11. 逡巡
放課後のグラウンドには運動部の部員たちの声が響き渡っている。
グラウンドと校舎の間の道沿いで、僕は
「ほんじゃ、土曜日の十時に駅前集合ってことで」
知春はスマートフォンを操作しながら、僕ら三人に確認する。
僕と真莉愛は無言でうなずき、里香は「オッケー」と声を弾ませた。
「いろいろ話してたらノド渇いちゃった。トモ、何か買ってきてよ」
「えー、リカが自分で行けよ」
「気が利かないねぇ。しょーがない、一緒に行くわよ」
「あ? やだよ、めんどくせ」
「まーちゃんは何がいい?」
知春を無視して、里香は真莉愛に訊ねる。
「わたしも行くよ」
「だいじょぶだいじょぶ、全部トモのおごりだし」
「おいおい、そんなこと一言も――」
「まーちゃん、いつものレモンティーでいい?
「あ、うん」
そして里香は、ぶーぶー文句を言っている知春を引っ張って「待っててねー」と売店へと向かった。
《喫茶まほろば》で、知春と里香が付き合っていることを知ったけれど、そのことを知春が里香に伝えたらしい。
それから二人は、付き合っていることを特に隠すこともなくなった。
真莉愛は二人が付き合うまえに里香から相談を受けていたようで、すでに知っていたという。
「ちょっと寂しいよね」
真莉愛が不意に言葉を漏らす。
「どうしたの?」
「うん……りっちゃんと会う時間、減っちゃうのかなって」
真莉愛の微笑みの奥に、複雑な気持ちが見え隠れしているような気がした。
いきなり疎遠になってしまうことはないだろうけれど、今まで一緒に過ごしていたようにはいかなくなるのかもしれない。
それは僕にとっても同じで、これまで知春と何気なく過ごしていた時間はきっと少しずつ減っていくのだろう。
今日みたいに四人で過ごす時間も。
「僕は一緒にいるから大丈夫だよ」
「え……?」
真莉愛が目を丸くする。
そして僕は、自分がとんでもないことを口走ってしまったと気づく。
「あ、いや! 四人のうち僕はまだ残ってるから大丈夫っていう意味で! 決して他意はなく!」
「ふぅうん?」
僕の顔をのぞき込むようにして、真莉愛ははにかんだ。
「ホントに一緒なの?」
「あの……」
手汗がすごい。
脇や背中もじっとりしてくるのを感じる。
「旬くんはさ」
真莉愛は姿勢を正して後ろ手を組む。
「いつになったらわたしに秘密を打ち明けてくれるの?」
――もしかして、バレてる?
真莉愛の言葉に、口の中が急に乾いてきた。
抑えようとしても目が泳いでしまう。
わかってて、あえて僕に訊いてるのか?
ぷふっ、と真莉愛は吹き出した。
「冗談だよ。びっくりした?」
「えっ? いや、冗談か。そうだよね」
「そうそう、りっちゃんと
「ごめん、気が利かなくて」
「ううん、謝ることじゃないよ。でも、二人が仲良く付き合ってるのは嬉しいよね」
「そうだね、お似合いな感じするし」
「ね、相性良さそう。そういえば旬くんの新作はいつ?」
「今の連載がひと区切りしたら短編を――」
「やっぱりね」
ちょん、と指先で鼻を突かれる。
「旬くん、小説書いてるんでしょう?」
真莉愛は片目を細めて、
ぞくっ、と背筋に寒気が走った。
「あ、え? うん?」
――しまった。
ヤバい。
どうしよう。
「ずーっとそんな気はしてたんだよね。旬くんって、ただの読書家っていう感じがしなくて」
「あの、その」
「なんていうか、たまになんだけど、自分で小説を書いたことのある人しかわからないような話しぶりすることがあるし。プロットの立て方とかセリフ回しの強弱のつけ方とか」
「あうっ、おうっ」
「なに、そのオットセイみたいなの」
あははっ、と真莉愛は笑う。
「それで? どんな小説書いてるの?」
「待って、待って待って。僕は――」
「この
「……はい」
もう観念するしかない、か。
「で、どんなの?」
「えっと、最近は恋愛系がメインかな……」
「ふうん。それって普通に男女の?」
「男女の恋愛もそうだし、ボーイズとかガールズがラブするようなやつとかも」
「えっ、いいじゃん! 読ませてよ!」
真莉愛は目を輝かせる。
――キミはもう、読んでるんだよ。
それだけじゃなくて、小説サイトでもSNSでもすでに長文の感想をくれてるんだよ……!
