第6話 逆転の一手

 グラッドが叫びながら走り寄ってくることに気づきつつも、ルミエナは魔獣から目を離すことはなかった。魔獣もまた、低い唸り声を響かせながらルミエナを睨みつけている。湿った遺跡の空気に混じって、魔獣の息が白く見えるほど密室は冷え切っていた。

 この壁はたとえグラッドにも破れない。自分でなんとかしなければ――ルミエナの直感はそうささやいていた。

 杖を握る手に汗が滲み、心臓の音が耳元で響く。魔獣が一歩脚を進めるごとにルミエナもまた一歩脚を引く。極度の緊張の中でルミエナはわずかな希望を掴むべく、周りの状況を冷静に整理していた。

――私の左右には透明な壁、前後には遺跡の壁があり密室に閉じ込められている。透明な壁の向こうには倒れた子ども、反対にはグラッドがいる。魔獣はグラッドがどんなに叫んでも私を睨むことをやめず、そっと脚を進めてくる。そして辺りを照らす光は私の魔術だけ。

 ルミエナは何かに気づき、魔獣を刺激しないよう慎重に着ていたローブを脱ぐ。手に馴染なじんだ布の感触が、わずかに心を落ち着かせた。

 ごめんねグラッド。でもきっとこれに賭けるしかないの――透明な壁を叩き、なんとかしようと奮闘ふんとうしている様子のグラッドを横目で見ながらルミエナは内心で呟く。

――チャンスは魔獣が飛びかかる瞬間だけ!

 そう心に言い聞かせながら魔獣を強く睨みつける。脱いだローブを手に、魔獣に合わせてルミエナは一歩ずつ後ろへ退いていた。もう少しで遺跡の壁だ。きっと魔獣はそれに合わせて飛びかかってくるだろう。杖を握るルミエナの手にいっそう力が入り、心臓の鼓動が跳ね上がる。

 あと二、三歩でルミエナが壁にぶつかる。そのタイミングで魔獣は後ろ足へ力を入れた。その僅かな挙動をルミエナは見逃さない。

――ここだ!

 瞬間、ルミエナは杖に込める魔力を止める。瞬く間に辺りは闇に包まれた。それと同時にルミエナは持っていたローブを上へ投げ、自身は斜め前へ、魔獣の横を抜ける角度へ飛び出した。

 魔獣は辺りが一切見えなくなり、代わりにルミエナの匂いを追う。しかし匂いは分裂して、上へ飛び上がり、さらには横を抜けるものにもなった。いきなりの事態に魔獣の行動が鈍る。そこをルミエナは的確に刺す。

「シーマグ・ラン・ファイア!」

 高く振り上げたルミエナの杖が火玉を生成し、辺りを再び照らす。魔獣の前にはローブだけが落ち、ルミエナは魔獣の後ろへ周り込んでいた。

 勝敗は決した。火玉の熱気で空気が暖まり、密室に微かな風が吹く。ルミエナのきれいな髪を揺らし勝者をいろどる。冷酷なまでに冷たい目線を向けるルミエナを魔獣は目にし、自然と全身から力が抜けた。ルミエナの機転が魔獣の隙を作り、その一瞬の隙をルミエナは見逃さなかったのだ。魔獣を見下ろすルミエナは、杖をそっと振り下ろし、火玉を魔獣へ向けて放つ。

 炎が魔獣を包み、部屋一面を明るく照らした。魔獣の悲痛な叫びが響き渡り、肉が焼ける匂いが鼻につく。そしてルミエナの最後の詠唱えいしょうが小さく木霊こだました。

「シーマグ・アプライ・エクスプロード」

 魔獣は塵となって消え、辺りに残った微かな残り火だけが微かに部屋を照らしている。

 一時の間を置き、ルミエナは一気に緊張から解放され、視界が一気に広がったように感じた。ルミエナはこちらを見て唖然あぜんとしているグラッドに気づき、彼の方へ視線を移す。

