってみたり。あの頃の空は楽しさと自由に満ちていて、〈パクス〉はそこを飛ぶ飛行機じゃった!」
はあと楽しげなため息をついて、ポプルさんはコーヒーをあおった。
そして彼は兵役を終える。軍人だったといえど、楽しい空を飛び回った幸せな記憶とともに、空軍を辞めたのだ。
…………けれどその直後。カルボン王国は、戦争に巻き込まれた。
「敵は一方的に攻め込んできたのじゃ。しかも彼らの戦闘機は、〈パクス〉など比べものにならないほど強い、次世代の戦闘機じゃった。〈パクス〉はすぐに、新しい戦闘機に取って代わられた。わしの好きだった空も、悲しみと争いで失われてしまった……」
辛そうな言葉が、ぽつぽつと続く。
ライムが背中をさすってあげる中、ときおり息を詰まらせながらも、悲しい記憶が明かされていく。
「……そして戦争は終わった。負けはしなかったが、我が国はぼろぼろになった。しばらくして不要になった飛行機が社会に普及し、今のような世の中になったが――――わしはな、どうしても悲しい空を飛ぶ気になれんかった」
……けれど、戦争で街が少なくなった今の世界では。
街同士が遠くて、飛行機なしでは生きていけない。
だからポプルさんは、あることを思い付いた。
――――楽しい空を一緒に飛んだ、〈パクス〉なら。
戦争のことを忘れて、飛べるんじゃないかって。
「わしは軍を辞めたときのお金とコネで、なんとか〈パクス〉を手に入れた。思った通り、あいつと一緒なら飛ぶことができた。風防から見える空は昔と同じ、自由な空じゃったよ」
なるほど、だから〈パクス〉に乗っているんだ……。
物好きとかじゃない、もっと深くて悲しい理由に、私は少し泣きそうになった。
――――でも。
ポプルさんが続けた先は、もっと悲しかったのだ。
「……あいつはどうやら、わしより先に逝くつもりらしい。もともとオンボロではあったが、とうとうエンジンも壊れた。わしにはもう手当てできん」
「じゃ、じゃあ修理に出すとかっ……」
「……そうじゃな。だが〈パクス〉は古すぎて交換部品がないから、普通の整備屋では絶対に直せん。こいつの構造を知り尽くした整備士が今ある部品で代用することでなんとか修理する、そうやって今までやってきたのじゃから」
もちろんそんな整備士は何人もおらん。
わしが知っているのは、ウタカタのやつだけじゃ。
ポプルさんの言葉に、私とライムは顔を見合わせる。
「それって……」
「ああ。多分、そういうこと……」
カタン、とカップを置いて。
ポプルさんは、笑ってみせた。
「そのためにタンサン島まで来たのじゃがね。ハハ、そう上手くはいかんらしいなあ……!」
私はぎゅっと拳を握る。
ウタカタ飛行機が店じまいした今はもう。
〈パクス〉を直すことは、できなくなってしまったんだ。
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