マジカの出身
「そういえば、市場に向かうと言ってましたけどどれくらいかかるんですか? 森を抜けても宿場町があった程度だと思うんですけど」
彼女はこの地域の住人じゃない。先日に宿を取ったものの、周囲に市場らしい施設は見かけなかったと言う。それもそのはず。
リサさんが返事をする。
「そうね、歩くと三時間以上はかかるかしら」
「さ、三時間!? 往復だと丸一日かかっちゃうんじゃ」
「うん、だから歩いては行かないわ。魔法使い専用の停留所を使わせてもらうのよ」
「停留所……話には聞いてますけど、まだあるんですね」
二人の言う魔法使いの停留所とは、名の通り駅馬車や乗合馬車などの停留所のようなもの。
魔法使いが空を飛んだり降り立ったりが許可されている小さな区域のことで、これは地上や空での交通事故を減らすために設けられた施設なのだ。
だけど、近年科学が発展した影響で魔法使いの数は激減。停留所を使う魔法使いがほとんどいなくなってしまい、世界中でその姿が消えていってるのが現状だったりする。
私も二人の話に加わってみる。
「あると便利だからって、お母さんが停留所をなくさないよう市長さんに頼んだの。維持管理はお母さんたちが受け持つっていう条件で今も機能してる。もうすぐ見えてくるわ」
森の出口付近に到着する。そこには大きな看板が掲げられていた。森の入り口から私有地である旨の注意書きと、工房がこの先にあることが案内されている。
そして、その看板の足下。円状に白一色のコンクリートが敷かれていて、大きさはだいたい直径十メートルほど。ここが「停留所」である。
「工房に窺ったとき、森の入り口に妙なスペースがあるなとは思ってましたが、ここが停留所だったんですね。基礎か何かの跡かと」
マジカの指摘にリサさんは苦笑してこう返す。
「魔法使いでも停留所を使えるのは限られてるからねえ。一生使わないまま引退する魔法使いも珍しくないし。そういう意味ではあまりポピュラーではないわね。さっそく飛ぶから、二人とも私のそばに寄って離れないでね」
言われたとおり近くに寄る。リサさんは私とマジカの肩に手を置くと、小声で魔法の詠唱を始めた。鳥のさえずりほどの短い単語を数回唱えると、足下が淡く青く光って――
「飛ぶわよ。視界が一瞬グルッとひっくり返るけど、怖かったら眼を閉じてね」
その瞬間、目の前が森から青空へ切り替わる。そして、一呼吸するうちにその開けた景色は賑やかな街並みへと早変わりした。
「はい到着。二人とも気分は悪くない? 酔ったりしてない?」
私は慣れてるので大丈夫だ。マジカも問題なさげにキョトンとあたりを見回している。
「平気ですけど……え、もう終わりですか。飛ぶっていうからてっきり空を飛ぶのかと」
「アハハ、ゴメンね。実際には空を飛んでるのよ。高速だからわかりづらいかもだけど」
「い、いえ。文句があるわけじゃなくて、難しいことをあまりに簡単にするものだから、結構驚いてるんです。足下もちゃんと赤色に光ってるし」
「フフ、そうそう。私はスゴいのよ」
そうやってマジカに賞賛されて、リサさんは腰に両手をあて満足げだ。
足下には出発地点と同じコンクリートが敷き詰められているが、色が青ではなく赤色だ。
これは信号機と原理は同じで、今は危険を表している。青は移動前の合図で、赤はそこに誰かがやってくることを知らせているのだ。
つまり、停留所を使用するには最低でも三つの魔法を行使しなければならない。
一つ。出発地点から目的地までを移動する魔法。
二つ。出発地点から目的地までを望遠する魔法。これは安全確認のため。
三つ。地面の色を変化させる魔法。規則により出発地点は青。目的地は赤に。加えて、目的地の色を変える場合は、望遠魔法と併用での行使が必要。難易度が高い。
もちろん、使用後は出発地点と目的地の色を元に戻すのを忘れずに。
これらの魔法を習得して初めて停留所が使用可能となる。
移動と望遠と色彩変化。どれも系列の異なる魔法なので、魔法使い全盛の時代でも停留所を使用していた魔法使いはあまり多くなく、昔も今もかなり重宝されている。
だからリサさんは、それだけすごい魔法使いなのだ。
「利用できる魔法使いが少ないのはわかるんですけど、こんなに便利なのに、どうして停留所は廃れていったんですか」
マジカはそんな疑問を口にする。確かに、扱える人がごく少数に限られてしまうけど、物流において停留所はとても便利だ。大昔、魔法使い同士で戦争なんかしていたときは、いろんな臨時の停留所があったらしいけど。
「あんた魔法使いなのに最近の流行も知らないの? 今の時代、魔法よりも科学が流行ってるのよ。停留所を使って配達する魔法使いを雇うのは高額だけど、手紙なら電報、会話なら電話、配達だって機関車や馬車で代用ができるの。どれもそれなりに料金はかかるけど、魔法使いに頼らなくて良いっていうのは、とても革新的なことなのよ」
つまるところ、魔法を使えない人たちが協力しあって、魔法と似た成果をあげられる世界になってきている。
