第30話 茶碗の中②


「柴田のおっちゃん、そんなこと言ってたのか」

 鹿鈴ろくりんの裏庭にて。目を丸くして振り向いた村岡は、勢い余ってか、手にしていたノコギリを振り上げた。

「ちょっ、先輩危ない!」

「ああ、すまん」

 唇を尖らせつつ村岡はノコギリを下ろした。そういう顔をしていると、やはりどことなく茜に似て見える。

 村岡は苦笑いながら「ほんとあの人刑事にしては善良すぎるんだよな」と呟いた。

 この日、龍円は学校を休んでいた。村岡から事が落着するまでは出歩かないほうがいいという助言を受けてのことである。村岡自身は登校し、鍵丸の二人に状況を説明。警察から問い合わせがくるかも知れないこと等を含めて、諸々の口裏合わせをしてくれていた。

 そして現在。放課後そのまま鹿鈴寺に訪れた村岡は、なぜか自転車の後ろキャリアーに木材を括りつけていた。

 到着早々村岡は、龍円ではなく善円を呼び、二人でごそごそと何か話し込んでいた。

 しばらくしてから同時に振り返った瞬間の、二人の下目遣いの笑みが忘れられない。

 聞きなれたヴイーンという音が頭上から響いている。龍円の背後に立ち、頭部にバリカンを走らせているのは善円だ。足元にはブルーシートが敷かれ、肩側だの顔面からだのと、バラバラ龍円の髪が落ちてゆく。

「よし、できたぞ」

 善円の声に、龍円は村岡を見つめたまま「ありがとう」と礼を言う。父は白いタオルで龍円の首回りを払ったあと、タオルを「ほら」と手渡してきた。

 被っていた散髪ケープを脱いで父に手渡し、代わりにタオルを受け取る。髪が着いている面を内に返して、ごしごしと顔を拭いた。ほんのりと暖かく湿らせてあるのがありがたい。

 久しぶりの五分刈りだ。

「村岡さん。髪、切れました」

「ありがとうございます。こっちもそろそろ」

 言いながら、村岡はすでに持ち物をノコギリから電動ドリルに切り替えている。

 組み上げられたそれは、細いツー×バイフォー材を使った十字架の形をしていた。

「あの、村岡先輩。結局それは何を作ってはるんですか?」

 椅子から立ち上がりながら龍円が問うと、村岡は「これはな」とにこやかに目を向けた挙句、

「ぶはっ! すっごい! 鈴木めちゃくちゃ頭蓋骨の形キレイだな⁉」

 とゲラゲラ笑いだした。

「ありがとうございます。昔から褒められる数少ない美点です」

 合掌して目を伏せると、村岡は天を仰ぎながらまたひとしきり笑ってから、電動ドリルを傍らにおいて、指先で涙を拭った。

「これは人形だ」

「ひとがた?」

 村岡は立ち上がりながら、自分と一緒に十字架も立たせると、にやりと龍円へ向かって笑んだ。その高さは村岡の胸のあたりまでしかない。

「そう。そこに私が持ってきた布とゴミ袋があるだろう」

「はい。市の可燃ゴミ指定袋と、その白いでっかいやつですね」

「これからゴミ袋のほうに鈴木の髪を容れる。それから、タッカーと麻紐を使ってこの十字架に括りつける」

「はあ」

「その上からこの白い布を巻く」

「――つまり、オレの身代わりってことですか」

「そうだ。それから、一つ済まないが」

「はい」

「お前の、野球部の頃のユニフォームを用意して欲しい。形代に使う」

 村岡の言葉にぴくりと反応したのは、龍円ではなく父の方だった。

「村岡さん、それは、ふつうのこの子の服とかではなりませんか」

 村岡は善円をじっと見据え「ダメです」と断言した。

「これは対象物との関係性の問題です。斉藤空也さんにとってご子息という存在は、ただの幼なじみでも、寺の跡取り息子でもありません。空也さんにとってご子息は、野球選手として一緒に同じ未来を生きてゆくという、人生の伴走者に他なりませんでした。彼の執着は恐らくそこにあり、あの怨嗟に見込まれた部分こそが、その執着だったのでしょう」

執着しゅうじゃく、か……」

 村岡は膝を折ると、手にしていた十字架をゆっくり地面に下ろした。

「……先日、ご住職は私に、こうの言葉を認めていることを、執着の残滓と仰いました。それは正しいと思います。私も弱くもろい。そしてこの力の扱い方を覚えたのが倖華であるからこそ、最大の力を奮わなくてはならない場面に遭遇すれば、私は倖華という在り方で生きた過去に基づかざるをえなくなる。つまり、根本的にはアレと手を切ることができない」

