第48話 冥婚 前編

八月。見晴るかす群青の空を、くっきりと分かつように沸く入道雲。今日も、用事がない。


自宅の縁側に腰掛け、麦茶を飲み干して一息つく。余った氷がゆっくりと溶けていくのを眺めながら、俺は⋯




深く、重いため息をついた。




ここから動く気力も起きない。というより動けない。『奴ら』に俺の自宅が割れていないことだけが救いなのだ。夏休みに突入して暇な馬鹿共は、恐らく今も玉群神社の麓で張り込んでいる。


「ごめんね⋯私のせいで」


麗しい俺の恋人は、しゅんと肩を落として隣に寄り添う。⋯微笑みを浮かべようとするが、多分苦笑いになってしまっていることだろう。


俺たちに何が起こっているかというと。






男子中学生集団に、懐かれた。






掻い摘んで言うと、こうだ。


夏休みに入る少し前、俺たちは海へ行った。そこで彼女の元恋人の断片が漂着する『怪異』に遭遇し、彼女は決別の証として、元恋人が選んだ白いビキニを、海へ放った。


そのビキニに、通りすがりの男子中学生が殺到。俺と中学生集団の壮絶なビキニ争奪戦が巻き起こる。その馬鹿共のうちの一人が海の深みにはまりこみ、溺れかけ、仕方なくビキニを投げて助けた。警察にはへこむ程叱られるし、助けた馬鹿共には面白半分に冤罪をかけられるしでもう最悪の一日だったのだ。もう二度と関わりたくないので名乗らずその場を立ち去ったのだが。




奴らのうちの一人が俺を知っていて、馬鹿共に俺の身元が割れた。




どうせ地元の子供だろうし、バスの距離だから二度と会うことはあるまい、と油断していた。しかし奴らもまた、バスの距離だったのだ。てか俺の母校の生徒だった。⋯なんか、校門付近に学ランの集団がいるな、学校見学の高校生かな、と思って目の前をスルーしようとしたら、学ランの群れが俄に色めき立ち、飛びかかってくるではないか。


「あ、居たぞビキニの兄貴!」


「マジだ、ビキニの兄貴だ!!」


「ビキ兄ィ!」


「会いに来たぜ、ビキ兄ィ!」






―――屈辱的なあだ名を、つけられた。






⋯俺が通う大学の前で。『また、あいつか⋯』『ビキニだってよ⋯』『大人しそうな顔して、私生活どうなってんだ』『⋯中学生?』ひそひそと囁き交わす声が刺さり、あまりの居たたまれなさに、踵を返して逃げだした。⋯それ以来、俺の生活圏に馬鹿どもがちょいちょい現れて絡みつくようになったのだ。無関心を貫いて、奴らが飽きるのを待とうと思っていたのだが、この状況に興味を持った同級生達が、中学生の群れに接触してしまった。


「⋯なぁ、君ら。青島くん、今度は何したの?」


「ビキ兄ィ半端ねぇよ?俺らの仲間が溺れかけてるのを見て、カノジョのビキニを引き毟って投げ込んで『掴まれぇ!!』って叫んで海に飛び込んで助けたんだ!」


⋯⋯ファ!?


「それな!まじでリスペクト過ぎるわビキ兄ィ!」


「えっ⋯ビキニを⋯毟っ⋯」






―――目の前で話をドカ盛りされ、とんでもない益荒男にされた。






ダメだ、コイツらを放置したらしたで俺の学校内での評価がエラいことになる。最悪の場合、学生課に呼ばれて停学処分とかも有りうる。そう判断した俺は、大騒ぎしているバカの群れを引き摺って校門から引き剥がし、


『女の子の水着を公衆の面前で毟ったなどという風評を流されたら俺は停学もしくは退学になる。そうでなくても、お前らが要らんこと言ったせいで俺は逮捕されるとこだったんだぞ』と、きつく叱り、大学には来ないことを約束させた。




