第21話 目々連

ある者は物見高い目で。

ある者は敵意を含んだ目で。

ある者は小馬鹿にした目で。

ある者は畏怖を湛えた目で。



俺と奉は、食堂の片隅で好奇の視線にさらされていた。



「うむ、まずい。安定のまずさだねぇ」

いつもの通りB定食を平らげ、奉は食後の茶を呑む。湯気が立っても不思議と曇らない。相変わらず、妙な眼鏡だ。

いや、少しだけ今までと違う。

夏の『鎌鼬騒動』の際、奉の眼鏡のフレームが折れた。

応急処置として子供の頃に使っていた縁の太いフレームを引っ張り出して使っている。フレームの修理というか新調は、行きつけの眼鏡屋に依頼している、とのことだが、あれから結構経つというのに音沙汰がない。

『この硝子を嵌める眼鏡枠がそうひょいひょい出来上がってくるか。眼鏡市場じゃねぇんだよ』

奉はそう云うが、眼鏡の枠なんてレンズのサイズが同じならどれも一緒なんじゃないか、とも思う。今まで掛けていた眼鏡の枠も、何の変哲もない金古美の枠としか思わなかった。



「あの、隣…いいでしょうか」



視界の片隅に、さらりと一束の髪が入った。控えめな花の香りのコロンがふわっと香る。俺は思わず顔を上げた。

「えっ」

ばっと食堂中を見渡してみたが、わざわざ俺たちの横に座らなくても空きはいくらでもある。何故だ、何故この女子は俺たちの横に座る!?

「いい…けど」

横目に女子の容姿をチェックする。地味な色合いの眼鏡フレームが少し野暮ったいが、その奥の目は控えめながらもパッチリしている。何しろ睫毛が長い。この眼鏡を外したら、もっと可愛いのではないか。

何より、髪が美しい。きちんと櫛を通された豊かな髪は、まだ染めたことなどなさそうな、うぶな質感だ。

「不躾だぞ、結貴」

奉に軽く嗜められ、顔にぼうっと血が上った。

「…そんなんじゃ」

一応軽く否定したが、大人しそうで可愛い子だなと思ったのは事実だった。今まで俺の周りには居なかったタイプだ。…俺はやはり、少し惚れっぽいのか。

「―――相談が、あるんですけど」

女子は唐突に、俺たちに相談話を持ち掛け始めた!

なにこの子、大人しそうな顔して意外とグイグイ来るタイプか!?

「俺たちは、あんたと初対面だがねぇ」

お前はお前でバッサリいくな!!女子は眼鏡の奥の目を丸くして云った。




「お二人は、拝み屋さんではないんですか?」




Aランチの盆に、箸がぽろりと落ちた。





―――あの悪夢のような海釣り以来、友人たちのうち、数人が俺たちを遠巻きにするようになったことには気が付いていた。

あの日、甲板で起こったことを一部始終見ていた綿貫が、何も聞いてこない事は気になってはいた。だがあの時は疲れていて、誰とも話をしたくなかったから有難くさえ思っていたのだ。



それが、良くなかった。



「お二人がコンビを組んで拝み屋をやっているって噂を聞いて…青島さんは達人級の匕首使いで、祓い師の奉さんを守る役割だって聞きました」

「なにそれ!?」

うわぁ色々初耳なんだが。

「10月24日に漁に出た漁船に乗り込んだんでしょ」

「うん…成り行きでだけど…」

「あの日、船幽霊に襲われたって」

…茶を吹きそうになった。口止めの余裕などなかったし、俺は勝手に口止め不要と思い込んでいた。俺なら誰にも話さない、そんな己の正気を疑われそうなことを。

「……只の影だよ、霧、深かったし。霧に映りこんだ影…」

苦しい言い訳をしたが、眼鏡の彼女は聞いていないようだ。

「青島さんが飛んでくる殺人魚を、一つ残らず斬り落としたって…」

さ、殺人魚…。綿貫、あいつどんな解釈したんだ!?

