第53話 少彦名神
玉群神社の境内に続く石段の照り返しが、柔らかい季節になった。もう秋になるのか、と薄青い空を見上げる。薄く筋を伸ばす雲が、高い。いつしか秋の空になっていた。
最初の一ヶ月は、残響岬にほぼ日参させられた。
『あの子供』の体から出た残滓はそんなにやばいのか、どんな実害があるのか、と奉に聞いたことがあった。残暑の中、毎回車を飛ばして残響岬で子供の残滓を捨てるのに疲れていたのだ。
「じゃ、朝顔でも育ててみるかねぇ」
そう言って奉がその辺の朝顔を一株引き抜き、『子供』の残滓が染み込んだ土を入れて『明日来い』と言われた。次の日俺は、俯き加減でブツブツ呟く巨大な朝顔を目撃することになった。
「思った程でもないねぇ。兄殿はよく守った」
「いやチョウセンアサガオよりヤバいじゃねぇか⋯すまん、今日も行くわ」
朝顔の焼却を奉に任せ、その日は一人で残響岬に向かった。
『子供』の新陳代謝の速さは、嬉しい誤算だった。ひと月もした頃には、残滓に朝顔を植えてもすぐには奇形朝顔が生じることはなくなった。一週間も経てば、ブツブツ呟き始めることもあったが⋯。
嬉しい誤算は他にもあった。
『子供』がこちらの食事を気に入ったことだ。
諒が持ち込んだ作物や鶏の卵で育った『子供』は、こちらの食事に慣れるだろうか、と心配していたが、こちらといくらも変わらない調理をされていたようで、コンビニ弁当でもすんなり食べた。
「たまごは、すこしまえまでたべられた。でも、たべさせてもらえなくなった。たまごをうむとりが、くるった」
―――重い。
コンビニで買ってきたプリンが『子供』の好物だった。お母さんが作ってくれたプリンに似ている、と少し頬を緩ませた。母親がどうなったのか、そんな酷なことは聞けない。
「ぷっちんぷりん、たのしいな。あますぎるけど」
中でもプッチンプリンが気に入ったらしい。脇殿なんかに閉じ込められているのに、この生活をエンジョイしているようだ。絵本も、ゲームも夢中で楽しむ。
「そとは、まだいいや。おれ、ずっとそとだったから」
彼は『そと』をどう解釈しているのか⋯恐らく壁で隔離されて仮初の樹木が植えてあるあの場所を『そと』と認識している。『そと』が無限で、変化に溢れた場所だとは想像もしていないのだ。⋯可哀想とは思うまい。今はそれでいい。
「みんながおはなししてくれるの、たのしい。ゆうきはすきだ。ゆかり、だいすき。まつるは⋯」
少し困ったように言葉を濁し、徐に口を動かす。
「すこし、すきかもしれない」
キライでいいんだぞあんな奴。
「ばあば、すごくわらう。でもゆかりがいいな」
「⋯⋯ばあばも、好きになってやってな」
『子供』の祖母にあたる奉の母さんは、『子供』に戸籍を持たせる為に奔走している。嬉しいのは分かるが、テンションの高さと一生懸命さが『子供』を困惑させているようだ。
「ばあばに『むこう』のことをきかれるのが、いや。こたえようとすると、あたまがいたくなる」
「⋯⋯そうか」
「わすれたい。とうさんも、わすれろといった」
「⋯⋯ばあばに、言っておくよ」
そう言って頭を撫でる。少し目を細めて笑う顔はもう、ひと月前の無表情な異形の子供ではない。普通の子供だ。
「やわらかいふく、ありがとうっていって。たくさんのいろで、うれしい」
売るほど差し入れられる服も気に入っているようだ。色の拘りはほぼなく、カラフルならそれでいいらしい。⋯ずっと蛾の羽を着ていたなら服は何でも嬉しいだろうな。
「おっ、結貴くん皆勤賞じゃん」
すらりと引き戸が滑る音がして、縁ちゃんが顔を出した。
「縁ちゃんもだよ」
「へへ、こないだ言ってた絵本、蔵の中で見つかったよ」
息を弾ませて飛び込んできた彼女は『はらぺこあおむし』の絵本を抱えていた。『子供』の目が輝く。
「おもしろいやつ?いろがいっぱい?」
「うん!絶対面白いよ!」
「おひざでよんでくれる?」
―――俺はお邪魔そうなので退散する。
俺の心配をよそに、『子供』は瞬で皆に受け入れられた。今や一児の父である鴫崎も、精神年齢が近い蓮も、ちょいちょい顔を出しては『子供』と遊んでくれる。鴫崎の得意な『飛行機ごっこ』は、縁ちゃんの『おひざでえほん』の次にお気に入りだ。
―――私に、選択権はなくなったね。
『長男の子供』が戻ったと知った日、縁ちゃんが呟いた。家を継ぎ、奉の契約を切ると決意していた縁ちゃんだったが、下の世代が生まれてしまったからには自分の一存で契約を切る事は出来なくなった。『子供』が成人して、どういう判断を下すか⋯それによる。縁ちゃんは気が抜けたような⋯ほっとしたような顔をしていた。
俺も少しほっとしていた。縁ちゃんが一人で背負うには重すぎる十字架だ。『子供』の出現は少なくとも、彼女をこの家から解放する可能性を高めた。⋯彼にはいい迷惑かもしれないが。
「戸籍を取るために、名前をつけなきゃいけないわ」
玉群家の広間に、俺と奉を始めとした玉群の関係者が集められていた。⋯俺が居る必要あるか?と思ったが、縁ちゃんの次に『子供』に懐かれている俺がオブザーバーとして呼ばれたのだ。
「まだ病院に連れていけていないが⋯DNA鑑定もまだだろう?」
奉達の父親が、困惑を隠さずに呟いた。俺も戸籍は時期尚早だと思うので軽く頷く。
「じゃあ明日連れていきます」
母親は食い気味に病院行きを進めようとする。奉はもう、『義理で来てやってる』感全開で半分寝ている。
「いや、まだ異界の残滓が完全には抜けてないんです。もう少し待った方が⋯」
「もう少しってどのくらい?」
「2ヶ月、待って下さい」
「長いわ」
「万が一、病院で異常が見つかったら世間から注目されます。そうなれば取り返しがつかない」
「⋯⋯じゃあ、名前だけでも!」
それは俺も同意だ。名前がないと関わりにくい。
「結貴くん、聞きたいことがあるんだ」
卓袱台の隅で話を聞いていた縁ちゃんが、おずおずと手を挙げた。
「諒兄ちゃんは、名前をつけてないんだよね」
「⋯⋯ああ、『こちら側の物は、何も持ち帰ってはいけない』と」
「結貴くん。諒兄ちゃんは、あの子について何か⋯言ってなかった?」
彼と話した事を思い出す。
「少彦名神は、蛾の羽を着ていた⋯」
「少彦名神かぁ⋯」
「キラキラネームが過ぎるねぇ⋯」
「当たり前だ。そもそも蛾の羽を着ていた過去を思い出させるようで気の毒だ。もっとちがう⋯そうだ、思い出したよ。大事なことを」
―――自由に生きろ。
唯一の望みを、彼は最後に口にしていた。
「ん、そっか」
縁ちゃんが笑った。
子供は、『由彦』(よるひこ)と名付けられた。
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