そしたら今度は書の洞に待ち伏せされることになった。




俺が玉群神社の跡取り(?)の幼なじみで、頻繁に神社に出入りしている事を何処ぞで聞きつけたらしく、数日前に鳥居の前で黒い集団とエンカウントすることになる。


「⋯で、でもよく逃げきれたよね」


「チャリで振り切った」


そっか⋯と呟いて静流は麦茶を飲んだ。⋯自転車が下手な静流を連れていたら、逃げきれなかったかもしれない。


「大丈夫かな、玉群君⋯その、結貴君が洞に寄れなくても」


「平気だろ、事情は伝えてあるし、買い物とかはきじとらさんか、最悪アマゾン頼んだらいい」


「鴫崎さんが大変⋯」


「うぅむ⋯まぁ、ひと月とせず飽きると思うんだよな、中学生なんてさ」


古びた薬缶から二杯目の麦茶を注いだその時、俺のスマホが控えめに震えた。


「―――あれ」


『ようやく繋がったか⋯4回目のコールだ』


「⋯奉?」


奉が4度も電話をしてくるとは珍しい。マナーモードにしていたから気が付かなかった。


『いいか、今すぐ洞に来い』


「⋯今じゃなきゃダメか?この前話したが」


『今だ、直ぐに来い。来なければ俺の心が死ぬ』


「状況が分からん。だが今そっちに行くとな」


『知っとるわ!!だからこの中学生を何とかしろ!!』


「―――まじかよ」


俺は深いため息と共に、結露が光る麦茶を傍らに置いた。






1週間振りに、白く暑い石段を踏みしめる。何処からか迷い込んだ蛙が、石段の側面に張り付いて死んでいるのを見かけて、心底ウンザリする。⋯梢が薄く差し伸べる影など、いくらの足しにもなりはしない。両生類が干からびるような灼熱の石段を、こんな真昼間に登らされる理不尽。先刻煽った麦茶が祟りのように汗腺から噴出する。




―――あの中学生共め。




あいつらと関わって以来、本当にろくな事がない。人命救助という俺の善行は何処で報われるのだ。来世に繰り越されるのだろうか。なら来世は石油王の二世とかに生まれたい。


「あ、でも石油王の居住エリアは常に酷暑か⋯あの変なターバンも地味に嫌だな⋯」


どんな人生にも善し悪しはある。そう自分を無理やり納得させて更に石段を踏みしめる。⋯やがて、境内が視界にせり上ってきた。⋯あぁ、着いてしまった。最後の一段を気怠く踏み越え、いつもの洞へ重い足取りで向かった。






「あ、ビキ兄ィ!まじで来たやん!!」


精も根も尽き果て憔悴しきっている奉の真横に座って上機嫌でニコニコしているのは、あの時の中学生⋯の、一人。確かこいつは、初見殺しの海岸で深みに嵌って溺れかけた奴だ。


「ようやく現れたな貴様⋯」


それだけ言い残して、奉はそのまま卓袱台に突っ伏した。


「お、おいこれ一体⋯」


「ここ凄いっすね、ビキ兄ィ!ガチで秘密基地だし!本ビッシリあるし!ほら横溝正史の初版とかサンリオ文庫とか、レアなやつが揃ってる!神保町みてぇ!」


そう言ってその中学生は、立ち上がって本棚を漁り始めた。奉は何も言わない⋯というより、疲れ果てて何もしたくないという風情だ。まさかこいつ、俺を取り囲んで騒ぐ時と同じテンションで奉に絡み続けたのか⋯仕方ない。


「⋯こら、人ん家で勝手に本棚を漁るな。あと俺の名前はビキ兄ィじゃない」


「え、だって名前教えてくれてないじゃないですか」


え、君ら俺の名前なんか聞いてきたことないじゃないですか。出会い頭にビキ兄ィ呼ばわりだったじゃないですか。


「青島、結貴だ。もう二度とその呼び方すんな」


「オレ、石踊 蓮です!蓮って呼んでいいっすよ!」


「いしおどり⋯」


まさかの珍苗字きた。どう書くのだそれは。


「やだなぁ長いっしょ?蓮でいいってば」


「で、蓮。何で君一人でここに入り浸っている?他の連中は一緒じゃないのか?」


「んー、なんかこの兄さんに『帰れ』って言われて帰っちゃいました」


そう言ってニカッと笑う。⋯君は帰れと言われても帰らなかったのか。


「でも俺、ここの神社にはずっと目を付けてたんです。アラハバキを祀ってるんでしょ?絶対怪しいじゃないですか!この人のことも、ビキ兄ィのことも何度か見かけてたし、多分関係者なんだろうなとは思ってたんですよねぇ。だからビキ兄ィが来るまでもう少し粘ってみよっかなー、て」


