第1章:三日後の別れ ― 愛を奪った言葉
あの夜から、まだ三日しか経っていなかった。
熱を分け合い、結婚を誓い合った夜から。
社会に出て数年、慣れない仕事の合間を縫って、私は今日も仕事帰りに慎一のマンションへ向かっていた。
冬の夕方、街はすでにネオンに染まり、ビルの谷間を冷たい風が抜けていく。
エレベーターの鏡に映る自分の髪を整えながら、無意識に口元がほころぶ。
彼と過ごす時間は、私の一日のすべてだった。
慎一は私より少し年上で、落ち着いた雰囲気を持つ人だった。
仕事の話も、恋の話も、包み込むように聞いてくれる――そんな彼の部屋は、私にとって唯一の居場所だった。
玄関のドアを開けると、リビングのソファに慎一が座っていた。
背筋を伸ばし、両手を組み、
何かを考え込むように視線を落としている。
その表情を見た瞬間、胸の奥に氷の粒が落ちたような冷たさが広がった。
「…話がある」
低い声。
靴を脱ぐ間もなく、私は立ったまま彼を見つめた。
「…どうしたの?」
しばしの沈黙。
そして、はっきりとした言葉が落とされた。
「…別れよう」
何を言われたのか、すぐには理解できなかった。
笑って冗談だと受け止めたかった。
けれど、彼の目は一切笑っていなかった。
「どういうこと…?だって、先週は…」
──“ずっと一緒にいよう”
あの夜の言葉が耳の奥でこだまする。
「…好きな人ができた」
その一言で、胸の奥の何かが音を立てて砕けた。
目の前の慎一が、もう私の知っている彼ではないと見えた。
「…誰?」
かすれた声で問い返す。
慎一は視線を逸らし、短く息を吐いた。
「…お前の会社の後輩だ」
脳の奥が真っ白になり、足元から血の気が引いていくのがわかった。
信じられなかった。
いや、信じたくなかった。
会社の後輩――結衣。
明るい茶髪に人懐っこい笑顔、部署は違えど、何度か一緒にランチもした。
仕事ぶりも社交性も、正直少し羨ましいと思ったこともあった。
まさか、その彼女が…。
「冗談、だよね…?」
唇が震え、声が途切れる。
慎一は何も答えなかった。
ただ、黙って私を見ていた。
その沈黙が、すべての答えだった。
気づけば、私は玄関へ駆け出していた。
エレベーターの中、鏡に映った自分の顔は血の気が失せ、
見知らぬ他人のだった。
──この時の私はまだ知らなかった。
これが、私の世界が音を立てて崩れ落ちる最初の一歩だということを。
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