第14話 婚姻の儀

 三日後――婚姻の儀が執り行われる日の昼。凜は先日のミルクホールの店先で、凍鶴から約束の呪符を受け取った。

「結界がある場所にそれを貼れば、解除できます。くれぐれも、お気を付けて」

「ありがとうございます、助かります」

 凜は凍鶴に礼を言い、呪符を懐に入れた。夜になれば、婚姻の儀が始まってしまう。それまでに中庭の結界を解除し、屋敷の秘密を暴かねばならない。

 しかし屋敷に戻った凜は、景一をはじめ数人の使用人に取り囲まれてしまった。

「どこに行ってたんっすか! 儀式の準備があるっていうのに!」

 景一が頬を膨らませながら凜の腕を掴む。凜は呪符が落ちないよう、胸元を抑えながら問いかけた。

「準備? 婚姻の儀は夜でしょう?」

「儀式自体は夜でも、準備には時間がかかるんっすよ!」

 景一は口を尖らせながら、使用人とともに、凜を本邸に連行していった。

 怒濤の時間が過ぎていく。簡単な食事を取った後、湯浴みに着替え、化粧、髪の飾り付け。そのどれもが時間をかけて念入りに行われていた。

 触れられるのも困るので、手伝いは適度に断っていたものの、手は出されずとも常に使用人たちに見張られている。隙を見て抜け出そうと思ったが、呪符を箪笥の中に隠すのが精一杯で、調査になど当然ながら行けなかった。

 結局全てが終わった頃には、外はすっかり暗くなっていた。

 婚姻の儀は、別邸の大広間で執り行われるらしい。凜は景一と使用人たちに連れられながら、渡り廊下を歩んでいく。廊下に降り注ぐ満月の光が、凜の着る白無垢を照らしていた。普通の花嫁であれば、きっと幸せに溢れた時間なのだろう。けれど凜の胸には、焦燥と絶望が渦巻いている。

 調査初日に、時間を見誤らなければ。もっと早く、結界に気付いていれば。この時を迎える前に決着を付けられたのに。

 このまま真実を明らかにすることなく、霊力を奪う異能が知られてしまい、屋敷から追い出されてしまうのだろうか。そうなれば任務は失敗、特別手当ももらえず、昌明の進学費を手に入れることができなくなる。身を犠牲にして蒼雪との結婚を選択した意味が、なくなってしまうのに。

 しかしどれだけ後悔しようと、状況は変わらない。

 暗い気持ちになりながらも、凜は景一に導かれ、別邸の大広間へ入った。

「待っていたよ」

 広間に入った凜を見て、蒼雪は頬を緩めた。今宵の蒼雪は頭の獣耳を消し、銀色の長髪を艶やかに流し、羽織袴を纏っている。普段の飄々とした雰囲気を引っ込めた彼は、静かな威厳を醸し出していた。

 傍には黒の着物を着た瑠風が控えており、静かに凜たちの方へ目を向けてくる。彼の前には、杯の乗った膳が用意されていた。この後の儀式で使うのだろう。

「姐さんは蒼雪さんの隣っすよ」

 景一はそう囁いて、蒼雪の隣の空いた座布団を指さした。

 先に進みたくなかったが、止まっていても怪しまれてしまう。凜は躊躇いながらも、蒼雪の隣に腰を下ろした。

 蒼雪がこそりと隣から耳打ちしてくる。

「具合でも悪い? 顔色が悪いけど」

「……緊張してるのよ」

 何でもないように返したつもりなのに、声が強ばってしまった。やはり調子が悪いと思ったのか、蒼雪は申し訳なさそうに眉根を下げる。

「ごめんね、儀式自体はすぐに終わるから」

 儀式を取りやめる選択肢はないらしい。蒼雪は正面を向き、瑠風に合図をした。

「それではこれより、婚姻の儀を執り行います」

 瑠風が静かに口を開く。彼の言葉で使用人たちがさっと引いていった。部屋には凜と蒼雪、瑠風、景一の四人だけになる。

「祝詞の後に清水の入った杯を渡します。それを飲み干した後、契約の口付けを」

 瑠風が説明に続けて、祝詞を唱えている。しかし凜の耳には、まったく届いていない。

 凜はちらと横目で外を見た。開かれた窓からは、薄闇に染まった中庭が見える。以前夜に訪れたときは妖怪たちの賑やかな声で溢れていたが、今響いているのは虫の声だけだ。そう言えば凜がミルクホールから帰った後も、使用人以外の妖怪は見かけなかった気がする。今夜は婚姻の儀式があるからと、妖怪たちを入れていないのかもしれない。空に浮かぶ満月が、凜には嫌に大きく見えた。

