魔導監査 オーバーフレイム
スラチ《Circle:セントネーレ》
1 魔法学園ザナイェ
1
十月十一日。
肩掛け鞄から取り出した手鏡に自分の顔を映す。亜麻色をした髪に乱れはない。急いで支度した割りには化粧もまあ無難にこなせているだろう。
朝八時。しんと静まり返った廊下には他に誰も見当たらない。上部に「理事長室」の札がかけられた扉を前にして、否が応にも心臓の鼓動が跳ねるのを感じる。
緊張を和らげるべく一呼吸ついてからノックする。ややあってから「どうぞお入りください」と返事があり、ドアノブに手をかけた。
「失礼いたします。クラリエ・ベールルです」
「ようこそ、お待ちしておりました。お久しぶりですね、ベールルさん」
出迎えてくれたのは淑やかな雰囲気を纏ったやや年配の女性――すなわちこの理事長室の主であり、『学園』の理事長その人だ。
理事長は応接用のソファへ着席を促す。一礼して腰かけると、高級感のある革張りのシートは深々と沈み込んだ。
理事長室の南側は壁一面ガラス張りで、柔らかな日差しと青空が輝くそれはまるで巨大な絵画であるかのようだった。
「貴方がこの学園を卒業してからもう半年。お変わりありませんか?」
「ええ、おかげさまで何とかやっていけています」
「立派になりましたね。優秀な学生が世に羽ばたき活躍する、その姿をこの目で見ることができる事は教師冥利に尽きることです」
面と向かってそう言われれば、なんだかくすぐったい気分になる。
そこでクラリエは新たな組織の一員であることを示すべく、懐から身分証を提示した。
顔写真と名前、組織の記章が入った、警察でいうところの警察手帳にあたるものだ。
「改めまして、私は『
そんな姿を見て、理事長も表情を引き締めて自己紹介をした。
「私はこの『魔法学園ザナイェ』の理事長、ランデアと申します」
深く頭を下げる。しかし学園のトップという立場でありながらあまり堅苦しい雰囲気は苦手なようで、理事長はコホンと咳払いをして話を続ける。
「しかし貴方が就職先として『
「いえ。私は私の力で人々を守り、助けたいと考えていますので」
着席時にソファへ立て掛けておいたそれを手に取る。
普通であれば物騒極まりないそれは、クラリエと供に人生の苦楽を共にしてきた相棒とも言える一振りだった。紫がかった鞘に納められた、愛用の長剣である。
「まさか在学中に騎士(きし)免許を取得できる学生が現れるとは、私の教員人生の中でも初めてのことです。貴方ならきっと、どんな場所であろうとその正義を存分に振るえると信じていますよ」
騎士の免許を持つ者は帯刀が許されており、それは大の大人でも取得が難しい難関とされている。実際、クラリエのように学生で取得できた者は数える程しか存在しない。
理事長は柔和な表情で微笑んでいたが、すぐに陰のある表情を見せた。
「ですが、今回の依頼ではその刃を振るう機会は無いかもしれません。既にご存知でしょうが、今回こうしてお越しいただいたのは学園内で発生した魔法火災の現場調査になりますので」
「ええ、私も本件の依頼内容の確認をさせていただきたい次第です」
ここからが本題であった。手提げ鞄から茶封筒を取り出す。警察から受領した捜査資料一式だ。
「火災が起きたのは昨日。十月十日、午後一時頃。火元はこの写真の建物の二階にある倉庫。火は消防によって二時間程度で消し止められたものの、不幸にも一人が遺体で発見された……とのことですね」
封筒から一枚の写真を差し出し、テーブルに置く。すっかり黒焦げになり屋根も焼け落ちているようだが、その建物にクラリエは見覚えがあった。
「ここって、確か演劇校友会の学生棟ですよね」
「よく覚えておいでですね」理事長はこくりと頷く。
規模は小さいものの、学内でもトップクラスの人気と知名度を誇る校友会のひとつだ。
クラリエ自身も数年前、入学時のオリエンテーションで魔法演出をふんだんに用いた革新的な演劇を目の当たりにして感動を覚えたものだ。
