第5話 思い出

「虹夏ちゃん、元気なーい」


 目の前で手を振られて、自分がボーっとしていたことに気付く。

 ベッドに腰掛ける私の隣で、きゅるるんと大きな目を瞬く星良がいた。


「虹夏ちゃん、明日はクマさん来てくれるんだよね?」

「あ……うん」


 星良にダイアナをあげる約束をしてから明日でちょうど一週間。祖父母の家から帰ってきてから、五日が経っていた。


 相変わらずダイアナは私しかいないところで暴言を吐くし、高校の課題は終わらないし、星良はダイアナが欲しいと騒ぐし、いつも通りに五日を過ごしてしまった。明日は星良の夏休み最後の日、ダイアナとのお別れの日だ。


「虹夏ちゃん、何で元気ないの?」


 星良は私の手を握って、指を引っ張ってくる。

「痛いよ、星良」


 そっと彼女の手を解こうとしたのに、こんなときに限って星良は引こうとしない。

「ねーなんで」

「それは……ちょっと」

「おしえーて」

「子どもには分かんないでしょ!」


 思わず強い口調で言ってしまうと、星良の目には涙が溜まり出す。


「せいちゃんだって……知りたいもん……虹夏ちゃん心配だもん……」


 ハッとした。小さい子は考え無しだと思いがちだが、その子はその子でちゃんと考えがある。自分の意思がある。

 私が星良くらいのころ、何を考えていたのだろうか。忘れてしまったが、きっとそのころなりの、感情があったのだろう。


「ご、ごめんね、星良。私、怒ったわけじゃないの」


 星良の頭を撫でると、星良は抱き着いてきた。彼女の涙が私の服につく。

 少しぎょっとするが、同時に愛おしさもこみ上げる。


 ……ダイアナも、こんな気持ちだったのかな……それとも、ぬいぐるみだから何も感じない?


 ベッドの枕元のダイアナに目をやる。星良がいるため、びくともしない。


「星良。私ね、星良くらい小さかったときのこと、思い出したんだ。おばあちゃんとおじいちゃんのお家に行って、兄弟と遊んだりしたときのこと思い出したら、寂しくなっちゃって。あの日には戻れないから」


 理由を話さないと離してくれなそうだったので、私は星良の頭を撫でながらそう話す。穏やかな気持ちだった。


 すると星良は顔を上げた。涙で濡れた目でこちらを見てくる。


「おばあちゃんとおじいちゃん? せいちゃんにもいる?」


 私は大きく目を見開いた。


 星良の母親の両親はもう亡くなっていて、星良の祖父母は父方しかいない。私たちは従姉妹だから、父方の祖父母は同じだ。だけど、祖父は施設、祖母は病気になってしまった。


 星良は、祖父母との思い出がないのだ。

 仕方のないことだが、それは、とても寂しいことのように思えた。


 言い方を変えれば、思い出がないならないで、戻りたいと思わずに済んだのかもしれない。でも、素晴らしい思い出があることは、幸せなことなのかもしれないと気付く。


「そっか。そうだよね。星良にも、おばあちゃんとおじいちゃんはいるよ」

「ほんとに?」

「うん。でね――」


 私は祖父母のことをできる限り話した。話すと、楽しいことばかり浮かんできて、私も自然と笑顔になれた。


 思い出がない方が楽か、思い出がある方が幸せか。

 人それぞれだが、私はその思い出を苦しいものにはしたくない。




◇◇



 星良が帰った。私の中で渦巻いていた「もう戻れない過去」は、「戻りたいほど良かったもの」に代わりつつあった。

 星良が気が付かせてくれた。


 でも――。夜が近づくたび、心臓が音を立てる。

 その日の夜は、なかなか寝付けなかった。




 ◇◇



 ふと目が覚める。

 朝だ。そして。


 今日は、ダイアナとお別れの日だ。

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