「あれ只のダツだよ!?」

他の人から見たら俺も含めて完全に怪現象なので、船頭に説明する際『ダツの群れに巻き込まれて逃げ遅れたから止むを得ず匕首で斬った』と伝えた。その際きじとらさんが懐に忍ばせていた匕首を見せて無理矢理納得してもらったのだ。

考えてみればあんだけ飛来したダツを残らず筒切りって、達人呼ばわりされても仕方ない。

「青島さんが斬り込んで、玉群さんが妖を断つ…っていうコンビネーション、なんですよね」



―――え、俺そんなヤクザの鉄砲玉みたいなポジション?



「…えー、何か色々誤解があるみたいなんだけど」

「そこら辺の真偽は一旦、脇に置いて」

それまで一言たりとも口にせずに黙々と茶を啜っていた奉が、突然口を開いた。

「あんたは一体、何を云いに来たんだ?相談というのは何だ、船幽霊の話でも聞きたいのかねぇ」

ちょっと聞いた感じでは、随分な切り口上に聞こえるが、俺には薄々分かる。

こいつ、この状況にちょっと興味を持ち始めているな。

「えっと、その…あの…」

切り込まれるや否や、眼鏡女子は急にあたふたし始めた。

「あの、そういうんじゃなくて…えっと…」

テンパり始めたぞ、眼鏡女子。

「どこから話そうかな、えっと…えっと…」

「……早くせんかい」

……あ、奉がイラつき始めた。

「ごめんなさいごめんなさいっ!えと、ど、どこから…」

「落ち着いて、大丈夫だから。…まずは君の名前から」

なんか見ていられなくなって助け舟を出した。眼鏡女子は大きな目を潤ませて俺の方に身を寄せて来た。…経験則上、知っている。これは別に、俺に好意を寄せているとかではなく『こっちは安全なひと』と判断されただけなのだ。

そして安全な異性は、恋愛対象にされにくい。

「―――八幡、静流…です」

静流さん…いい名前だ。

「ふん、八幡…随分大仰な名前だねぇ」

「…ごめんなさい」

「対抗意識を燃やすな」

全国レベルの八幡神社と片田舎の玉群神社じゃ競争にもならんだろうが。

「でっでもうち普通のサラリーマン家庭で…神社とかじゃなくて…」

「いちいち真に受けるな。話が進まない」

どうも歯切れが悪い。奉はこの女子が少し苦手なようだ。






「…見られている、気がするんです」

静流さんは、少しずつ語り始めた。

「それはとても厭な気配で、それに一人じゃなくて…とても大勢のような」

「今の俺たちみたいな状況か」

あの後、俺たちを取り囲む物見高い視線は、増える一方だった。彼女も俺たちの噂話にひかれて来た。だが彼女は真摯な悩みを抱えて、人見知りを圧して話しかけて来たように思える。

「厭な気配…ねぇ」

顎をひねるように指を動かしながら、奉がにやりと笑った。

「あんたが、『それ』を厭だと感じた理由は?」

静流さんは、はっとしたように唇に指をあてた。

「どうして…かな。とにかく厭だな、としか」

「ふん…いつもってわけじゃ、なさそうだな」

どうして分かるのか、と言いたげにパッと目を見開く静流さんを奉が首を傾げて覗き込む。静流さんは頬を染めて顔を反らしてしまった。

「それよ」

奉は口の端を吊り上げて笑う。

「凝視に耐えられない手合いの女だ、あんたは。…そっちの匕首使いと同じでな」

「うるせえよ」

セクハラじゃねぇか。

「避け得ない、特定の場所を通る度に視線を感じる。…違うか」

静流さんは少し視線を彷徨わせ、やがて小さく頷いた。奉は食い終わったB定食の盆を片手に、すっと立ち上がった。

「…眼鏡の枠を受け取りに行く。あんたも来るといい」





眼鏡屋への道すがら、静流さんはぽつりと語ってくれた。


彼女の家は、この大学からバスで8駅の場所にある。本当は自転車で行きたいけれど、自転車が下手なので(この辺りで『この子はひょっとしてとてもドン臭い子なのでは』と思い始める)毎日バスで大学に通い、バスがある時間の範囲でアルバイトをこなしているという。