「粘るって⋯何したの」


「動かなかった!!」


快活に答えるじゃねぇか。


「凄い押されたけどこの人、もの凄い非力ですね!動かせる気配が微塵もなかったっす」


「―――やめて差し上げろ」


「なんか聞き出してみたらここの跡取りみたいだしさ、この神社の由来とかアラハバキの解釈とか、麓の玉群家との関係とか、ビキ兄ィとの馴れ初めとか、その他色々聞き出してました!」




―――ああ、そういうことか。




奉の交友関係は狭い。


俺と、ほんの少しの友人。それを除けば家族くらいだ。その中で一つ、奉が全く関わったことがない属性がある。


年下の男子だ。


あれで端正な容姿をしているので、距離をつめてくる女子は稀にいた。そのせいか尚更男には好かれない。特に立場の低い後輩男子などは、少し冷たくあしらわれたらあっという間に距離を置く。面倒見のよいタイプでもないので、慕われることもない。だから、年下の男子と関わる機会が全く無かったのだ。そこに現れた、妙にグイグイくる年下の男子。奴の憔悴は想像にた易い。ほんの少しだけ、奉が気の毒に思えた。


「で、結局誰に何の用だったんだ」


「用っていうかさぁ⋯なんか、中山の姉貴にビキ兄ィ事件の話したら」


「ビキ兄ィ事件ってなんだ俺を主語にすんじゃねぇよ石踊事件って言え」


「ははは⋯なんかさ、ビキ兄ィの彼女のこと知ってて、なんかめんどくさい事になりそうなんすわ」


「静流のことを?」


「高校の頃の彼氏、死んじゃったって言ってたやん」


男子中学生にビキニを捨てた理由を根掘り葉掘り聞かれて、静流がやむを得ず、掻い摘んで事情を話したのだ。高校の頃死んだ彼氏が選んだビキニを海に流した、くらいまで簡略化したのだが⋯。


「それを中川が姉貴に話したら、その事件知ってたらしくてさ、姉貴界隈に「ヤハタに彼氏出来てた」って広まったらしいんですわ」


「お、おい⋯」


ビキ兄ィ事件がヤハタに被弾⋯!!


「そのー⋯女の子のそういうノリ、オレ全然分からないんすけど」


蓮は申し訳なさそうに声のトーンを落とした。


「ヤハタ裏切り者!大チャン可哀想!⋯ってノリになってて⋯」


「えぇ⋯」


俺は思わず天を仰いだ。


「―――なに、それ」


「すんません、社会経験少なすぎて分からないっす」


「いや大丈夫だ、酒飲める年齢の俺にも分からん」


「聞いてみたらどうだ、同じ年頃の女子に」


机に突っ伏していた奉が、むくりと頭を起こした。蓮の関心が俺に移ったことで体力が微回復したらしい。


「だれに?静流には聞けないが」


「もうすぐここに来る」


「あぁ」


我ながら、表情が明るくなるのを感じる。岩戸を引く重い音のあと、軽やかな足音が聞こえてきた。


「うーっす。あれ、誰この子?」


薄暗い洞内にフワリと浮いた明るい色のポニーテール。爽やかな夏の空気を引き連れて縁ちゃんがこのむさ苦しい書の洞に飛び込んできた。


「縁ちゃぁん⋯」


不覚にも泣きそうになった。変な中学生からの被弾やら大学での風評被害やら女同士のドロドロやら、クソみたいな現実に取り囲まれて四面楚歌のこの状況に差し込んだ一筋の光。