 村岡は指先で、ついと十字架の表を撫でた。

「だからこそ、わかるのです。怨嗟に執着は撤回できない。執着こそが、怨嗟の行動原理であり、核だからです」

 善円は――ふ、と笑った。

「そうですね。息子のユニフォームを使うことを惜しむあたり、私も執着を捨てきれていないということか」

「父さん」

 龍円が善円に目を向けると、父は、寂しそうに笑った。

「楽しみだったんだ。俺も。お前が野球を続けていく未来が」



 散髪の片付けをして、善円が一人先に家へ戻ったあと、龍円は村岡が自分の形代を作るところを、椅子に座ったまま、ぼんやりと眺めた。

「父さんが……野球に対して、あんな風に思ってくれとったん、知りませんでした」

「男親ってのは、そういうもんだろう」

「ですかね」

 龍円の髪を詰め込んだゴミ袋を、村上はタッカーで十字架にバチンバチンと貼り付けてゆく。

「――『甲子園の魔物』は、恐らく複数の魂が寄りあわさった怨嗟だ」

「それは、りんと竜円、ということですか」

「ああ。だから、空也少年にとり憑いているのは、『甲子園の魔物』の中にあるりんの部分なんだろう。りんが空也少年のどの部分に呼応したのかは――鈴木少年」

 バチン、

「君には、わかってるだろう」

 龍円は、ゆっくりと村岡の背中を見つめた。そして、その視線をゆっくりと自身の足元に下げた。

「――気付いてはったんですか」

「りんに憑かれた空也少年は、竜円を探し求めている。二人は元々幼なじみで、それは君等と同じだった。だからこそ君が狙われている」

 村岡はタッカーを地面におくと、次に白い布を手に取った。長いロール状になっているそれを、端からぐるぐると十字架に巻き付けていく。

「今、りんの中にある竜円に対する感情が、思慕の情なのか、それとも清円に嘘を吹き込まれたあとの裏切りを信じてしまっての憎悪なのか、そこまでは私にもまだ読み取れていない。だが、どちらにしろ君を道連れにしようとしていることに変わりはない」

「オレは……」

「鈴木龍円。君達の人生は、もう分かたれた。引き返すことはできない」

 村岡はちらりと龍円に顔を見せ、不敵に笑ってみせた。

「生きている肉体は不便だな。その形がある限り、現世の理屈を引きずらざるを得ない。生身の肉体がある以上、空也少年は犯した罪の償いを行わなくてはならない」

「……はい」

「全く難儀だよな。――幽霊になってしまえば、逆にこっちのものなんだがな」

 ふふ、と笑った村岡に、龍円は妙な引っ掛かりを覚えた。

「先輩?」

「幽霊なら連れ去ったって、見えないヤツにはわからんだろ」

「――確かに、そうですけど」

「肉体から自由になってくれさえすれば、もう離さずに済む。永久に私のものだ」

「あの、何の話ですか?」

「こちらの話だよ。気にしないでくれて良い。――ところでな、昨夜ふと、茶碗の中、という怪談を思い出したんだ」

「茶碗の中、ですか? それはタイトルですか」

「そう、小泉八雲が蒐集したものだ」

 ぐるぐると、白い布が十字架に巻きつけられてゆく。

 形が整い、まるで村岡の腕のなかに龍円自身がいるような、不思議な感覚を覚える。

「ざっくり説明すると、ある男が茶屋で休んでいた時に、茶碗の中に、女と見間違えるほどの美しい男を見たという話だ。ストーリーはそこで途切れている。八雲は、物語を最後まで書き切ることができなかったんだ」

「どうして、なんでしょうね」

「ラフカディオにとっては、英訳して世に広く知らしめるのにはばかる内容だったのかもしれん。元話である『新著聞集』においては、これは衆道のもつれの話だったと一説にはある」

「――え」

 ぐるぐると、布を巻きつけていた手が止まる。

 父に髪を纏めることを要求されていないから、今日の村岡の髪は、一本にまとめられ、後背にさらりと落ちている。

「父君は濁しておいでだったが……いや、もしかしたら、鹿鈴寺でも伝承が伝わる中で、八雲が改変を加えたように、中身が濁されたのかもしれんな。恐らく、最後の怪異の発症条件は、性指向が彼等と同じかどうかだ。りんの性別は、男だろう」


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