 婚姻の儀は厳かに――凜にとっては悲劇のように進んでいく。

 祝詞が終わり、杯が凜と蒼雪に手渡された。凜は拒絶したい気持ちを抱きながらもそれを受け取り、震える唇で中の清水を飲み干す。

 からん、と。隣で杯が床に落ちる音がした。

「蒼雪……?」

 その場にいた者の視線が蒼雪に集まる。

 彼は右手で頭を抑え、俯きながら荒い息を吐いていた。

「くっ……どうして今なんだ……!」

 蒼雪は苦悶の表情を浮かべながら、何かに耐えるように畳に手をつく。直後にその頭から獣耳が生え、尻からは九本の尾が伸びた。鋭く伸びた爪が、深く畳をえぐっている。それは先ほどまでの余裕のある彼とは違う、恐ろしい大妖怪の姿だった。

「蒼雪!?」

「「蒼雪様!!」」

 凜が目を見張り、瑠風と景一は主の元に駆け寄ろうとする。しかし蒼雪は、左手で彼らを制した。

「儀式を、続ける……口付けさえ、してしまえば……落ち着く、はずだから」

 蒼雪は息を吐きながら、凜の方に向き直る。

「ごめん、凜……この姿は、見せたくなかったのだけれど……婚姻の儀を成立させれば、落ち着くから……」

 蒼雪は爪の長く伸びた手を、凜の方へ伸ばしてくる。

 凜は大きく息を呑んだ。彼に何が起こっているのかは分からないが、このまま触れられてしまえば異能で彼の霊力を奪い、昏倒させてしまうだろう。しかし儀式を完了させなければ、蒼雪の状態は変わらないという。今の彼の状況が危険なのは、本能的に感じ取っていた。

 触れられたくない。だが蒼雪の状況を止めなければ。

 凜の中で、二つの感情がせめぎ合う。

 やがて蒼雪の手の平が、凜の頬に届き――

「駄目っ……!」

 声にならない悲鳴を上げ、凜はぎゅっと目を閉じた。それと同時に、温かな熱が頬に触れる。胸が掴まれたような心地がした。きっと次の瞬間、蒼雪の倒れる音と、景一と瑠風の叫び声が聞こえるだろう。

 だが――どれだけ経っても、一向に蒼雪が昏倒した気配はなかった。

 凜は恐る恐る瞳を開く。すると目の前で、蒼雪が凜の頬に手を触れたまま、呆然とした顔でこちらを見つめていた。

「君は今……僕に何をしているんだい?」

 問いかけてくるその姿は、いつもの蒼雪だった。先ほどの恐ろしい姿の面影は、どこにもない。当然、具合が悪そうな様子も、今にも意識を失いそうな気配もなかった。訳が分からず、凜は蒼雪を見上げて問い返す。

「いや、聞きたいのは私よ。大丈夫なの……?」

「体から霊力が抜けている。驚くほど急速に」

 蒼雪は凜の頬から手を離し、自分の両手の平を見つめた。

 凜は蒼雪から顔をそらしながら言葉を返す。

「それは私の異能の効果よ。私には雷の異能ともう一つ……他人の霊力を奪う異能があるの。色々と問題になりそうだから、周りには隠しているけれどね」

「そんな……なんてことだ……」

 蒼雪は大きく目を見開き口元を押さえる。その反応に、心の影が深まった。

 結局はこうなってしまうのだ。霊力を奪う異能など、他者に歓迎されるわけがない。何故蒼雪が触れて無事だったのかはわからないが、この後の展開は凜が予想していた通りだろう。