「現に亡くなったのは演劇校友会に所属していた学生と思われる……それに間違いはありませんか?」
更に一枚、写真を取り出す。学生証の証明写真だ。焦げ茶色のウェーブがかった長い髪。明るく人柄の良さそうな、活発な印象の女学生がそこに映っていた。
理事長は悲しげな顔で写真を手に取り、目頭を指で押さえる。
「いえ、まだ断定はできませんが……おそらく彼女である可能性はかなり高いでしょう。名前はシャノン・ブーケ。当学園の一回生でした」
断定はできない――これも想定していた返答だ。まだ封筒の中にある写真の一枚。これを取り出すことはしなかったが、瞼の裏に焼き付いているその画を思い浮かべていた。
そこに映されていたのはおそらく人間だろう。かろうじて四肢の形が分かる程度の、人間だったはずの黒焦げになった炭の塊だった。思い出しても吐き気がこみ上げてしまう。
警察によれば鑑識は不可能な状態で、骨や歯までもが灰になっており、男女の判別さえつかなかったらしい。
とどのつまり、現実的な『物理現象としての火災では到底あり得ないほどの火力』――すなわち魔法が使われたのだと暗に示唆しているわけだ。
では何故、校友会の学生だと推測したのか――最後の写真を取り出して提示する。
「これは火元である建物二階の倉庫付近に置かれていたものです。そして少し前から足の怪我で車椅子を使用している学生が一人いた。それがシャノン・ブーケさんだった……ということですね」
黒く焦げきった車椅子の写真だった。車輪は溶けて歪み、もはや真っ直ぐ転がりそうもない。走って逃げることもできず、火事に焼かれどれだけ苦しんだか想像すると胸が痛む。
「二か月程前のことになります。倉庫の荷が崩れてシャノンさんがその下敷きになり、下半身不随の傷害を負う事故がありました。学園としても重く受け止めております」
確かニュースにもなったはずだ。母校で事故があったという出来事が印象的でかすかに記憶に残っている。
「倉庫、というのはもしかして――」
理事長は黙って頷く。
「ええ、今回の火災の火元となった校友会の倉庫と同じです」
二か月前の事故、そして今回の火災。どちらも同じ現場である事実は切って見過ごすことができない。両者には疑いようのない深い因果関係があり、重要なファクターとなるだろう。クラリエは更に話を続ける。
「昨晩遅く、警察から我々魔導監査に捜査依頼が来ました。つまりこの火災は炎魔法に起因するということになります」
「間違いありません。警察の調べに加えて、火災の様子を見に来た学生達の多くが、現場から多量の魔力が流れているのを感じた、と証言しています。火災原因は炎魔法と考えていいでしょう」
なるほど、とクラリエは懐から取り出した手帳に書き記す。少し考えた末、クラリエは指を三本立ててこう告げた。
「今回、魔導監査が調査すべきポイントは三点。出火原因の調査、事件性の有無の確認。そして被害者がシャノン・ブーケさんであるという確かな証拠を掴むこと。相違ありませんね?」
「彼女の無念を晴らすためにも何卒、よろしくお願いいたします」
理事長のランデアはテーブルに額がつかんばかりに深く頭を下げた。
理事長室の窓からは学園一帯が羨望できる。高い青空のもとに気持ちの良い日差し、もし休日であれば最高の天気だ。火災現場はあの辺りだろう。ここからでは件の建物は木々や他の棟に遮られて目視はできない。つい爪先立ちで覗きこむが当然結果は変わらなかった。
その時、理事長室のドアが開く音に思わず窓際から飛び退いた。先だって部屋を出ていた理事長が戻ってきたのだ。
「只今戻りました。参考人としてシャノン・ブーケに関わりの深かった教師をお連れしました、ベールルさん」
理事長の後について男女が一人ずつ、一礼と共に部屋に入ってきた。
そのうち女の方はクラリエの知った人物だった。
「アズ先生……?」
「や、久しぶりだね。ベールル君」
長袖の白衣を身に纏い、焦げ茶色の髪をバッサリと切り落としたさっぱりした気質の若い女性だ。
