第38話 王都到着 (Side:アルヴィン)
「忘れ物はないな?足元気を付けろよ」
「うん……」
長い鉄道の旅に終わりを告げ、王都の駅に降り立った瞬間、空気ががらりと変わるのを感じる。
ざわめき、足音、遠くなっていく汽笛と駆動音――様々な音が混ざり合い、一瞬も途切れることなく鼓膜を揺らし続ける。
ひゅ――と息を呑んで、思わず足を止めた。
「アルヴィン?」
「ぁ……」
前を行くカルロが立ち止まり、僕を振り返る。
街並はもうすっかり冬だというのに、僕の手はじっとりと汗ばみ、喉がカラカラに乾いていく。
「おい、大丈夫か!?顔が真っ青だぞ!」
カルロは慌てて駆け寄ろうとするが、少し開いた距離を埋めるように、道行く人の波が彼の行く手を阻んだ。
「ご……ごめん、ちょっと、気分が――」
我ながら情けなくなるほど弱々しい声で呻き、胸を抑える。
周囲に溢れる人々は、冷たい視線をくれるだけで通り過ぎていく。トラブルに巻き込まれるのは御免だと言わんばかりだ。
そう。これが王都――僕は、よく知っていた。
僕――いや。これは、シャロンの記憶だ。
幼い頃に何度か降り立ったこの駅に、良い印象はあまりない。
狭い空間に詰め込まれた人の波は、幼いシャロンをあっという間に飲み込み、危険へと誘う。
王都は、田舎のフロスト領とは比べ物にならない数と重さの犯罪が頻発する都市だ。
信頼できる家族としっかりと手を繋いでいても、腕に覚えのある護衛を何人も雇っていても、いつだって狡猾な犯罪者は一瞬の隙を突いてシャロンを狙った。
「ぁ……怖、い……」
耳に響く雑踏に紐づいたシャロンの記憶が、僕の意識を侵食していく。
身体の芯を耐えがたい恐怖が駆け抜け、まっすぐ立っていられなくなって、その場に蹲った。
「おい!」
耳鳴りが酷くて、カルロの声が遠い。無条件の安心感をくれる声が遠いせいで、シャロンの恐怖はいつまでたっても収まらない。
「こわ、い……助、けて……っ!」
懇願を口にした途端、それが無意味であることも自覚し、絶望が膨らむ。
危険に遭遇したときに、どんなに必死に助けを求めたって、他人は誰も助けてくれない。
助けてくれるのは、大好きな家族だけ。
何を擲っても構わないと、どんな時もこの世で一番、私の身を案じてくれたのは――
「お兄、様っ……!」
固く閉じた眦に涙が滲む。
瞼の裏に浮かんだ愛しい人影には、もう、どんなに手を伸ばしても届かない――
「チッ……しっかりしろ!」
降車してきた人の流れに逆らって駆けつけたカルロの声に、いつもの余裕はない。
人波から守るように蹲った僕の背中に腕を回しながら、もう片方の手を顔の前で開いた。
「目を閉じて、深呼吸だ……!何も考えるな、大丈夫だ――俺がいる!」
「ぅ……」
カルロの掌の上にこぉっと微かな光が溢れ、ふわりと懐かしい香りが鼻腔を擽る。
遠い記憶の彼方――色とりどりの、春のバラ園。
愛しくてたまらないのに、二度と取り戻せない、”幸せな記憶”の象徴――
「絶対に、助けてやる。何でもしてやる。俺が、お前たち兄妹を絶対にもう一度、生きたまま逢わせてやるから――余計なことは考えるな!全部俺に、任せておけばいい!」
「っ……カル、ロ……」
蹲っていることすら苦しくなって、しゃがみこんだカルロへと身を預けると、がっしりと逞しい身体が受け止めてくれた。――何も心配することなどない、と告げるように。
だけど、いつもは無条件の安堵をくれるその温もりに、もはや全てを委ねることは出来なかった。
――きっかけは、北の大地で出逢った少女。
『わ、私っ――せ、宣戦布告に、来たのよっ!』
あどけなさの残る顔で、貴族令嬢らしく胸を張って言い放つ姿。
『私は、レーヴ家の女!敵の塩など、受け取りませんわ!』
思い描いたのとは違う結婚相手をあてがわれても、家のために虚勢を張れるベアトリスは、高位貴族の家に生まれた令嬢として、あるべき姿だった。
そう。――だめ、なのだ。いつまでも、カルロの優しさに甘え続けていては。
酒場で聞いた彼の母国の音楽は、社交のためのダンス曲とは似ても似つかなかった。
混ぜ物の入った安酒を煽って指で揚げ物を摘まみ、屈託なく笑うカルロを見て、思い知った。
いったい、シャロンの隣にいるためだけに、どれだけの努力をしてくれたのだろう――と。
慣れない曲のダンスを覚え。貴族社会のマナーを叩きこみ。食事の好みだって、どれだけ我慢を強いたかわからない。
竜になった家族を助けたいと言えば、約束された輝かしい将来を蹴って、共に旅に出てくれた。
国内有数の大貴族令嬢からの求婚を受けても、誰の目にも明らかな破格の条件の婚約を突っぱねた。
それらは全て――シャロンのため、だ。
カルロの本質は昔から変わらない。自領の中すら殆ど見たことがないと告げた少女に、初めて広大な湖を見せてくれたあの日から、ずっと。
だから今、ここで、カルロに身を任せて言葉に甘えれば、彼は竜を元に戻す方法を死に物狂いで探してくれるのだろう。
目を閉じて、何も知らないふりをして、甘えてしまえばそれでいい。
シャロンは昔からそうだった。
怯えて、震えて、屋敷の中でじっとしていれば、周囲が何でも便宜を図ってくれた。令嬢にあるまじき社交性の無さだと揶揄されても、直接的な悪口がシャロンの耳に届いたことなどただの一度もない。――兄や家族がそれを許さなかったから。
真綿にくるまれるようにして、蝶よ花よと育てられた、無力で愚かなお嬢様――それが、シャロンだ。
だけど、レーヴ領で出逢った、涙をこらえて家のために全てを飲み込み虚勢を張るベアトリスは、小さくても、立派な貴族だった。
いつまでも現実と向き合わず、我儘で周囲を振り回すシャロンとは違う。
どれだけ泣いても、もう、いつも助けてくれた兄はいないのだ。
それがどれほど耐えがたい恐怖を伴うとしても――いい加減に、現実と向き合わなければ――
「おい! 無理するな、身体を預けろ!」
もたれかかった身体を弱々しく起こそうとすると、カルロの焦った声が飛ぶ。
緩く頭を振って甘い言葉を振り払い、重い瞼を押し上げたときだった。
「っ――お嬢様!」
絹を裂くような声が鼓膜を揺らした。
霞む視界の中、蒼い顔をした女性が駆け寄ってくるのが見える。
「どう――して――」
映った人影に見覚えがあり――どうしてフロスト領にいるはずの彼女が王都にいるのかわからなくて、茫然とした声が漏れる。
「――レイア……?」
それは、シャロンが幼いころから専属侍女として仕えてくれている、レイア・トーレンだった。
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