第19話 ケーキを作ります
その日の昼、使用人たちの仕事の手伝いをひと段落させたアストはキッチンに立っていた。
ワークトップに並ぶ材料は、にんじん、薄力粉、砂糖、クリームチーズ、その他諸々——これからアストは、レーヴに食べさせるキャロットケーキを作る。
「ええっと……レーヴ様への嫌がらせ?」
キャロットケーキが作りたいとアストが相談したとき、ミルヒは顔を青褪めさせそう言った。
「違いますよ……いや、まるっきり違うってわけでもない?」
「わけでもないんだ……」
けれど今回の主題は礼とお詫びである。
先に開催されたナーデルの誕生パーティーで、アストは純白のドレスにぶどうジュースを被ったり、慣れないパンプスで靴ずれを起こした足をレーヴに手当してもらったりした。そもそもドレスもパンプスもアストが望んで纏ったわけではないむしろ不本意だったといえど、レーヴがが用意したものを汚してしまったことも、助けてもらったことも事実だから、多少は報いたいと思った。
レーヴとの確執が落ち着き堂々と邸仕事の手伝いをするようになってから、ケルを筆頭に使用人たちがいくらかお小遣いをくれるようになった。もしこの邸を追い出されることになったときのために貯めてはいて、それを使うことも考えたが……向こうは五千万ラオブ一括払いでアストを買った第二王子だ。金で買えるほしいものは自分で手に入れているだろう。かといって、金で買えない、そしてレーヴはがきっと最も欲するものに関しては……アストにはきっとどうしようもない。
「野菜嫌いを少しでも克服してもらいたいと思って。もしかしてとは思っていましたが、レーヴ様、にんじん以外の野菜も苦手でしょう?」
「ああ、うん。じゃがいも以外の野菜はほとんど食べられないね」
誕生パーティーの翌日から、アストは半ば強引にレーヴと夕食を共にするようにした。
レーヴに望まれ手合わせは何度かしていたし、一日に一度程度は遭遇して突っかかられては答えるような会話はしているが、じっくり膝を突き合わせて言葉を交わす機会はこれまでにほとんどなかった。当分は同じ邸で暮らしていくのだ、親しくなれるかは分からないけれどレーヴとちゃんと関わりたいと思った。
そこで、彼がにんじん以外の野菜も苦手であることを知った。成長期かつこれから先も肉弾戦の鍛錬を続けていくというのならば身体づくりは必須で、野菜の栄養は不可欠といえるだろう。だから克服させようと煽りもしたのだが。それなりに利いていそうには見えたが、アストの煽りに乗るのが不服なのか、それでもなお野菜への抵抗が拭えないのか、レーヴの食事にはいまだじゃがいも以外の野菜が並ぶことはほとんどない。
「色々な野菜の克服メニューを検討してみたんですけど、やっぱりにんじんが一番加工しやすくて克服しやすいんじゃないかと思って。ミルヒさんも同じことを考えたから、あの晩、にんじんのグラッセを作ったんですよね。めちゃくた美味しかったから、もしレーヴ様があれをちゃんと口にしていたらとうに克服できていたとは思うんですけど……!」
「あ、あはは、ありがとう」
若干引かれてしまった気がするが、毎日お弁当に入れて職場に持っていきたいと思うくらい本当に美味しかった。
「おそらくどれだけ美味しく調理しても、にんじん! って感じの見た目だと抵抗が生まれちゃうんじゃないかと思うんです。だから、一見はにんじんっぽく見えないように加工、特にスイーツにしたら食べられるんじゃないかと思って。あの人、毎日欠かさずおやつの時間をとるくらい、スイーツは好きでしょう? それでその野菜を食べれたという既成事実さえ作っちゃえば、にんじんへの抵抗が減るんじゃないかと思うわけです」
ということをナーデルの誕生パーティー会場でキャロットケーキを見つけたときにも考え、苦手克服のための第一歩としてレーヴに食べさせようとした。が、それはぶどうジュースひっかぶり事件により叶わなかった。
そして今回、お礼の意と、ちょっぴりの意地悪と、少しは野菜克服しろよというお節介を込めて、キャロットケーキを用意しようと思った際、まずはお小遣いで市販のキャロットケーキを買う案が浮かんだ。プロが作るキャロットケーキが一番おいしいに決まっているからだ。しかし、邸を出るには主たるレーヴの許可を取らなくてはいけないだろうし、そうなれば計画がバレてしまう。使用人たちに用意を頼んでも同じこと。ならばミルヒら料理人に製作を頼もうかとも思ったが、初日の二の舞になりかねない。
