第二部 映画部脚本消失事件

第一章 キスするたびにタイムループ

 七月中旬の青空の下、照りつける日差しが降り注いでいた。学校のチャイムが鳴り響くと、それまでの静寂が破れ、教室にざわめきが戻った。

 一学期の期末テストの最終日、午前中の最後の試験が終わり、一気に開放的な雰囲気が教室を包んだ。結果はどうあれ、開放感でいっぱいだ。試験を終えたことに安堵し、ぼくは帰り支度に取りかかっていた。

「佐一、おつかれ! 試験どうだった」

 由宇は急ぎ足でぼくの机に向かってくる。

「まあまあだった。由宇はバッチリだったんだろ?」

 由宇は大きく伸びをして、お腹に手を当てて力の抜けた声で言った。

「そこまでとは言えないけど、なんとか。佐一、一緒に帰ろ。お腹空いたし、ファミレス行きたい」

 試験勉強の間、ぼくたちは試行実験を一時中断していた。勉強漬けの二週間を終え、晴れて実験解禁となったわけだ。


 由宇と一緒に廊下に出て歩いていると、生徒会の吉野先輩が小走りになってやってきた。少しカールした明るい色のロングヘアがふわりと揺れる。

 ぼくの隣の席の田山が吉野先輩のファンで、スカートが短いとかいい匂いがするとか目が大きくてまつ毛が長いとかの情報をよく吹き込んでくるので、話したことすらなかったけれど、吉野先輩のことはよく知っていた。

「吉野先輩、なにかあったんですか」

 由宇が声をかけると、吉野先輩は慌てたように足を止め、はっとぼくたちを見た。

「あ、うん。ちょっと、ね……」

 言い淀んでいた吉野先輩が、ふと顔を上げて、

「能海くんならいっか。あのね、映画部の脚本がなくなっちゃったらしいの」

「脚本ですか。吉野先輩、映画部でしたっけ」

 由宇の問いに吉野先輩は「うん、そうなの」と頷き、

「今日が脚本印刷の入稿日で、データをメモリに入れて部室に置いていたんだけど、それがどこを探してもなくて……。あー、もう困ったよ」

 上を見上げて困ったように吉野先輩は嘆く。ぼくと由宇は顔を見合わせた。

「えーと、俺も一緒に探しましょうか?」

 由宇が言い終わらないうちに、吉野先輩は、

「助かるわ! 能海くんと、能海くんの友達!」

 あ、ぼくも入るのか。

 ぼくが自分を指さすと、吉野先輩は何度も頷いた。

「……遠上佐一です」

 吉野先輩と話すのは初めてなので、自己紹介のつもりで小さく頭を下げた。

「遠上くんね。じゃあ、部室はこっちだから!」

 吉野先輩は手招きして先を歩いていく。吉野先輩の後ろについていくと、由宇はお腹を押さえて、

「昼ごはん、少しお預けだな」

「たぶんすぐに見つかるよ」

 ぼくは以前のアンケート事件のことを思い出しながらそう返した。ぼくの言葉に由宇は「そうだな」と呟いた。

 きっとまた吉野先輩の思い違いだろうと、そのときはそう思っていたのだ。


 映画部は四階の視聴覚準備室を部室として使っていた。

 吉野先輩がノックして返事も聞かずに引き戸を開けると、大きなテーブルを囲んで椅子に座っていた四人の男女がぼくたちに視線を向けた。

「強力な助っ人連れてきたよ」

 吉野先輩の言葉にショートカットの女子生徒がこちらを見て目を細める。胸元の校章は二年のものだ。

「一年の能海くんと遠上くん。わたしたち、いつも部室にいてこの風景に見慣れているから、違う視点で見つけてくれるかもしれないと思って。もう一度、部室を探してみようよ」

 吉野先輩は部室に招き入れると、ぼくと由宇のほうを向き、

「なくなった脚本は印刷所への入稿用データでメモリに入っていたの。形はスティック状の小さなもので、色はつや消しの光沢があるネイビー。よろしくね」

「あと、『蒼海高校 映画部』って白いラベルが貼ってあります」

 眼鏡の男子生徒が口を開いた。どこか見たことのある顔だ。同じ学年のようだった。

「里山くん、さすがしっかりしてるね!」

 吉野先輩は感心したように里山くんに向かって言った。

「わかった。もう一度探しましょう」

 ショートカットの先輩女子が言い、皆が立ち上がる。

「岩佐先輩。わたしはこの棚から探しますね」

 と、ボブカットの同級生の女子がショートカットの岩佐先輩に言った。

 背の高い二年の先輩男子が、ぼくと由宇に「巻き込まれたな、一年」と言って気さくに笑った。

 そうですね、とも言えないので、どう返していいかわからず苦笑いで返した。


 部室はそれほど広いスペースではなかったが、物が多く、撮影用の小道具や古い脚本、資料などの本、雑多に積まれたダンボールなどが所狭しと置いてある。ここから小さなメモリを探すのか、と少し不安になった。