「いいわよ、追い出しても。こんな異能を持つ女と一緒にいるなんて、怖いでしょう」

 半ば自暴自棄になりながら、凜は自嘲とともに言葉を吐き出す。しかしそのとき、ぐいと体が引き寄せられた。

「いや、むしろ余計に手放したくなくなった」

「えっ?」

 目の前に、蒼雪がいる。心の底からの喜びに満ちた表情で。

「本当に……君は僕の運命みたいだよ」

 唇に、柔らかなものが触れる。温もりが唇から体の奥に染み渡った。

 生涯知ることはないと思っていた感覚。それを教えてくれた銀の妖狐は、月の光の中で美しく微笑んだ。

「どういう、ことなの……?」

「僕は霊力が溜まりやすい特殊な体質でね。恐らく僕の体には普通の妖怪の何十倍……もしかしたら何百倍もの霊力が溜まっていたんだ。そのせいで最近ではさっきみたいに、霊力が暴走しかけてしまうようになっていてね」

 無限に普通の妖怪の何十倍もの霊力を生み出してしまう蒼雪は、対症療法として人間との婚姻の儀を結ぶことにしたのだという。人間と婚姻の儀の契約を結んだ妖怪は霊力が安定するため、今以上の悪化を抑えられるのだとか。

「じゃあ、あなたが私に触れても倒れなかったのは……?」

「多分、僕がため込んでいた霊力が、凜の異能で奪われる霊力よりも圧倒的に多かったからだろうね。今はむしろ霊力が落ち着いて、体調もよくなったよ」

 蒼雪はにこにこと笑っている。その顔は確かに、先ほどよりも血色がいい。

 そういえば彼は、以前にも調子が悪そうに俯いていたが、まさか霊力暴走なんて爆弾を抱えていたとは。

 しかし驚きと同時に、納得もした。妖怪頭の霊力暴走が知られたら、帝都でどんな騒ぎになるか分からない。下手をすると、妖怪全体の立場が危うくなってしまうだろう。それを考えれば、彼が結婚相手を探している理由を秘密にしたのも理解できる。

「僕はね、この体質を止める術はないと思っていたんだ。婚姻の儀でそれ以上の悪化を防ぐしか、できることはないんだって。でも君に触れられただけで、数十年ぶりに体が軽くなった。霊力が増加する速度を止めるんじゃなくて、霊力を減らすことができるなんて思いもしなかったよ」

「私も……私が触れて平気な相手がいるとは思わなかったわ」

 これまでずっと、凜は他者に触れずに生きてきた。触れてしまえば、宵鴉の任務で捉えてきた犯人たちのように、昏倒させてしまうから。

 けれど蒼雪は――蒼雪だけは、その温もりを直接感じる事ができたのだ。

「もう一度、僕に触れてくれるかい?」

 蒼雪が、まっすぐに見つめてくる。凜は右手につけた手袋を外した。夜の外気はひやりと冷たい。

 そっと、蒼雪に近づいた。震える手を伸ばし、指先から彼に触れる。手の平を頬に添えると、蒼雪は心地よさそうにすり寄ってきた。

「……っ!」

 胸の中が一杯になった。目の奥から熱いものがこみ上げてきて、ぶわりと一気に溢れ出す。一粒、また一粒と、滴が畳の上に落ちた。

 誰にも触れられないと思っていた。誰の温かさも知らないままに、一人孤独に生きていくのだと思っていた。

 けれど違った。蒼雪が――寄りにも寄って、皮肉ばかりを言ってきた蒼雪が、凜に人の温かさを教えてくれたのだ。

 嗚咽を漏らす凜の手に、蒼雪がそっと手を重ねた。

「口付けによって婚姻の儀は成立した。だからこれからは、毎日僕に触れてほしいな」

 蒼雪は婦女子誘拐事件の容疑者で、凜の任務の調査対象。このまま追い出されなければ、明日には結界を破り、この屋敷に潜む秘密を明らかにしなければならない。だから絶対に、蒼雪に心を許すわけにはいかないのだ。

 ――けれど。

「……ええ、構わないわ」

 凜は涙を流しながら、蒼雪の言葉に頷いた。

 駄目だと分かっていても、今だけはこの感動に浸らせていて欲しかった。


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