そのバスは小さな川にかかる橋を通る。こんな大きなバスが通っても大丈夫かなぁ…と不安になるような小さな橋だという。



ここ数日、その橋を通る度に、厭な視線を感じるようになった、という。



「それも、バスに乗っているときだけ」

そう云って彼女は肩をすくめた。

「自転車通学にしようかなって思ったんだけど、私やっぱり自転車へたで、何度もおばあさんを轢きかけて」

奉が、眉を上げて呟いた。

「同じ婆さんじゃあるまいねぇ」

「…その、私、運転遅くて…」

「徒歩の婆さんより!?」

「すみません…」

なんかすごい逸材が現れたねぇ…と呟きながら、奉が俺の斜め後ろに寄って来た。

「…婆さんが異様に速かったのかもしれないだろ…」

…俺も一連の会話を聞きながら、なんかすげぇなとは思っていたが。

「そんなわけあるか。…ここだ」

奉が足を止めたのは、寂れた商店街の片隅に佇む木造家屋の前だった。煤けた木枠にはめ込まれた無数のガラスが少し異様だが、それ以外はこの古びた街並みにしっくりと溶け込んでいる。奉はガラスの一部にそっと手をかけ、薙ぐように引いた。

「亭主」

そう一声かけると、店の暗がりの辺りがぶわりと膨らみ、のそりと起き上がる気配が満ちた。

とても狭いが、奥に深い店だった。入口の右手に、少し長すぎるんじゃないかと思うようなカウンターがある。それは入口と垂直に店の奥に伸びていて、一番端は暗がりになっていてよく見えない。

そして反対側の壁には眼鏡の枠が、野蛮な戦の戦利品のように荒々しく、無造作に掛けられている。それこそ、無数に。端の方はやはり暗がりに吸い込まれている。冷やかし半分に入り込んで『きゃーかわいいー』とか云いながらサングラス掛けまくったりとか絶対出来ないタイプの店だ。

「おう、玉群の」

細い銀縁の眼鏡をかけた30手前くらいの男が、眠たそうに体を起こした。年齢の割には白髪が多い、それ以外は際立った特徴のない男だ。

「暇か」

「おお…眼鏡なんざ、そうひょいひょい作るもんでもねぇからな。…おや、今日は珍しく眼鏡率高めじゃねぇの」

男は、にやにやしながら俺の方を見た。

「眼鏡の中に~、裸眼が一人~」

なにこのひと。

「当たり前だ。眼鏡に用のある奴しか来ないだろうがこんな店」

「違いねぇな…ほれ、眼鏡を貸せ」



―――驚いた。



奉とこんな風に話し、関わる奴は俺だけだと思っていた。この眠そうな男は、あの謎の眼鏡を事もなげに受け取り、眼鏡枠から煙色のレンズを外す。そして金古美の眼鏡枠にレンズをはめ込み、奉に突き出した。

「ほれ、終了。…珍しいな」

お前さんが、そんなぞろぞろお供を連れて現れるたぁね…と呟いて、男は再び暗がりに戻ろうとした。

「こっちの連れは、別件よ」

「……ふぅん」

品定めでもするように、男は俺達を眺めまわした。

「……あんたぁ」

ふと何かを思いついたように、男は顎を上げる。そしてすっと静流さんを指さした。

「臆病ものだろう。かなりの」

「えっ…」

それこそ臆病者丸出しで、静流さんは身を縮めた。

「な…なんで…分かったんですか…?」

…え?

「染み込むんだよ、その眼鏡にな」

……えぇ?

「私の眼鏡に…怯えが?」

………ていうか?

