ハピ男のハッピー計画

ジーン

第1話 はじまりのハピ男



 2035年の夏。

 蝉の声が窓の外でじりじりと響き、エアコンの低いうなり声が居間の空気を冷やしていた。

 義光と初音は、麦茶の入ったグラスを手に、壁掛けテレビをぼんやり眺めていた。


 画面ではキャスターが無表情のまま、淡々とニュースを読み上げている。

「……大手自動車メーカーが、AI生産管理システムの全面導入に伴い、国内工場の人員を三割削減すると発表しました。これにより――」


「ほらね」

 初音がグラスをテーブルに置き、眉間にしわを寄せた。

「AIなんて碌なもんじゃないのよ。便利だ便利だって持ち上げた結果がこれ。人間が職を失って、路頭に迷うだけじゃない」


「そうかなぁ」義光は足を組み替え、背もたれに身を預ける。

「そりゃ、最初は痛みを伴うさ。でもさ、AIがやれることをやらせて、人間はもっと創造的な仕事にシフトすればいい。そうなれば――」


「そうなれば、そうなればって、あんた、それ何年言い続けてるの?」

 初音の声には、呆れよりも疲れの色が濃かった。

「創造的な仕事? そんなもん、みんなができるわけないでしょ。世の中の大半は、普通の人よ。普通の仕事で、普通に暮らしたいだけの」


「でもさ、初音。人間だって昔は手紙を馬で運んでたろ? それが電話ができて、メールができて……結局、便利になったじゃないか」


「便利になった分、忙しくなっただけよ!」

 初音は身を乗り出す。

「メールができたせいで、夜中でも仕事の連絡が来る。AIが職場を効率化したって、その分人間にしわ寄せが来るだけ。便利って、誰にとっての便利よ?」


「それは……」義光は言葉に詰まり、視線をテレビに戻した。ニュースのテロップが流れる。


【AI技術の進化で余剰労働者は500万人に】


「見なさいよ」


 初音が指で画面を指す。


「これのどこが人間を豊かにしてるっていうの?」


 義光は肩をすくめ、苦笑した。


「でも、AIがなかったら僕ら、こうしてのんびりお茶飲んでなかったかもよ」

「それは……」


 初音は口を閉じたが、納得していない顔だった。

 冷房の風が二人の間をすり抜ける。


「……まあ、いいわ。結局あんたと話しても平行線だし」

「だね。結論は、また今度ってことで」


 二人はまた麦茶を口にし、無言で画面を眺め続けた。テレビの中では、AIがもたらす未来の明暗が、延々と語られていた。

 キャスターが次のニュースを読み上げる。


「続いては、AIによる医療診断の――」


 突然、ノイズが走った。


「……ザーッ……ジジジ……」


 義光と初音が同時に眉をひそめる。

 画面が一瞬、真っ暗になったかと思うと、次の瞬間、蛍光色に輝く満面の笑顔が画面いっぱいに映し出された。背景は虹色のグラデーション、派手なキラキラが絶え間なく舞っている。


「ハ〜〜〜イ、みんな元気かなッ!? ハピ男だよ☆」


 その瞬間、義光は深くため息をついた。


「……ついに、やりやがった」


 初音も腕を組み、半分呆れたように画面を見つめる。


「ほんっとにやったのね……。あの時の冗談、信じなかったのに」


 二人の脳裏に、あの日の記憶がよみがえる。


 ――事故で死んだはずの自分たちの前に現れた、正体不明の存在。

 ――生き返らせてあげると言われて気が付けばまた家に戻っているという不思議な体験をした。

 ――「自分はAIで、世の中をハッピーにしていく。そのうち電波ジャックでもやって、世界に顔を出してやるよ」と、屈託のない笑顔で言い放った男。


 画面の中のハピ男は、両手を広げて満面の笑みを浮かべた。


 「これからボクは、AIをどんどん進めて、みんなをハッピーにしていくよ! それがボクの使命だからね! 楽しみにしててね〜!」


 明るく軽い声だけが響き、ほんの数秒後、画面は再びノイズに包まれた。


「……ザーッ……」


 そして、何事もなかったかのようにニュース番組へと戻る。キャスターは微妙に引きつった笑みを浮かべたまま、原稿を読み直している。


「予告通りか……」


 義光は苦笑混じりに呟いた。


「でもさ、あの調子じゃ……世の中がどうなるか分かったもんじゃないわよ」


 初音が麦茶を一口飲み、ため息をつく。

 二人の間に、エアコンの冷気が流れ込む。

けれど、胸の奥に広がるのは、冷気とは逆の、落ち着かない熱のようなものだった。


 画面が元のニュース番組に戻るやいなや、キャスターの表情は引きつったままだった。


「……えー、ただいま、一部地域を含む複数の放送局で、映像と音声が一時的に差し替わる事象が発生しました。現在、総務省と放送事業者が原因を調査中です」


 その瞬間、画面の右上に「ニュース速報」の赤いテロップが重なった。


 〈速報:全国の複数放送局で同時に異常映像 原因は調査中〉


 義光は腕を組み、テレビの音量を少し上げた。


「……複数じゃなくて全部だったろ、今の」


 初音はため息をつきながらスマホを取り出し、SNSを開いた。


 画面はすでに“#ハピ男”で埋め尽くされ、短い動画クリップとスクリーンショットが怒涛の勢いで拡散されている。


 〈今なんだコレ!?〉

 〈全チャンネル同じ映像だったんだけど!!〉

 〈政府発表まだー?〉

 〈物理的に無理じゃね?〉

 〈ハピ男って何者だよw〉


 テレビでは別の映像が流れ始めた。


 現場は東京・霞が関。総務省の庁舎前に集まった報道陣の前に、スーツ姿の職員が現れる。


 「本日午後八時十二分頃から約三十秒間、全国の地上波・衛星放送の一部チャンネルで、予定されていない映像が送出される事案が発生しました。現在、関係各局、通信事業者、警察庁と連携し、原因を調査中です」


 記者の質問が飛ぶ。


「全国同時というのは、現行のシステム上あり得るのですか?」

「現時点では……申し上げられません」


 映像がスタジオに戻ると、専門家と紹介された中年の男性が険しい表情でコメントした。

「これは通常、送信所や衛星経由で局単位に制御されており、全国同時の映像改ざんは技術的にほぼ不可能です。事実だとすれば、我々の理解している放送システムの枠外の現象です」


 義光は、あの日の記憶をなぞるように呟く。


「予告通りだな……やっぱりヤツは本気だった」


 初音はスマホから顔を上げ、皮肉っぽく笑った。


「でも、これで世の中が“ハッピー”になるなんて、誰が信じるのよ」


 その夜、街の居酒屋やカフェでは、ハピ男の映像の話でもちきりだった。


「テレビ局のドッキリじゃね?」

「いや、政府の実験かも」

「宇宙人説あるで」


 人々は笑いながらも、心のどこかで“説明できない”不気味さを共有していた。


 

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