クラリエは在学中、彼女の講義を受けたことがある。彼女の魔法学は造詣深く、そして単位の取得が非常に厳しい教授として有名だった。
シャノン・ブーケも彼女の講義を受講していた学生の一人なのだろうか。そんな疑問を察してか、彼女はひとつの問いをクラリエにぶつけた。
「そうだな、私のフルネームは覚えているか?」
フルネーム? クラリエは底に沈んでいた記憶を手繰り寄せ、思い出そうとする。
彼女は名前が堅苦しいからと、名前を略して学生にも呼ばせていたはずだ。フルネームは確か……。
「アズ……アズマイル・ブーケ……?」
「おお、流石は学年首席。素晴らしい記憶力だな」
その女性――アズマイルは軽快にパチパチと手を鳴らした。
だが、この姓は……。
「フルネームを思い出してもらったところで概ね察したことだろう。シャノン・ブーケと私は血縁関係にある。彼女は私の実の妹だ」
その言葉に驚きが隠せなかった。被害者の血縁者に話を伺うのは捜査の基礎であるが、まさか向こうから、それも学園の教授という形でやってくるとは夢にも思っていなかったからだ。アズマイルはクラリエの手を取り、両手で包み込むように握る。とても暖かかい手だった。
「ベールル君、頼む。どうかシャノンが何故亡くなったのか、それを解き明かしてほしい。妹が安心して逝けるようにしてやりたいんだ」
その真剣な眼差しと視線がぶつかり、思わず息を飲む。
妹が亡くなった可能性があるにも関わらず泰然自若として見えるが、その瞳の奥にはやはりどこか悲しげな色が見え隠れしていた。
「もちろんです。私が必ずシャノンさんの死を解明してみせます」
「心強いな。ああ、よろしく頼むよベールル君」
そう言うと、隈の目立つ彼女の鋭い目元がようやく緩んだ。
もう一人、男性教授のほうを見やる。背が高く痩せ気味で四十代ほどの、良く言えば温和そうな、悪く言えば頼りなさそうな雰囲気の男性だ。
こちらはクラリエも知らない人物だった。いくら卒業生といえども、全ての教員の顔を把握しているわけではない。
「私は一般教諭のルクルスと申します。歴史学を担当している者で、同時に演劇校友会の顧問を担当しております」
なるほど一般教諭であればクラリエが関わりのない人物であることにも合点がいく。
魔法学園といえども、魔法以外の一般教養も学習できる環境があるべきなのは言うまでもない。そういった講義は大抵の場合、一般人――ここでは『魔法が使用できない人』という意味だ――が受け持っていることが多い。クラリエは魔法関連の講義ばかり詰め込んでいたため、一般教諭とはてんで縁がないのだ。
二人が自己紹介を終えたところで、クラリエは理事長に言葉を投げた。
「ちなみに理事長、今日の講義は通常通り実施されるのでしょうか。もし無断欠席する学生が他にいなければ、背理的に被害者がシャノン・ブーケだと断定できそうなものですが」
それを受けて理事長はううむ、と言い淀む。
「おっしゃる通り、全学生に点呼確認ができればよいのですが……今はザナイェール直前なのでそれが難しく。安否確認の連絡も出しましたが、すべての学生が返信してくれる訳ではありませんので」
「ああ、なるほど。そういえば今はその時期でしたね」
ザナイェール――年に一度の祭典。いわば学園祭と呼ばれるものだ。
学生らの自主性を重視し、前日までの十日間は一切の学業を中断してその準備に専念させるのがこの学園の習わしだ。当然だがこれを絶好の長期休暇と捉え、旅行や帰省に充てる学生も少なくはない。すなわち、学園に全学生が揃うこともないという事だ。
クラリエは手帳をめくり、カレンダーが書かれたページを覗く。例年通りであればザナイェールは十月十五日――今日から四日後に開催されるはずだ。
「四日、か」
当然ながら事件は早く解決させるに越したことはない。楽しい学園祭に憂いを残したくない、そう考えてしまう。大きなプレッシャーが肩にのしかかる感覚を強く覚えていた。
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