「えっと、うん……機会があれば」
「もしかして、読まれたくはない感じ?」
「いや、全然そんなことはないんだけど……」
「旬くんの小説はWebサイトとかで公開してるの? ペンネームは?」
――そうか。
少し思い違いをしていた。
僕が小説を書いていること自体は薄々わかっていたんだろうけれど、僕が
でも、彼女に作品を見せてしまえば僕が白金式部だと完全にバレてしまう。
そのとき、彼女はどんな反応をするだろう。
いくら最近仲良くなってきたとはいえ、こんなパッとしないやつが実は自分の推しだったなんて彼女が気づいてしまったら――。
「ううん、公開はしてないよ」
胸が痛む。
「趣味で書いてるだけだから」
真莉愛はまばたきもせず僕を見据える。
彼女が時折見せる、あの目だ。
「……そっか」
明らかに納得していないような顔で、彼女は小さく呟いた。
おーい、と呼ぶ声がこちらに向けられる。
数メートル先で、知春と里香がそれぞれ両手にペットボトルを持っていた。
「ねえ、旬くん」
真莉愛が訊いてくる。
「小説書いてることってあの二人も知ってるの?」
「知春は知ってるけど、里香はどうだろう。少なくとも僕は話したことないかな」
「話さないほうがいい?」
「えっと……うん」
真莉愛は何も言わずにうなずいた。
***
夜、連載中の小説の原稿を自室で書いていると、
これでもう、僕にできることはない。
あとは刊行まですべての段取りを任せるだけだ。
改稿に次ぐ改稿で、受賞時点の本編からは相当変わってしまっている。
ひらがな一つの使い方で数時間悩んだことだってあった。
自分自身の文章力の未熟さを嫌でも自覚せざるを得ない。
文字の海にもっと深く潜り込んで、その世界に生きているような感覚で文字を操れるようになりたい。
連載小説の原稿を書き上げ、小説サイトにアップロードして公開する。
そしてすぐにSNSで宣伝。
ここまでが毎週のルーティンだ。
すぐにフォロワーさんからのいいねがついて、リツイートしてもらえた。
数分でリプライもつく。
『@supernoritama2 今週もおつかれさまですー♪』
『@furuno_miko 全力待機してました! さっそく読ませていただきます!!!』
ふるのみこ――真莉愛からも。
彼女はいつも反応が早い。
こうして毎週追いかけてくれていて、本当にありがたい。
でも、僕が小説を書いていることが彼女に知られてしまった以上、やり取りはいつもより気をつけないと。
自分では気づいていないような文章の癖や言葉の使い方で、勘の良い彼女は僕と白金式部を頭の中でリンクさせる可能性がある。
もういっそのこと、打ち明けてしまったらどうか――。
そんな考えが頭をよぎる。
ここまで隠してきて、正直なところ後ろめたさで心苦しい。
時間が経てば経つほど言い出しづらくなり、バレてしまったときの溝も深くなってしまう。
いつまでこんな状態を続けるのだろう。
僕が白金式部であることがわかったとして、本当にそこまで険悪な関係になるだろうか。
案外、さらっと受け入れてくれるのではないか。
だけど、もしもオンラインでもリアルでも彼女から拒絶されるようなことになってしまったら――僕は立ち直れないかもしれない。
なんとなくだけれど、僕はもう、小説が書けなくなってしまうような気がする。
ぶぶっ、とスマートフォンが振動する。
『話したいことがあるんだけど、明日の放課後に部室でいいかな?』
ぼやかしたような言い回しに、不思議な違和感を覚える。
いつもの敦子先輩だったらわざわざ呼び出すような真似をしないで、LINEで直接やり取りをするはずだ。
ひとまず僕は『わかりました』と返信する。
すぐに、柴犬が嬉し泣きしている『ありがとう』のスタンプが返ってきた。
続けざまにLINEの通知。
今度は真莉愛からだった。
『推しが尊い……』
メッセージのすぐ後に、感動しているような表情の黒猫のスタンプが送られてきた。
なんのことを言っているのか、即座に察する。
どう返そうか数分悩んだ末に『幸せそうでなにより』とメッセージを送った。
もう少し気の利いた言葉があったかもしれない。
『土曜日、楽しみだね』
と、僕は連投した。
すぐに真莉愛から返信がくる。
『旬くんは一緒なんだよね?』
彼女の本意を探ってしまう。
キャンセルとかせず予定どおり一緒に来れるよね、という意味なのか。
それとも――。
『もちろん』
多くを語るとうっかりボロが出てしまいそうだったので、シンプルに返す。
彼女は、黒猫がウインクしながらサムズアップしているスタンプを送ってきた。
『旬くんの小説、読ませてね』
――つい数分まえに、キミはすでに読んだというのに。
しかも、推しが尊いとまで言ってくれているのに。
僕は誠実じゃないな、と自己嫌悪を抱かずにはいられない。
土曜日、彼女に会ったときに打ち明けようか。
でも――。
真莉愛から、黒猫があくびをしているスタンプが送られてくる。
続けて『オヤスミ~』というメッセージも。
僕はいくつもの
(つづく)
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