第33話 さよなら、一握の砂②
堂内が、しん、と静まり返る。
村岡と庚午の生み出す、二つの荒い呼吸の音だけが、そこに脈々と響いていた。
村岡の目が、ちらと後方に向けられる。
壁に打ちつけられた空也は完全に動きを停止していた。
首を戻し、村岡は再び目の前の阿弥陀三尊へと目を向ける。
その手前には、見るも無残な破れ鏡が倒れていた。
空也の腹から飛び出た僧形の発光体は、この破れたマジックミラーを突き抜けて、その後ろに見た龍円へ向かって飛び込んでいったのだ。
そして、それもまた、現在は完全に沈黙している。
「――お、終わった、のか?」
かすれ声で問う庚午に、村岡は黙ったまま吐き捨てるように息を吐くと、左手に角棒を掴んだまま、阿弥陀三尊の前に進み出た。
縄で作った四方結界の前に立つ。割れて倒れたマジックミラーの裏側に、白いものが倒れている。
村岡は足を上げて縄を踏み越えると、マジックミラーを引き起こそうとした。横から庚午が早足で近寄り、そこに手を貸し持ち上げる。
鏡を動かした下に落ちていたのは、村岡が作った
村岡から受けとったマジックミラーを結界の横に下ろしつつ、庚午が顔だけを村岡のほうへ向けた。
「おい龍円、終わったぞ。眞玉。スマホは?」
「暗転してます。途中で通話が切れたな」
村岡は目線を阿弥陀三尊へと上げた。本物の龍円は、阿弥陀三尊の裏側、引き戸の手前に、ずっと隠れさせてあった。
庚午は手にしていた模造刀を割れた鏡の上にからんと落とすと、「ふいーっ」と息を吐きだしながら髪を掻き揚げた。
「ええと? 『霊体の認知力は人間の脳による知覚とは異なる』だったか? だから、狙われている本人には強力な結界を巻いて、肉体の一部を用いて人形を作ると」
村岡は跪いて、目の前の龍円の人形からスマホを取りあげた。
「旧来では、そこに意思を感じ取れないために偽物だと霊に見抜かれやすかったんです。でも科学技術が発達してくれたおかげで、写真、またはテープ、ボイスレコーダーを経て、ついにはリアルタイムで意思の疎通ができるビデオ通話にまで至った。――正直なとこ、全く見分けがついてないですよ、並みの連中には」
「つってもさー、こんなうまくいくもんかねぇ」
「文明の利器も元をたどればただの自然法則ですから」
「にしてもさぁ、やっぱスゲェなお前。普通じゃねぇわ」
「普通なんてもの、母親の胎ん中に置いてきましたよ。文句があるなら異常に生まれるように祈願したあの人に言ってください」
庚午はしばらく黙ってから、ぶはっと笑った。それに村岡はむっとした顔を向ける。
「なんですか失礼な」
「文句はねぇよ。もって生まれは各自の業だ。それをどう使いこなすかで、善となるか悪となるかが決まる。責任が生じるとしたら、そっちだろ」
「……相変わらずヘンな褒め方しますね、貴方は」
「褒められてるってわかるだけ、まあ昔よか人間として成長したよ、お前」
村岡は眉間に皺を寄せた。むうと唇を尖らせながら、拾い上げたスマホの下に目を向ける。
その場所は、はっきりと色が黒く変わっていた。村岡は自身の指先をぺろりと舐めてから、その黒くなった表面にそっとおいた。
とたん、ばちん! と電光が弾ける。
「ちょ、おい眞玉! 大丈夫か?」
横から様子を覗きこんだ庚午は、そこに険しい表情を浮かべている村岡を見た。
「おい」
ばっと村岡が血相を変えて顔を上げた。
「いかん! 鈴木!」
村岡は踵を返して駆け出す。
「おい眞玉⁉」
「りんがまだ残ってる! スマホから鈴木の方に飛んだ!」
「はあ⁉」
その言葉に、庚午も顔色を変えて駆けだした。
二人阿弥陀像の裏に回り込む。
角を曲がりこんで先を封鎖していたベニヤ板をバリバリと剥がした。
その先にあるものを見て、村岡と庚午は同時にびたりとその場で制止する。
床の上には開封された茶壺と、その隣に横たわる、縄を全身に巻き付けた龍円の姿があった。
いや、それは正確ではない。
それだけならば、それは庚午の見た景色だ。