停留所だって、本当に必要なとき、例えば緊急救急のときに使用できれば便利だけど。
生憎、扱える魔法使いが常駐できていないのであれば、宝の持ち腐れ。
なので、時代は停留所を頼らなくなった。魔法使いがいなくても魔法使いじゃない人々が、便利に、支え合っていける社会にしていこうと活気づいている。今はそんな時代。
「マホちゃん。マジカちゃんは工房で雇ってる魔法使いだけど、マホちゃんにとっては大事なお客様でしょう。あんまり不安にさせるような言い方はダメよ」
「…………」
リサさんに窘められる。そりゃあ、私の初めての依頼人だけど、別に不安になってほしくて言ったわけじゃない。魔法使いが不要となってきているご時世に、危機感を持ってほしいだけ。
「気にしてませんよリサさん。なんだか生意気な妹ができたみたいで楽しいですし」
「誰が生意気よ!」
子供扱いにはさすがに口を挟む。せっかく私が親切に講釈してあげたのに、マジカはまるであっけらかんとしている。ウラを返せば、それだけ自分に自信があるってこと。
「じゃあ、そろそろ行きましょうか」
停留所を元の色に戻したリサさんに促されて、私たちは市場を目指した。
ここは産業都市メルカト。魔法に関する市場がこの国で一番盛んな街である。
うちの敷地とは違って、多くの人が行き交い、レンガ造り石造りで建てられたタウンハウスが軒を連ねている。ところどころに露店や屋台、壁から生えた看板が通行人を誘惑していたりな、そんな街並みだ。
道路自体は広いけど、その中央を歩行する人はほぼいない。そこは高速で走っている馬車が通るスペースだ。時折、蹄と荷車の音が通行者の視線をさらっていく。
「すご~。めっちゃ都会じゃん」
マジカは遠くを眺めるように額に手をあて、はしゃぎながら周囲を見渡していた。
「みっともないからあまり騒がないでよね。そういえば、マジカって出身はどこなの? 宿をとってたってことは、地元からそれなりに離れてるのよね」
田舎者丸出しな浮かれ具合に気恥ずかしさを覚えつつ、ふと疑問に思ったことを尋ねてみた。
すると、彼女は返事をするもののどこかよそよそしくこう応える。
「うん、そうだけど……リサさん、マホには話してないんですか?」
「ええ。あくまでマジカちゃんは師匠の顧客だから。師匠の指示で、あなたの個人情報は許可をもらわないと他人には教えちゃいけないことになっててね。マホちゃんも例外じゃないの。マジカちゃんが話す分には問題ないのだけど」
「そう、でしたか。……あ、お心遣い感謝します」
なんだか妙に静かになってしまって、彼女にしては珍しい反応だなと思った。
聞いちゃいけないことだったかしら。質問を取り消そうとして、同時に彼女は恥ずかしげにこう話してくれた。
「地元はここからずっと郊外で、距離もけっこう離れてる。ホント、何もない田舎よ。出身もそこと同じなんだけど、何度か引っ越ししててね、生まれて三才まではタルバニ、引っ越して十才まではウトー、そこからまた引っ越して十六才までマルドーク、それでタルバニに戻ってきて今にいたるって感じかな。丁度二年前から魔法の杖探しを始めたの」
「へえ、なんかすごいわね。三つも国をまたいでるなんて、帰国子女じゃん」
「そ、そうかな。フフ……」
そこは一般的ではない自覚があるんだ。はしゃぎようはナリを潜めて静かになっている。
マジカが言ったタルバニ、ウトー、マルドークというのは地域名ではなく、国の名前だ。
タルバニは私たちが今いるところ。世界地図で西にある、最も産業が栄えている国。
ウトーは北にある国。雪国で過酷な環境にあると聞くけど、比較的魔法使いが一番多く在籍していることで有名。
そしてマルドーク。ここは以前マジカが言っていたバベルのある国だ。魔法に関する法律や魔法使いたちを管理する機関がある国であり都市。
マジカが目指す、バベルのある国。
「ん? バベルに行きたいなら、どうしてタルバニに戻ってきたの? マルドークに住めば、バベルが人手を欲しがってるかどうか、知りやすかったんじゃない?」
「あ~……単に魔法使いとしての力量不足もあるけど、家族の都合もあったから」
そっか。ご家族の都合なら仕方がないか。そう言えば、バベルに行きたがっていたマジカのおばあ様はもう亡くなっている。残されたご家族がそれをどう思ったのか、他人の私では計り知ることはできない。
「三才から十才まではウトーで魔法の修行をしてたの。おばあちゃんと、その知り合いの魔法使いの人たちにたくさん教えてもらってね。勉強も含めて。おばあちゃんが死んじゃってからマルドークに引っ越したけど、ただ資格を取るだけじゃバベルには行けないって気づいてさ」
それが二年前。弱冠十才で第三種資格を取得できた天才でも、バベルの門を叩くには力不足とのことだった。その原因を解決するために、自分に合う魔法の杖を探していたのだ。
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