「グラッドごめんね、いきなりあかりを消したりして。びっくりしたよね」

「あ、ああ」

 グラッドはいまだに動揺していて、うまく返事ができなかった。後悔が渦巻き、何としても助けなくてはと思っていたのに、ルミエナは一人で事態に対処してみせた。グラッドは感情の整理ができないでいた。


 ルミエナとグラッドは緊張からの解放と同時に、新たな不安を感じていた。魔獣を倒したにも関わらず、ルミエナを閉じ込める壁が消えないのだ。

「他に何かあるのかなあ?」

 そんなふうに呟くルミエナを再び危機が襲いかかる。ルミエナの周りを突然魔法陣が囲い、六体の魔獣が姿を表したのだ。

「え?」

 ルミエナは声を失った。一体の魔獣に対してだって、賭けに出てやっと勝てたというのに、その魔獣が自分を取り囲むように現れた。ルミエナは脚から力が抜けそうになるのを必死にこらえ、何とか勝てる方法を模索もさくしようとした。

 微かな残り火だけが照らす薄暗い空間で、自分を囲む魔獣たちがゆっくり迫ってくる。湿った石の匂いと焦げた匂いが混じり合う中、恐怖がルミエナの喉を締め付ける。そんな時にグラッドの言葉が頭をよぎった。

――なら術式の最適化はもっと頑張ったほうがいいな

 ルミエナの使うシーマグによる魔術では、魔獣たちの速度にはかなわない。少しの後悔がルミエナを包み、ゆっくりと意識が遠のきかけた。

 あれ、息ができない――ルミエナは不可解な現状に気が付き、意識が戻る。緊張や絶望のせいではない、確かに息苦しいのだ。ルミエナには思い当たる節が一つだけあった。

――そうだ、さっきの戦闘だ。魔獣を燃やして爆破させた時、一気に空気が薄くなったんだ。

 ルミエナは透明な壁によって閉じ込められている。そこには空気の出入りする隙など、当然なかった。ルミエナは得意とする炎系の魔術を完全に封じられてしまった。

 ルミエナが何とかしようと思考をめぐらせる間にも、魔獣たちはゆっくりとルミエナに近付く。ルミエナは後ろに下がることができない。後ろからも魔獣が迫るからである。


 ルミエナの息は荒く、脚の力も弱くなっていた。それでもルミエナは周りの魔獣たちを観察することをやめなかった。こいつらが飛びかかる瞬間を逃さないように、何とか交わして立ち位置だけでも変えられるように。そうルミエナはチャンスが来ることに望みをたくして辛抱強しんぼうづよく耐えていた。

 ルミエナの左前にいる一匹の魔獣が後ろ足に力を入れた。来る――そう感じたルミエナは何とか力を振り絞り、魔獣の左側に出られるよう回避の姿勢を取った。瞬間、その魔獣が飛び込んできたが、間一髪で交わす。

 ルミエナはすぐに後ろに目をやる。次はそこから魔獣が飛びかかると予想したからだ。予想は的中し、ルミエナの目には今まさに地面を離れた魔獣が映る。咄嗟とっさに頭を下げ、ルミエナは再度交わすことに成功する。

 すぐに頭を上げ前を向く。するとすでに正面の魔獣が飛びかかってきていた。普段のルミエナであればこれも交わせただろう。しかしその魔獣は右の前足を大きく上げ、振りかざしながら向かってきた。ほんの一瞬、ルミエナの思考が止まる。

 いつもの魔獣なら噛みつくように飛びかかるのに、どうして――そんな思考がルミエナの回避の行動を遅らせる。その隙は魔獣の爪がルミエナの右の脇腹を切り裂くには十分だった。

「ぐあ゛っ……!」

 声にならない悲鳴が響く。鋭い痛みが全身を巡り、立っている脚から力が抜けてふらついた。

 追撃ついげきを掛けるように一体の魔獣がルミエナに襲いかかる。ルミエナは迫りくる魔獣が視界に入っているのに少しも動くことができなかった。一瞬の出来事が何時間もの長い時間に感じる。やっとの思いでルミエナは左腕を動かしてかばおうとしたが、その魔獣はルミエナの左腕に噛みつき押し倒した。