村岡は、村岡の目には、茶壺に抱きつく発光した茶摘み女の姿も見えていた。
一つ息を吸い込み、一歩、二歩と歩み寄る。
「――りんだな」
村岡が問うと、りんは顔を上げてうっすらと笑んだ。
空也によく似た、しかし、それよりももっと柔らかな面立ちをしていた。
――私は罪深い女です。
二人の立派なお坊様に、その両方に愛されてしまったから、
お二人は、仏の道を踏み外されてしまったの。
筒井筒の仲で生まれ育った竜円兄様は、とても男らしい方だった。
一方の清円様は、貴いお血筋の美貌のお方。
そんなお二人が私を思うあまり、互いに命を取りあい、騙し合い、果ては私を独占すべく私の命まで――肉体まで壊しておしまいになった。
げに、殿方の独占欲とは恐ろしいもの。
罪があるのは、私です。
どうぞ、御二人を御咎めになりませぬよう――お許し下さいませ。
ふわりと、りんの姿が
それと同時に、堂内を覆っていた暗さが、帳を払うように消え失せていった。
「――おい眞玉、何がどうなった?」
何も見えていない庚午が、床の上に横たわっていた龍円の身体を抱え上げる。龍円は、ただ穏やかに寝息を立てているだけだった。そのことに安堵すると、庚午は村岡の方へ目を向けた。
「眞玉。お前、さっきなんか見えたのか?」
「読み違えだったな」
「は? 読み違え?」
にやりと村岡は笑むと、「はああ」と盛大な溜息を吐きながら、全身の力を抜きつつ、どさりとその場に腰を落とした。
「お前大丈夫か」
「大丈夫。連日ほぼ徹夜だったから、気を張って疲れただけです」
「ああそう、若いっていいわね。――で? 終わったんだな?」
「はい」
村岡はヘアクリップを掴んで外し、ばらりと長い髪をその背に流し落とした。
「私等が、ここまで聞き集めてきた話から総合するに、『甲子園の魔物』の正体として考えられたのは二人。りんと、それから竜円です」
「ああ。お前、最初からそう言ってたもんな。だから、鏡とユニフォームで作った形代と、それから龍の髪で作った人形があれば対応できるって」
村岡の顔がついと右側へ向けられる。その場から見えるのは阿弥陀如来像の後背部分。しかし彼女の意識は、その更に向こうにあるマジックミラーに向けられていた。
「最初に訪ねてきたもの、空也少年を装って入ってきたのは、あれは恐らく竜円です」
庚午が顔を怪訝そうに歪めた。
「あれが? あの性格とタチが悪そうなやつがか? ――寺に残されていた伝承の内容から感じる人物像とは随分違うように思うが」
「――蛇来さん、伝承ってね、時間の経過によって圧縮されたり、内容が省かれたり、場合によっては保身のために、その内容を改変して伝えることもあるんですよ」
「つまり、ありゃ昔の坊主が吐いた嘘だってことか」
「はい。――恐らく、生き残った竜円が、そうしたものと」
村岡は、黒く焦げた自身の指先を見つめ、それをぺろりと舐めた。
「これの残滓と接触して分かりました。空也少年の腹から飛び出てきた白い僧、あれが清円です」
「――りんを騙して殺した?」
庚午が片眉を上げていると、村岡は真顔で茶壺を見下ろし嘆息した。
「藪の中ですよ」
「それ、芥川のか?」
村岡は「ええ」と頷いた。
「考えても仕方がない。りんも竜円も清円も、誰も嘘は吐いていない。いや、吐いているつもりがない。ああ、寺の伝承なら、竜円の残したものには故意に嘘が混ぜられていることはあるかも知れませんが――この三者三様の、主張と執着の混在した整合性の破綻物。それが『甲子園の魔物』の正体です。――こんなもん、ロジカルに解釈することも、解決させることもできんわ」
村岡は、茶壺から視線を外した。そして、庚午の腕の中の龍円を見つめる。
あどけない寝顔と、かつての野球少年時代を想起させる五分刈り頭に、村岡はふわりとした笑みを向けてから、その表情を曇らせた。
「お疲れさん。――済まないな。空也少年は、私では助けてやれなかった」
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