「…見りゃ分からんかねぇ」

「それだよ!俺が云いたかったのは!!」

奉の言葉に、思わず叫んでしまった。そんなんひと目で分かるだろうが。

「俺は眼鏡の話をしてんだよ」

眼鏡屋が、かつ、とそこらへんにあった眼鏡の蔓でカウンターを叩いた。

「眼鏡に染み込むのは、そいつが『視てきた』事物。見るもの全てに怯えてきたこの女の眼鏡は」



恐怖に、鋭敏に反応するんだよ。と眼鏡屋は呟いた。



「現在、過去、未来。全ての恐怖に反応する。…あんたぁ、結構『視る』質だろ」

肩をぷるりと震わせ、彼女は頷いた。

「…怖いもの、見ちゃうことは珍しくないんです…でも、正体の分からないものに、こんなに見られるのって初めてで…」

「視るから怯える。怯えるから、その恐怖があんたの眼鏡を『育てる』。…悪循環にいるわけだが」

すっと手を伸ばして、眼鏡屋が静流さんの眼鏡を引き抜いた。

「こりゃまぁ、ひょっとしてだが…今回ばかりは、命拾いをしているかもしれない」

彼はのろりと暗がりに溶けるように、店の奥に入り込んだ。

「えっ、あの、私の眼鏡…」

それがないと見えないんです…と呟きながら、おろおろと周囲を見回す。

あ、睫毛すごい長い。暗がりに映えるタイプの、陰と陽で云えば陰の美しさをもつ子だ。…何というか、とても勿体ない。

「コンタクトとかにしたらいいのに」

「えっ」

「あ…いや」

つい言葉が漏れてしまった。俺は軽く咳払いをして目をそらす。眼鏡を外した彼女はその…なんというか…



すっごい、凝視してくる。



とても覚えのある凝視だ。なんで俺の周りは凝視してくるひとが多いのだろう。

「ほれ、こいつを持っていけ」

暗がりから眼鏡屋が、ゆらりと現れた。彼女に差し出された眼鏡は、大して何かが変わったようには見えないが…。

「え、あの…ありがとうございます」

彼女はおずおずと眼鏡を受け取り、すっと目にあてた。

「……わ」

静流さんが小さく怯えたような声をあげた。

「……これ、すごく見える……」

恐々と周りを見回した後、彼女は再び今までと同じように目を伏せた。…なんでだろう、眼鏡がなくて周りが見えない時より、今の方が怯えて見える。

「あんたぁ、そうとう『視える』のに、肝心な部分から逃げてんだよ。その逃げ癖が眼鏡にもにじみ出ている。だから『視られている』なんて曖昧な解釈になるんだな」

顎をくい、と上げて、眼鏡屋が静流さんの眼鏡を指さした。彼女はびくりと肩を震わせて俺の影に隠れる。

「だって…視えても何もできないなら、はっきり見えないほうがいいって…」

「今回は駄目だと思ったから、こいつにすがったんだろ」

そう云って眼鏡屋は、奉を顎で指した。奉はこいつはこいつで、ただニヤニヤしながら眼鏡屋と静流さんのやりとりを眺めている。

「あんたの危険に対する嗅覚は、『こっち側』からみてもちょっとしたもんだ。だが自ら精度を落としていたんだよ。視えるのが怖いから。…根っからのビビリだなあんたぁ」

「す、すみません…」

怯える静流さんをひとしきり凝視すると、眼鏡屋はすっと立ち上がった。

「その余計な怯えを『拭き取って』やった。…怖いのは当たり前だ。だが今回だけは、じっくり視てみろ。そのあと、退くか進むかはあんた次第だよ」

これが、俺と奇妙な眼鏡屋のなれそめだった。






「いよいよ、例の橋だねぇ」

普段乗り慣れないバスに揺られながら、奉が揶揄うように呟いた。

眼鏡屋を出た後、俺たちは近くのバス停から学校へ向かうバスに乗った。静流さんは初めて日本に来たビビリの留学生のように、きょときょとと忙しなく周りを見回していた。ビビリだけど基本的にとても真面目な子なのだろう。バスに乗ろうと提案したのは、意外にも彼女だった。