 ぼくたちは棚の隙間や家具の下や奥まで、できるかぎり探した。だが、メモリは一向に見つからない。

 ひと通り探し終えた後、ぼくたちは部屋の中央にある大きな机を囲んで座った。ふと視線の先に『恐怖のパンケーキ』の映画ポスターが目に入り、無言で目を逸らした。

 沈んだ空気が部室内に広がり、部外者のぼくはさらにいたたまれない気持ちになった。里山くんが心配そうに皆の顔を伺っていた。

「残念だけど、今日の入稿は無理みたい」

 岩佐先輩の表情は暗く、はっきりと疲れが見える。

「そんなあ。ひまりが入稿予定を延ばしてまで、あんなに頑張って書いたのに」

 吉野先輩は悔しそうに岩佐先輩に言う。なるほど、探している脚本は岩佐先輩の作品らしい。

 そんな中、由宇が手を挙げて訊いた。

「データならバックアップは取っていないんでしょうか。原稿に直しが入る前のものとか」

「……コピーはないの。何度も改稿を繰り返しているからね。入稿するときに取り違えが起こらないよう、他のデータは全部消去しているのよ」

 岩佐先輩は小さくため息をつく。

「ここまで探してもないなんて、おかしいですよね。まさか盗まれたなんてことは……」

 眉を寄せ、里山くんが言う。

「里山、物騒なこと言わないでよ。きっとどこかにあるはずだよ」

 ボブカットの女子生徒が不安そうに唇を噛んだ。

「笠間ちゃんの言うとおり、誰かが勘違いして持ち出したのかもしれないし、少し借りただけなのかも」

 吉野先輩がそう言ったので、今回は勘違いではなさそうだ。

「すみません、ちょっと飛躍しすぎました。ただの思いつきです」

 里山くんは軽く頭を下げる。

「澤中くん、どう思う?」

 岩佐先輩は、背の高い澤中先輩に話を振った。鼻筋が通ったシャープな印象の横顔だ。

「里山の話も一理あるとは思う。メモリは昨日の放課後から棚の上のケースに置いてあったから、持ち出そうと思えば誰でも持ち出せた。吉野の言った、借りただけってこともありそうだけど」

 澤中先輩はぼくたちに顔を向け、部外者のぼくたちに情報をフォローしてくれた。

「映画部の部員はもっといるんだけど、この学校は部活も多くて、兼部しているやつもそこそこいる。三年生は受験もあって、今はもうほとんど来ないんだ」

「となると、誰がメモリを持ち出したのか特定は難しそうですね。脚本はいつまでに必要なんですか?」

 由宇の疑問に吉野先輩が答える。

「文化祭で上映する映画だから、夏休み中に撮影を終えたいの。だからあと一週間くらいで脚本を用意しないと。少なくとも七月中には脚本がないと困っちゃう」

 吉野先輩の言葉に皆同意する。里山くんが立ち上がり、

「とりあえず、入稿は後日になるって印刷所に連絡してきます。今日はもう無理なので」

「いつも悪いわね。お願い」

 と岩佐先輩はお祈りポーズで応えた。

 里山くんは頷くと、小走りに部室を出て行った。

 吉野先輩はぼくたちのほうを見て、すまなそうに言った。

「能海くん、遠上くん、そこまで送るね」

 吉野先輩は少し元気なさそうにほほえむと、廊下に出た。ぼくたちも吉野先輩に続いた。

 窓から昼の強い日差しが廊下に降り注ぐ。その中を三人で話しながら、ゆっくりと歩いた。

「メモリ、見つからなくて残念でしたね。……これからどうするんですか?」

 由宇の言葉に吉野先輩は考え込み、

「脚本の書き直しになるのかな。一度完成しているから、一から書くよりは早いと思うけど。脚本を担当していたひまりはショックだと思う」

 何度も改稿を重ねた脚本らしいし、かなり思い入れはあるだろう。それを一からやり直しとは、その心労は想像に難くない。

「じゃあ、今日はありがとう」

 手を振る吉野先輩に振り返し、由宇と階段を下り始めた。ふと気になって、踊り場から階段の上の吉野先輩を振り返って訊いた。

「脚本って、今回はどんな話だったんですか。ぼく、映画好きだから気になって」

 ぼくの問いに吉野先輩は軽くほほえんだ。

「SFだよ。わたしが主役なの!」

 吉野先輩が弾むような声で言い、由宇は「へえー」と感心したように呟いた。

 それは吉野先輩のファンの田山が知ったら喜ぶだろうな。

 吉野先輩は少し元気を取り戻したのか、その場で足を軸にしてくるりと回った。スカートがひらりと舞い、ぼくは慌てて目を逸らした。そんなぼくを見て、由宇は笑みを漏らす。

 吉野先輩はにっこり笑って、

「タイムループものでね、キスするたびにタイムループするの」

 それを聞いて、ぼくと由宇は思わず大きく口を開けた。きっと同じ表情をしていたと思う。

 ――なんだか波乱の予感がした。

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