アストが全責任を負いつつ、どうにか直前まで品名も意図を悟らせずにレーヴにキャロットケーキを食べさせる方法はと考えたら、残った手段が手作りだった。
前世では幼い頃から料理は嗜んでいたし、妹に付き合ってお菓子作りもしたことがある。そこまで腕は悪くないはずだ。もちろんそれだけでは「愛玩動物が作ったものなんて食わない」などと言われかねないから、そうなった場合にはお菓子作り勝負を仕掛け煽りに煽れば乗ってきてくれる、と思いたい。それでも駄目だったら、もとから使用人たちへの差し入れと自分のおやつにもしようと思っていたから、そちらへの配分を増やせばいいだけのこと。
「既成事実って」とミルヒはなんともいえない表情を浮かべつつ、言った。
「アストは本当に言動が妙に老成しているというか……いっそ、レーヴ様のお母さんみたいだね」
「お母さん」
「でも、俺も昔そうやって好き嫌いを克服させられたのを思い出したよ」
アストも妹の野菜嫌いに対して試行錯誤をした過去はあり、当時もそのことを同級生に吐露したら「母親か」と突っ込まれたものだけれど。言いたいことは分かるものの、ピンとこないのが実情だ。アストの親はこどもの食事に全然口出してこなかった。
(そもそも一緒に食事をすること自体が稀だったしなぁ……それは、レーヴも一緒か)
いや、レーヴにおいては稀どころではないのかもしれない。
アストがこの邸にやってきてから季節がひとつ移り変わったがやはり、風王は一度もこの邸に姿を見せることはなく、またレーヴが本邸に呼び出されることもなかった。
代わりにレーヴの兄である魔法騎士のルフは二、三度この邸に来訪し、アストもいくらか言葉を交わした。アニメでは正義の心を強く持つ温厚で優秀な魔法騎士として描かれており、実際、ルフは穏やかな人柄ではあった、けれど。
(なんというか……ちょっとデリカシーがないというか、ちょっと鈍い感じの人だったな)
半獣族への接し方は、無闇に頭を撫でてきたり餌付けを試みたりと対人間というより対愛玩動物という感じであった。それはまぁこの国であれば珍しいものではないのだろうが、それよりも。レーヴに向かって当然のようにゼーンとの交流を話題に出すところが見ていてひやひやした。
(それも決して悪意はなさそう、むしろかわいい弟を喜ばせようと語っている様子だったのがまた、なんともな……)
ルフはレーヴが父を慕っていることは知っているものの、それがどれだけまっすぐで深い熱を持った切望かはおそらく分かっていないのではないだろうか。レーヴもルフに対しては聞き分けの良い子を演じているから……微笑みを浮かべる頬はときどき引き攣っていたけれど。もしかしたらルフは、ゼーンのレーヴに対する冷たさにも気づいていないかもしれない。
そしてルフは一通り会話を終えるとレーヴの頭を一撫でして多忙を極める魔法騎士の仕事に戻っていく。ルフもまた、レーヴと食事の席をともにすることは一度もなかった。
アストがレーヴと食事を共にしたいと思ったのは、それも相まってのことだった。
王子だろうが、この世界においてはひとりで社交の場に出される年齢であろうが、アストから見ればレーヴはまだまだ幼いこどもだ。アストのエゴでしかないとしても、こどもにひとりでの食事を当たり前だと思ったままでいてほしくなかった。
アストはレーヴの家族でもなければ友達ですらないけれど、それでもひとりよりふたりでとる食事の方がきっと、美味しいし楽しい。少なくともアストは、前世で一人暮らしをしていた頃や、今世で与えられた部屋で一人で食事をとっていた頃と比べると、そう感じる。
(そう思うと、レーヴもいくらか丸くなったのかも)
いまだに煽り煽られの応酬になり、いらっとすることもあるけれど、にんじんのグラッセ放り投げ事件以降、業腹になるほどの出来事は起きていない。
靴ずれを手当てしてくれた件については、アストを失うのが惜しいというよりかは敵視しているナーデルに負けたくない一心で、アストに選ばれようととったなけなしの行動だったのだろうとは思う。それでもあの中にほんの少しは真心があったのではないだろうか。おそらくレーヴはパーティー会場に入ってすぐから、アストですら見て見ぬふりを決め込んでいた靴ずれに気づいていた。そのときも、声をかけてはくれたから。