「視えるのは怖いけど…誰かと一緒だと怖さ半減です」

そういう理由かい。

「あの…少し、いいですか」

そう呟いて、静流さんは俺の手首を袖の上から、きゅっと掴んだ。そして伏せていた目を少しだけ上げて、俺と目が合うとぱっと頬を染めてまた伏せた。

「橋を通り過ぎるまででいいから…ちょっとだけ」

………い



いいなぁ……これ、いいなぁ……。



たまにちょっとイラッとするけど、全然許容範囲。一族郎党含めて俺の周りにはいなかったタイプだ。新鮮過ぎる。

「くっくっく…広がるねぇ選択肢」

そうだこいつが居たんだった。駄目だ伸びるな俺の鼻の下。

「………あっ」

手首を強く握られ、俺は我に返った。静流さんは俺の手を握りしめたまま、小刻みに震えていた。

「……静流さん?」

「いる…沢山…い、今まで視線だけだったのに…」

静流さんはすがるように腕にしがみついてきた。顔を伏せかけた彼女の顎に、俺は思わず手をあてた。

「よく視て。今だけは逃げちゃ駄目だよ」

「……はい」

震えながら、彼女はおずおずと顎を上げた。目尻に涙が浮かんでいる。その冷たい手をしっかり握ってあげることしか、俺に出来る事はない。奉の奴は興味深そうに彼女を凝視するばかりだし。…俺の周りにはどうして、凝視する奴ばかりなのだろう。



橋を通り過ぎた瞬間、静流さんの躰から一気に力が抜けて崩れ落ちた。





バスは俺たちを残し、砂埃を巻き上げて走り去った。

連れの具合が悪くなったから、と説明して、次の停留所に着く前に降ろしてもらったのだ。俺と奉は近場の喫茶店に、気絶寸前の静流さんを担ぎ込み、彼女が落ち着くのを待っていた。

「……人、でした」

バスの窓から覗き込む、大勢の人でした…ココアを一口飲んで(気絶寸前だというのに『珈琲苦手で甘いのがいい、あればココア希望』としっかりリクエストしていた。何なんだこの子)静流さんは呟いた。

「思ったより普通の人たちで…なんていうかその、恨めしいとか憎いとかそういう感じ、全然なくて」

「ただ、興味深々って感じだった…かねぇ」

奉が珈琲に角砂糖を落とした。2粒も。

「そう、覗き込むように。…そう、中に珍しい物でもあるみたいに。幽霊みたいな感じじゃなくて、むしろ…なんか私の方が死んでるような…厭な気分に」




「……だろうねぇ。死んでるのは、あんたなんだよ」




目を見開いて凝視する俺達二人を置いてけぼりにして、奉はチョコレートケーキのフィルムの端を探し始めた。

「……見つからないねぇ……」

「おい!お前爆弾発言だけ残して俺達ほったらかしで甘味優先かよ!」

「うるっさいねぇ…眼鏡屋が云っていただろう、この女は超絶ビビリだ。現在、過去、未来。全てに怯える」

「だから!?」

「見られているのは未来の『死骸となった自分』」

――――!?



「窓から覗いていたのは、生きている人間…悲惨な事故に釣られて集まって来た野次馬よ」



あのバスは将来…いつかは分からないが、とても悲惨な事故を起こすよ。あの橋で、あんたを乗せて。奉はケーキを頬張りながら、事もなげに云った。

「そりゃ、厭な視線なわけだよ。自分の死骸が晒し者にされてるんだからねぇ」

「それ…決定事項なんですか…!?」

静流さんがプルプル震え始めた。…あ、なんかチワワみたい。

「バスが事故、までは決定事項と云っていい」

奉はフォークを静流さんの方に突き出した。…やめなさい、お行儀の悪い。

「目々連…という妖怪を知っているか」

静流さんは、ふるふると首を振った。俺は知っているが、上手く説明できる自信がないので黙っていることにする。

「とある旅人が、道に迷いその日の宿に困り、偶然見つけた廃屋に泊まる。…夜中、厭な気配に目を覚ますと、彼は気づく」

障子に現れた、無数の目が彼を凝視していることに。そう呟き、奉は再びフォークで一口分のケーキを切り取った。

「その妖怪に凝視されると、どうなるのですか」

「なにも」

「えっ」

……そうなんだよな。こいつらは、確か……。

「基本的には、見るだけだ。この話には続きがあってねぇ」

羽織の袖に手を差し込み、奉は語り始めた。

ある日、同じ廃屋に他の旅人が迷い込む。やはり夜中に視線を感じて目を覚ます。旅人は障子に現れた目をほじくり出し、眼医者に売りとばして一儲けする。

「そ、そんなことして呪われないんですか!?」

「呪わんよ。…こいつら自体には、恨みの念だとかそんな高尚なものはない」

そう。確かうろ覚えの記憶を辿れば…奴らは民衆の物見高い視線が障子の『目』に影響を及ぼして生じた、それだけの妖。云わば軽い野次馬根性の集積なのだ。

「似ているねぇ…あんたの視た幻に」

くっくっく…と低く笑い、奉は白いティーカップを口元に運んだ。

「窓の外から凝視する連中は、あんたを死に至らしめようとしているわけじゃない。ただ興味深い事故の匂いに誘われて現れただけのことよ。…簡単なことだろ、今後一切、そのバスに乗らなけりゃいいのさ」