「う゛っ……!」

 鋭い痛みが思考を鈍らせる。血の味が口の中に広がり、意識が朦朧もうろうとする。

――早くなんとかしないと他の魔獣も来る。でも視界が……

 脇腹の傷は出血が酷く、辺りに血の池を作っている。さらに噛みついた魔獣は魔力を吸い取り、ルミエナの体力を急速に奪っていた。

 視界が遠のき思考が薄れる中に、ふとルミエナは壁の外のグラッドに意識が向いた。そこには酷く絶望したような、目に涙を浮かべるグラッドがこちらを見ていた。

――ああ、なんてひどい顔をしているんだろう。なんだろう、少し申し訳ないな。そんなに悲しい思いをさせちゃって。

 ルミエナはそんなふうに感じながら、そっと目を閉じようとした。全身から力が抜け、杖を握る右手も床についた。

 その時だった。右手が血でできた水たまりに触れて、ルミエナは思いつく。

――そうだ、これで槍を作って奇襲すればまだチャンスはある! 他の魔獣が油断している隙にやらなくちゃ。

 ルミエナは杖を握る手にそっと力を込めて、なるべく小声で、魔獣に気づかれないように詠唱する。

「シーマグ・ラン・アイシクル」

 本来は水を使って実行する魔術をルミエナは自身の血で代用してみせた。ルミエナの傷口から流れた血が鋭くとがった円錐形の槍に変わる。

 ルミエナを囲っていた魔獣はそれを見て咄嗟に動こうとしたが、ルミエナはそれを許さない。

「シーマグ・アプライ・レビテート」

 残された僅かな魔力を振り絞り、逆転の一手を畳み込む。ルミエナの血でできた無数の槍はそれぞれの魔獣に向かって素早く撃ち込まれた。数多の槍が魔獣の腹や顎先あごさきを貫き、魔獣たちは動きが止まる。ルミエナに噛みついている魔獣の腹にも命中し、魔獣が彼女の腕を離して唸りをあげた。

 ルミエナは、意識が遠のく中魔術を放ち、的確に魔獣たちの急所を貫いた。しばらくすると魔獣たちは各々倒れ込み、塵となって消えていった。


「ルミエナ、大丈夫か! すまない、俺がもっと――」

 そう叫んでいるグラッドが、ルミエナの視界に入る。

「グラッド、すごくひどい顔をしてるよ。私は大丈夫だから、もう泣かないで」

 ルミエナは今にも消えそうな弱々しい声で返した。

「でも、この壁は早くなんとかしないと」

「ああ、もちろんだ。俺が何とかしてやる! だからそっちに行くまでもう喋るな!」

 グラッドはそう叫びながら急いで透明な壁の解析を進める。血だらけで倒れる少女が目に映るたび、自分の選択と行動への後悔が頭をよぎる。今にもくじけそうになりながら、必死に解析を進めるが手応てごたえを感じることができない。

――もう二度と失わないと誓ったのに。

 グラッドは何度も何度も心の中で繰り返しながら解析を進めた。しかしグラッドは薄々気づいていた。これは人類による魔術ではないと。もしそうなら自分で解除はできないことを。


 不意にグラッドの背後から声が響いた。

「もういいでしょう」

 グラッドの意識がその声の方に向く。グラッドたちが通ってきた道から足音が近づいてくる。

「大の大人がそんなに必死になって、見苦みぐるしい」

 グラッドは声のする方を睨みつけた。後悔の念はすでに消え去り、心臓の鼓動が血を頭に上らせる。自然と右手は腰の剣へと移り、いつでも抜ける体勢になっていた。

「何故自分にはできないとわかっていることを必死でしようとするのですか? おろかな人間よ」

 声の主は、通路から姿を表す。全身をローブで覆い、指には鋭く伸びた爪、顔には動物の頭蓋ずがいのような仮面をつけている。冷たい石の床に靴音が響き、不気味な影が揺れている。

 間違いない、こいつは魔族だ――そう確信したグラッドは叫ぶように言い返す。


「だったらお前を仕留しとめるまでだ!」

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