(真意はたしかめていないから、俺が勝手にそう思っているだけだけど)
けれどその可能性があるのではないかと考えるくらいには、レーヴのことを前向きに捉えられるようになってきた。それもレーヴがものすごく不器用でひたむきで、ときどきチョロくて、マウントを取りたかっただけかもしれないが魔法で奇麗な景色を見せてくれるような茶目っ気もあることを知ったから。だから一緒に食事をしようと思ったし、楽しいと思えている。
「たしかに見た目の加工も大事か……なるほどなぁ、してもらった経験はあるのにすっかり失念してたよ。それでもやっぱりバレたときを思うと、ちょっと怖いけど」
「どうにかなりますよ。魔法さえ使われなければ勝機はあります、多分」
ぐっとこぶしを握って見せれば、ミルヒは「やり合いになる覚悟も決めてるんだ」と苦笑する。
アストとてもちろんそうならないに越したことはないと思ってはいる。一応、これは礼の意もあるのだから。
「でもその方法を思いついて、そこまでの覚悟を持って行動するなんて。君はレーヴ様のことをとても考えてるんだね」
「い、いや、別にそういうわけじゃ……ただこどもは栄養を摂ってなんぼだと思っただけです」
「アストもこどもだけど」
「俺はなんでも食べられるんで」
「でもこの邸では一番細……」
「細?」
すんと目を細めたら、「あはは、ごめん」とミルヒは頭をかいた。
「実際なんでも美味しそうに沢山食べてくれるけれど、なかなか肉がつかないよね」
「半獣族の体質なんだと思います」
レーヴに買われ飼われてまともな食事を与えられるようになってからいくらか肉はついたが、体重計がないから数値までは分からないものの体感的に一定以上体重が増えない感覚があった。アスト個人がそういう体質なのかもしくは——「マジスク」において、半獣族は皆容姿が非常に優れている、という設定がある。それを保つために、半獣族は皆どれだけ飲み食いしても肉がつきづらいといった性質になっていてもおかしくはなさそうだと思った。
「とりあえずアストのやりたいことは分かった、キッチンと材料を使っていいか料理長に確認を取ってみるね」
そんなやりとりもありつつ、この邸の料理長であるジョラールから無事許可をもらい、八歳のこどもをひとりで立たせるわけにはいかないとミルヒの監視付きを条件に、キッチンを借りることができた。
材料もふんだんに用意してくれていて、なんなら踏み台や、端正な文字で記されたレシピまで置かれていた。一応書庫から料理本を見つけ出し持ってきてはいたものの、古びたそれよりも細かく丁寧で分かりやすい。
「料理長が用意してくれたんだ。十人兄弟の長男で、一番下の子がアストと同い年くらいだから、親近感みたいなものを感じているのかも。もともと、こども好きでもあるみたいだしね」
と、ミルヒが言っていた。寡黙で淡白な表情の壮年シェフの意外な一面を知った。
ミルヒも、ジョラールもアストが知る「マジスク」の物語には登場しない。けれど、こうした話を聞いたり、やりとりを交わしていると、自分が見てきたのは切り取られた一部の物語に過ぎず、その外側にも様々な世界が広がっているのだと改めて感じる。
レーヴなんて最たる例だ。この世界に転生するまでアストは、レーヴが幼少から別邸に追いやられていたことも、にんじんが嫌いなことも、愛玩動物を飼っていたことも知らなかった。
(でもレーヴが生物市場で俺に目を付けたのは、多分、俺が前世の名前を思い出してうっかりあいつの名前を呼んだからだよな)
それがなければ、別の誰かがここにいたか——そもそもレーヴはなぜ愛玩動物を飼おうと思ったのか。
気まぐれ? ストレス発散の捌け口が欲しかったから? 考えてみるもそれは推測の域を出ることはない。
聞いたら話してくれるだろうか。
もし、レーヴがキャロットケーキを受け入れてくれたら、おやつの時間を一緒に楽しむことも提案してみるか。そこで最近の夕食時にそうしているように、レーヴといろんな話を交わそう。
そんなことを考えながら、アストはにんじんを洗い、皮を剥く作業に取り掛かった。
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