「本当に…それだけでいいんですか」

奉はつまらなそうに頬杖をついた。

「あーね…こりゃ妖でも呪いでもない。…予知さねぇ。恐ろしい思いはしただろうが、あんたは命を拾った」

「はい…」

「眼鏡屋の云う通りだねぇ、つまらん話だ」

退くも進むも、あんた次第だ。そう云って奉は伝票を抜き取って席を立った。そして静流さんの必死の抵抗を振り切り、3人分の支払いを強引に済ませて店を後にした。





あの眼鏡騒動から数日―――。

生徒がまばらに集う講堂で、眼鏡を外した静流さんを見た。

『畏れ』が染みついた眼鏡を外した静流さんは、少し活発になったように見えた。俺の姿を認めると、ぱっと大きな瞳を見開いて駆け寄って来たのだ。

「コンタクトにしたんです。1DAYの」

これなら『畏れ』が染みつかないでしょ、私…やっぱり奉さんが云った通り、怖がりだから。そう云って彼女は笑った。

「――通学は、どうしてるの」

「自転車、練習してます。まだ遅いけど」

自然と、口元がほころぶのを感じた。

…よかった。彼女に畏れながらの未来視なんて似合わない。

『退くか、進むか』。そう聞いた時は、何のこっちゃと思ったが…今なら分かる。彼女はその手に余る力から、手を退いたのだ。未来にどんな畏れが存在するかなんて分からない。それは皆、同じなのだろう。彼女はそれを一度だけ垣間見てしまい、一度だけ命を拾った。…それでいい。

「でも…出来ることならバスが事故を起こす未来も変えたい。…だからすごく考えて思い出してみたの」

「思い出した…?」

「窓の外。人、以外に視えたもの」



窓の外は、川…でした。あの小さい橋、落ちるんです。…きっと。






「―――そうか、退いたか」

秋半ば、既に初冬の冷気が籠る洞の奥で、奉は書から目を離すことすらなく、少しだけ口の端を吊り上げた。

「これで良かったんだよな。未来なんて誰にも分からないんだし」

「眼鏡は、捨てたのか?」

「……どうかね」

煙色の眼鏡の縁が、静かに何処かの光を照り返していた。その表情は相変わらず見えないが、何故か俺には、奉が笑っているのが分かった。間違いなく、今日の奉は最近珍しい程に機嫌がいい。

「捨ててねぇよ、多分」

「……コンタクトが合わない場合もあるしな」

「そうじゃないねぇ…あの女は、根っからの臆病者なんだよ」

『視えない』ことを畏れ始めるよ、そのうち。…奉はそう云って、目に見えてニヤつき始めた。

「眼鏡を手放していなければ、それでいい」

部屋の中央に据えられた燭台が、風もないのにゆらめいた。岩壁に映し出された奉の影が、いやに濃く感じた。

「あの未来視は、既に俺の掌中よな」

―――何を、企んでいるんだ。

「…無理矢理、未来を視せる気か」

「人聞きの悪い…俺はお願いするだけなんだがねぇ。…そういや、喫茶店で茶を奢ったっけ」



こ、こいつ……!!!



「あの子はもう、俺の頼みを断らねぇよ」

何しろビビリだからねぇ…と呟きながら、くっくっく…と口の端を吊り上げて笑う。…本当に…本当にこいつは…。

「鎌鼬使いに未来視か…次はどんな手駒が手に入るかねぇ」

心底、上機嫌で奉が笑う。

「絶対にお前の兵隊になんか成り下がらねぇよふざけんな」

そう云いつつ、結局いいように使われるのだろうな俺も静流さんも。未来視ではない俺にも容易に想像がつく。




―――まだ、バスは落ちていない。

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