「うひゃぁ⋯」


傍らから、屁みたいな感嘆が漏れた。蓮がデカい目を更に見開き、ついでにだらしなく口を開けて呆けていた。








「え⋯キモ」


事の顛末⋯というか現在進行形の静流周辺の状況を、個人名を伏せて縁ちゃんに話して意見を求めた所、身も蓋もない一言が返ってきた。


「何で勝手に死んだ元カレの喪に服すのか意味わかんない。そもそも好きじゃなかったんでしょ?」


「あぁ、うん⋯」


そこは俺の希望的観測かもしれないが。


「しかもそれを無関係の周りの子たちがお仕着せるのが最高に意味わからんポイントなんだけど。そいつら何様?天竜人なの?」


「わ、ワンピース読んでるんっすね!」


「要らんこと言って話の腰を折るな」


これだから中学生は。


「⋯付き合ってた人が死んだだけでも辛いのに、やっと忘れられて新しい彼氏作ったら普通さ、おめでとうじゃん。友達なら。生きてる人の方が大事だよ、やっぱり」


「だよなぁ。俺の感覚がおかしい訳じゃないよな。その子たちが特殊なだけだよな」


そう呟いた時、縁ちゃんがふと顔を上げて、俺と目を合わせた。


「特殊じゃないよ」


「え⋯?」


「よくあるよ、そういう事。⋯ようはさ、その女の子」


スクールカースト、最下位でしょ。⋯そう言って縁ちゃんは、ふと目を逸らした。


「グループの人数差なんだよね、スクールカーストって。だから友達いない子は勉強できても、可愛くてもカースト下位なの。超バカみたいだけど。だから孤立してる子は、そういう理不尽なこと言われがちだよ。特に可愛い子は目の敵にされてるかなぁ」


妙に実感が籠っている。縁ちゃんが孤立しているとは思わないけれど、そういう嫌な現場を散々見てきたのだろう。そんな気がした。


「そ、そうか⋯どうしたものかな」


「いんじゃない?放っておけば」


縁ちゃんは実家から預かったであろう着替えと大福を卓袱台の上に置いた。暗がりから現れたきじとらさんが、お盆に乗せた二つの湯のみをそっと卓袱台に置く。


「放っておけばって⋯」


「だってその子たち、今は学校違うんでしょ。別の場所で何言われたって、ただの陰口じゃん」


「ああ、そりゃそうか」


なんだ、考える程の事でもなかった。昔のクラスメイトに裏切り者呼ばわりされたところで、この先関わる予定もないわけだ。ならば問題は何もない⋯


「違うんすよ⋯ホントごめんなさい⋯」


申し訳なさげにトーンを下げて、蓮が話に割って入ってきた。


「悪口言ってただけなら、大したことないんですけど⋯なんか、変な事言い出した連中が居るみたいなんすよ」


「―――変な事」


雲行きが怪しくなってきた。


「同窓会を開いて、ヤハタが顔出したところを問いただそう⋯とか。中川の姉貴も含めて大多数はドン引きしてるけど、強硬派が何人かいるみたいっす。⋯その大ちゃんって元カレ、人望あったんすね⋯割と」


だから同窓会の通知が来てもシカトしてくださいねと伝えに来たんです。そう言って蓮は再度、済まなそうに肩をすくめた。⋯おい、なにを口走った貴様。


「⋯ヤハタ?」




縁ちゃんに『元カレが死んだ女の子』が静流だということが、たった今バレた。




「あ⋯」


「静流さんの話⋯だったんだ」


俺はどんな顔をしていただろう。恐らく情けない程に目が泳いでいたに違いない。⋯が、同じように縁ちゃんの目も泳ぎまくっていた。


「ご、ごめんカースト下位とか⋯あの、私なんか偉そうに」


「いやいやいや!違うんだゴメン!ていうか多分それで合ってるし⋯」


「感情が錯綜しているねぇ。これが人間の『感情の機微』ってやつかねぇ」


「うるせぇな奉!混ぜっかえすな!!」


奉を怒鳴りつけた瞬間、LINEの通知音が響いた。俺のだけじゃない、奉のスマホも通知音が鳴っている。




『たすけていま残響みさき ―――静流』






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